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東浩紀に関するprisoner022のブックマーク (39)

  • 自滅する地方 崖っぷちのポモ - シートン俗物記

    朝日新聞1/13夕刊で、昨年にも取り上げた東浩紀が「2010年底からの旅」という企画でインタビューに答えている。 これがね、また、まったくダメダメな代物なの。 「ゼロ年代」の思想・批評は「スカスカ」だった、と語る。それが、2000年から10年間の総括だ 「何の社会的影響力もなくなりました」 と語っていて、その後グダグダと言い訳めいた反省?が続くんだが、相変わらず自己分析があまいのよ。 「ただ、僕が一貫して言っているのは、そうした『所与の環境』からも、理念は導き出せるということです。多くの人が受け入れているように思える一見ネガティブな状況を、プラスの評価に逆転させていくことは可能だ、と。これは、『かつて良かったものがダメになった』式の発想からは、けっして出てこないものだと思うんです。」 たとえばショッピングモール。「安価な商品の消費をあおり地域文化を壊す『ファストフード化』の代表として批判さ

    prisoner022
    prisoner022 2010/01/17
    だって、自分のブログに対するブクマを公開することも出来ないヤツがどのツラ下げて「民主主義2.0」だよ
  • Hang Reviewers High / ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2

    東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」は、とても親切なであり、まずはそれに感心した。 前作となる「動物化するポストモダン」に限らず、これまで東浩紀の著作のやり方は、主張を固めるための検証作業がともすれば大雑把であるし、また、さほどに関連性が深いとは言えない事例を強引に繋ぎ合わせて一つの流れを意識させようとするものがあった。僕はこのやり方を批判するものではない。むしろ、あざやかに全体の論旨を生み出していくダイナミックさに感銘を受ける。 しかしもちろん、このような書き方は批評の言語としては今の日で例の少ないものだから、読者は彼のやり方に違和感を感じるかもしれない。だが彼がなぜこれを選んでいるかということは、現在に至るまでの東浩紀の批評活動のルーツがすべて収められた「郵便的不安たち#」を読めば明確に分かるはずだ。ここでは簡単に触れるまでにしたいが、要するに彼の動機にはポ

    prisoner022
    prisoner022 2009/12/25
    今の日本はポストモダン化が徹底された状態/「ゲーム的リアリズムによって自然主義的なリアリズムは駆逐されたりしない」/異質だという理由でうち捨てることができないというのがポストモダン的な状況
  • 東浩紀 Hiroki Azuma on Twitter: "というわけで、ちょっとは(ゼロアカそのほかで)世話した学生が、QFについて「○○の描写はワラタ」とか「結末がダサい」とか書いているのを発見したので、ブロックするとともに、その人物はもう相手にしないことを決定した。世話になっている人間を批判したいのであれば、手続きを踏むべきである。"

    というわけで、ちょっとは(ゼロアカそのほかで)世話した学生が、QFについて「○○の描写はワラタ」とか「結末がダサい」とか書いているのを発見したので、ブロックするとともに、その人物はもう相手にしないことを決定した。世話になっている人間を批判したいのであれば、手続きを踏むべきである。

    東浩紀 Hiroki Azuma on Twitter: "というわけで、ちょっとは(ゼロアカそのほかで)世話した学生が、QFについて「○○の描写はワラタ」とか「結末がダサい」とか書いているのを発見したので、ブロックするとともに、その人物はもう相手にしないことを決定した。世話になっている人間を批判したいのであれば、手続きを踏むべきである。"
    prisoner022
    prisoner022 2009/12/20
    「世話になっている人間を批判したいのであれば、手続きを踏むべき」というのは分かるけど、ここで言っちゃうか。続きは http://twitter.com/hazuma/status/6838187597
  • 「ネットがあれば政治家いらない」 東浩紀「SNS直接民主制」提案

    インターネットというテクノロジーは10万人規模の直接民主制を可能にする。基礎自治体(市町村)のいくつかはミクシィ(mixi)とかのSNSで運営すればいい――。批評家の東浩紀さん(38)が深夜のテレビ番組で「政治の未来像」について大胆な提案をした。「そうなれば、政治家は今ほど必要ないのではないか」というのだ。 東さんが出演したのは、2009年10月24日未明にテレビ朝日が放送した討論番組「朝まで生テレビ!」。この日は「若者に未来はあるか?」がテーマで、人事コンサルタントの城繁幸さん(36)やフリーライターの赤木智弘さん(34)といった世代間格差について発言している20代や30代がパネラーとして登場したが、「朝生」の独特の雰囲気に飲まれてしまったのか、いまいち歯切れが悪い。そのなか、番組前半で若者側のパネラーとしては唯一、気を吐いていたのが東さんだった。 「いまさら『若者論』をやっても意味がな

    「ネットがあれば政治家いらない」 東浩紀「SNS直接民主制」提案
  • serious/unserious - hazumaのブログ

    文學界の連載でもいちど書いたネタなのですが、最近、「真面目」と「ふざけている」の境界についてよく考えます。 ■ そもそも批評家というのは詐欺師みたいなもので、どこまでマジでどこまでネタなのかよくわからない文章を生産するのが役割であるような変わった職業です。 しかし、それにしてもぼくは最近、ネットスターとかゼロアカとかやっているせいで、その混乱がますます進行している。たとえばぼくがネットスターで発している発言の多くはネタであるとして、しかしでは、ゼロアカで藤田くんやら坂上くんやらを褒めているのもネタなのか、ニコ動的生成力に批評の可能性が宿るとかいう発言もネタなのかといえば、ネタのような気もすればベタ(マジ)のような気もする。 逆に裏返せば、思想地図だってどれくらいマジなのか、自分でもよくわからない。客観的に観て自分の行動は「東はマジだ」と言われる水準をクリアしているとは思うけれど(したがって

    serious/unserious - hazumaのブログ
    prisoner022
    prisoner022 2009/06/11
    そもそも批評家というのは詐欺師みたいなもので、どこまでマジでどこまでネタなのかよくわからない文章を生産するのが役割であるような変わった職業です
  • これこた

    砂(すな) 1971年生まれ。マンガ家。東京大学法学部卒。在学時から同人誌作家として活動。98年商業誌デビュー。現在、季刊『マンガエロティクス』(太田出版)に連載中。フェミニズム思想に耐えるポルノグラフィーの条件を問うことをテーマとしている。ホームページ『SANDWORKS access point』を運営。単行に『フェミニズムセックスマシーン』(太田出版・近刊)。 東浩紀(あずま・ひろき) 1971年生まれ。東京大学総合文化研究科修了。学術博士(哲学・表象文化論)。日学術振興会特別研究員。現在の研究対象は、1970年代以降の世界(ポストモダン)と、フランス思想、ハッカー文化オタク文化の相関関係。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞受賞)、『郵便的不安たち』(朝日新聞社)。

  • 批評について - hazumaのブログ

    ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定

    批評について - hazumaのブログ
    prisoner022
    prisoner022 2009/03/28
    ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。
  • 批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ

    とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公でにするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい

    批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ
    prisoner022
    prisoner022 2009/02/05
    あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける/柄谷行人以降に書かれている多くの評論が、じつはぼくが「前期/後期モデル」と呼ぶある単一のフォーマットに則って書かれているから
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000365.html

    prisoner022
    prisoner022 2009/01/14
    オタク文化のダイナミズムは、もともと金銭的な価値ではない/みんなオタクの市場規模を実際より高く見積もってしまう/オタクは貧乏なわりにおもしろいもの作っている/金の話に巻き込まれると負け/理想論で動くしか
  • 2008.12.13 - 日記

    東浩紀氏がいらん発言で御難を招いたらしい。弥次馬的に見物しながら、まあデリダな知識人というのはそんなものよのお、というくらいの感想しかない訳だが、個人的に最大の難なのは——。 民族の裸踊り派とお友達ってとこだろうな。 もうちょっと友達は選んだ方がいいと思うよ。どうしても切れないくらいにお友達だというなら、こっそり付き合えばいい。たもがみ君級の(差別語につき削除)とお友達してるってだけで猛烈に尊敬度が下がる。あの裸踊りに平気で付き合うのか、あんたは、って。それとも、所謂「スープを音を立てて啜る人」ともお友達してるって自慢したいだけなんだろうか。元ネタが誰の話だったのか忘れたが、確かこんな感じ。 「私は民衆を愛しているし、自分もまた民衆の一人だと思っている。しかし彼らがスープを啜る音は我慢できない」 民衆に対する愛なんだろうな、きっと。リスペクトすべきなのかもしれん。 p.s. 尤も、ポストモ

    2008.12.13 - 日記
    prisoner022
    prisoner022 2008/12/23
    「私は民衆を愛しているし、自分もまた民衆の一人だと思っている。しかし彼らがスープを啜る音は我慢できない」
  • ポストゼロ年代の想像力――近代の脱構築とその不可能性(レジュメ) - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    今日Ustで話した内容について、似非原さんのためにレジュメを載せておきます。 竹内好の語る日の「近代への徹底的な従属性のその超克」という問題意識 竹内好は、日における近代とは絶対的な従属性の歴史であり、これを克服するためには近代自体を一度解体するほどの激しさが必要だと。そして彼は「内面の暗黒」というもの――自らの近代性とそれに反発する民族性の双方を否定し、超克しようとした。 これは戦後――敗戦による日の「近代の超克」というアポリアから高度成長期に至るまでの一時期――という特別な言説空間においてのみ意味を持ったが、後に脱近代という意味合いにおいて関わってくる。 高度成長期の「大きな物語」――米ソ冷戦下の経済成長と、それを米帝の搾取システムの上に乗っかっていると批判する新左翼について 高度経済成長自体は卑近な欲望の総和として発現したが、米ソ冷戦というシステムの下で自己目的的に発展し、さら

    ポストゼロ年代の想像力――近代の脱構築とその不可能性(レジュメ) - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病

    さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/12/18
    いろいろさらけ出してるなぁ。現状肯定して、まったり・・・に聞こえてしまうけどなぁ。
  • 東浩紀の渦状言論: 歴史認識問題についていくつか

    prisoner022
    prisoner022 2008/12/02
    「リアルのゆくえ」でぼくがいったのは、そんなふうに文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか、ということです
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第6回(11/14) - メタサブカル病

    どうもこんにちは 今日も例によってプリントがある 後から来る 去る日曜日の文学フリマの後、 2chでめちゃめちゃ叩かれている になってブログをやめる寸前までいっている 2chごときでになっているわけではなく別の原因がある 大きな物語がなくなると批評は蛸壺化する 好きなことしか語らなくなる そこではお祭りによって繋がる 祭り空間、コミュニケーションのプラットフォームの上に乗った島宇宙 プラットフォームにしか全体性とか大衆性はない 2chはプラットフォームに過ぎない それぞれのスレッドは横の繋がりがない 横の繋がりがあるとすれば、2ch語 『アーキテクチャの生態系』にそういうことを書かれている よく出来ている 濱野智史さん 28歳くらいの若い研究者 2chとかニコニコ動画から日社会論 2chは島宇宙化した ニュー速の住民が東スレに来ても少数 2chのアイデンティティはどうやって作るか そ

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第6回(11/14) - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/11/28
    今の世の中で、物を作る、文章を作る、ということは、 どういう意味が/大きな物語を作ってメッセージを伝えようとすると島宇宙/ブレイクするには祭りにするしか/祭りになったら自分とは関係なくなってしまう
  • 東浩紀の批評が嫌われるわけ 2008-11-15 - 東浩紀の文章を批評する日記

    何事もなかったかのように更新。 http://yaplog.jp/sennheiser/archive/17 http://yaplog.jp/sennheiser/archive/18 こちら経由で(面白かったです。このエントリの内容も触発されたところが大きいです)、 http://www.hirokiazuma.com/archives/000460.html こちらを読む。 古い読者なら知ってると思いますが、実際にはぼくはそのあと、さまざまなところから「東はアニメがわかってない」と叩かれ、某ライター氏からは、面と向かって「あなたの存在自体迷惑だから、今後オタク関係について語るな」と罵倒されたりすることになります。というわけで、やべえ、この業界まじで怖いわ、と思って、アニメ業界からは微妙に距離をとることにしてきた(そしてその結果、美少女ゲームとかライトノベルについて多く語るようになった

    東浩紀の批評が嫌われるわけ 2008-11-15 - 東浩紀の文章を批評する日記
    prisoner022
    prisoner022 2008/11/15
    言ってることはもっともだと思います。ただ東浩紀をネタとして批評しているこの方の立ち位置はb.に近く見えてしまうけど、そういうのも含めて「おお、なるほど、そういう見方もあったのか!」と私は膝を打ちます(笑
  • 東浩紀は文壇・論壇の「救世主」たりうるか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ■コメント欄■ 久しぶりに「中央公論」(11月号)という雑誌を読んだのだが、これが、なかなか面白い企画のオンパレードで、僕は興味深く読んだのだが、中でも筒井康隆と楊逸(ヤン・イー)の対談、あるいは東浩紀のインタビューが刺激的だった。いずれも文学や文学者に関連した内容で、最近の文壇・論壇の貧しい思想的状況の根原因の解析になっているように思われた。ここでは、まず東浩紀のインタビューを取り上げてみよう。東浩紀は、ジャック・デリダ論でデビューし、最近は、オタク文化とポストモダンを結びつけ、それを日文化論として論じた『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』などの著作で、文壇・論壇とその周辺に大きな反響を巻き起こしている文藝評論家・思想家だが、そしておそらく、文壇でも、柄谷行人以後の批評界に現れた大物新人として、彼に期待する向きも少なくないだろうが、このインタビューもそれを前提にし

    東浩紀は文壇・論壇の「救世主」たりうるか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    prisoner022
    prisoner022 2008/11/15
    分析の図式や道具を提供するだけの情報や知識は豊富だが、それらの図式や道具を使って思考し、文章化するという、具体的な実践のレベルでの能力の不足と欠如は明らか
  • アニメ批評としての村上隆と、東浩紀のマーケティング(笑) - umeten's blog

    今日のNHKクローズアップ現代が、一体なぜに全体どういう理由でかこのタイミングで村上隆特集だったので、アートとオタクの門前の小僧の一人としてとりあえず見た。 村上隆の「ビジネス戦略としてのアート」をまとめたあたりはわかりやすく、何というかネットでよく見るライフハック記事の特集を読んだような気がした。 かつ、何年か前の奈良美智とセットになってた時のクローズアップ現代に写っていたサティアンのような製作用スタジオはすっかりグレードアップし、そのままホワイトキューブ(美術館)として使用することもできるんじゃないかというレベルになっていた。 だがそこで、村上作品を完全分業制で制作するために「いきいき」と働いている若者の姿は依然変わらず、正社員なのだろうけど、どこか非正規雇用を思わせるものだった。 そして、ロシア・中東の石油バブルとアメリカ・ヨーロッパの住宅バブル、そして中国の開発バブルに支えられてい

    アニメ批評としての村上隆と、東浩紀のマーケティング(笑) - umeten's blog
    prisoner022
    prisoner022 2008/11/12
    村上隆は実態として「アニメ批評」として機能している…んだ。(批評って・・・。)東浩紀はマーケティング的でありたいのかな。マーケティング的って偉いのかな。不勉強で、よく分かりません。
  • 小川びいと東浩紀との往復メール

    はじめに 以下に公開するメールは、hirokiazuma.comの「近況 2002.7.14」を巡って交わされたものである。 東の記述の一部分に対して、小川が事実誤認と訂正を求めたのをきっかけに、何度かメールがやりとりされた。最終的な合意には至らなかったものの、妥協案として、両者のメールをここで公開することが提案され、この形となった。これについては、東による「近況 2002.7.28」も参照してほしい。どちらの主張を支持するかは、このメールを読んだ人間にゆだねたい。 なお、メール文については、誤字・誤記も含めて、ほぼ原文のままである。 1 小川びい 突然のメール失礼いたします Sun, 21 Jul 2002 03:24:21 2 東 浩紀 Re: 突然のメール失礼いたします Sun, 21 Jul 2002 12:36:56 3 小川びい Re: 突然のメール失礼いたします Sun,

  • 東浩紀の渦状言論: 山本寛氏と対談(追記あり)

    prisoner022
    prisoner022 2008/11/11
    アニメ批評がいまなぜ低調かといえば/そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないから
  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

    東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて