「崖の上」といえば、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの以前からの発言に違和感がある、とテレビ局下請けスタッフが明かす。 「宮崎駿と自分の関係が、『ゲド戦記』以来、あまりよくなかったと公言している。その距離を縮めるために、密着取材をしていたNHKのディレクターに毎日メールで、宮崎監督のその日の様子を報告させていた、というんです。鈴木さんには名案なんでしょうけど、NHKのディレクターを結果的にスパイのように使った。いかがなものか、という声があります」 生々しい裏話ではある。 【関連記事】 ・ 宮崎監督提案の公園デザイン展 ・ 新作「アバター」 宮崎アニメにオマージュ J・キャメロン監督 ・ “ジブリの絵職人”が原体験描く 男鹿和雄「秋田、遊びの風景」展 ・ 「ポニョ」「ATOM」アカデミー賞候補! ・ ガンダムが30年ヒットした秘密 富野由悠季監督に聞く(1)
昨日のエントリの続きですが、実はコメント欄で俺が書きたかったことはほぼ書いてしまいました。以下に採録しますが、盛大にネタバレを含みますのでご注意ください。 http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/takekumamemo/195/26-29 (以下採録。一部文章を訂正してあります) 26 : たけくま ★ 2009/09/12(土) 01:23:08 ID:??? 俺が最初エントリで書こうとしたのは、「俺が監督だったらこうする」というものでした。創作に正解はないので、あくまでも「自分なら」ですけどね。 俺が作るとしたら、たとえば田舎の大家族のドラマと、電脳世界の出来事を、はじめは全然関係ないパラレルな出来事として描いていく。田舎の90歳のおばあちゃんを中心にした旧家の大家族の儀式(犬神家みたいな)と、それとは関係なく電脳世界の出来事が進んでいて、そっ
「偉そうなのよね。そういう語り口ってさ」 これは長谷川プロデューサー。 「知ってます? 声優さんが6月だかにデモやったの? 10月からギャラが上がったんですよ」 「知ってるよ。起きて、万国の労働者。いいじゃないですか」 「そうです。小生も労働者。おたがいに裕福にならなけりゃ、アニメ界の進歩なんてありませんからね」 「亜阿子もそういってる。幼稚園に入れなくっちゃならないし」 「はい、はい。で、ね? わかるでしょ? 予算があって物を創っているってこと」 「承知してますよ。アマチュアじゃないんだから……いや、アマチュアならもっと予算がきびしいか?」 「だから、キャラクターの数、減りませんか? はじめの話と違うじゃないですか。ぜんぶ殺す、順々に整理するっていっていたでしょ? それがどうですか? ちっとも減りゃしない。10月からデモのおかげで声優のギャラ・アップで予算わくを超えてんですよ。なぜ、1度
『仕事道楽―スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫著・岩波新書)より。 【『ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。 一つは製作終盤のときの話。当然のように、どんどんどんどん制作期間を食っちゃって、映画がなかなか完成しない。さすがの宮さん(宮崎駿監督)もあせった。じつは宮さんというのは、締切りになんとかして間に合わせたいタイプの人なんです。それで、彼が高畑(勲)さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。 進行に責任を持つプロデューサーは高畑さんです。宮さんはプロデューサーの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います? 「間に合わないものはしようがない」 高畑さんという人は、こういうときよけいな形容詞を挟まない。しかも声がでかい。人間っておもしろい
「宮崎アニメ」というのを現象として考えると、宮崎駿という人と、鈴木敏夫という人と、双方を考えなくてはならない気がします。『ゲド戦記』という作品(興行収入は「そこそこ」レベルではなかったでしょう)をどう考えるのかというのもありますよね。 前回の記事に、囚人022さんからこんなコメントをいただいたわけで。 私個人は、宮崎駿の発言などは多く目を通してきました、というか熱心に追いかけてきたわけですが、一方で鈴木プロデューサーにはあまり注意を払って来ませんでした。 まあそんなわけで、見当違いの事を書くかも知れませんが、一応私の中の鈴木プロデューサーの印象を適当に。 まぁ、何と言うか、評価しないわけにはいかないだろ、というのが率直な感想。 創作家宮崎駿は、宮崎駿個人でも立っていられたとは思いますが、スタジオジブリという組織は、それはつまりアニメ監督宮崎駿は、鈴木プロデューサー無しでは今日まで成り立って
オリジナル・サウンドトラック 「SOUND of The Sky Crawlers」posted with amazlet at 08.08.06サントラ CHAKA VAP,INC(VAP)(M) (2008-07-25) 売り上げランキング: 49 Amazon.co.jp で詳細を見る 押井守の新作。「この作品で新境地を……」と聞いていたものの、物語はこれまでの押井作品と同様のテーマを変奏したものであるところに変わりはない。ゲームのような現実と、現実のようなゲームの繰り返しのなかで生まれる実存的不安――これらは『パトレイバー』にも『甲殻機動隊』にも見られた主題だから、目新しいものを期待してしまうとがっかりするかもしれない。個人的には『AVALON』に最も近いのでは、て思う(結末はほとんど正反対だが……*1)。 そういえば、『スカイ・クロラ』のなかでポーランドらしき街並みが登場するが(
鈴木 敏夫(すずき としお) 1948年生まれ。慶応大学文学部卒業後、徳間書店に入社。雑誌「月刊アニメージュ」編集長を経て、85年、スタジオジブリ設立に参加。数々のジブリ作品でプロデューサーを務める 宮崎駿監督が新作「崖の上のポニョ」(来年夏公開予定)を制作中であることが3月19日、東宝から発表された。 「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)発表時と同じく、鈴木敏夫プロデューサーに「世界一早いインタビュー」を申し込んだが、返ってきた答えは「二番煎じはよくない」だった。そんな中、「ポニョ」創作の過程を追ったNHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」(3月27日放送)を見た記者は、登場キャラクターなどが次々と紹介されていく様子に、前作「ハウルの動く城」とは違う印象を受けた。「ハウル」は公開前までベールに包まれており、大量宣伝のあとに「確認」するだけだった映画鑑賞を、原点に引き戻した作
「常々宮崎はこんな言い方をするんですよ。『子どもに絶望を語るのはよくない。希望を語ろう』。本人の言葉を借りると、ハウルという映画のように、ストーリーその他をこんなに一生懸命考えた作品は、自分の作品なんだけどめずらしいと。にもかかわらず、いわゆる子どもへの……自分が伝えたいことが、大人に寄りすぎたという大きな反省があったんですよ。それを知ってたからハウルの公開前に『次は子どもものをやりましょう』と僕のほうから言いました」 「個人的には、気がついたら宮崎駿という人と約30年付き合ってきて、いろんな作品をつくってきたんですけれど、ハウルという作品は彼が自分で本当に思っていることが色濃く出た作品でおもしろく観たんです。ただ、自分の心情を強く語りすぎているので、作品としてのバランスは欠いたんだなあって。それなら今度やるとしたらその真逆、いわゆる子どもに対してきちんとしたものを見せようと」 ところが、
<二面性、或いは21世紀型物語について> ○ 西崎義展はプロデューサーとして超一流だったのだろう。例えば、「ガンダム」は「ザンボット3」→「ダイターン3」→「ガンダム」というように、サンライズのロボットアニメが順当に進化していった結果生まれたものだ。しかし「ヤマト」はそれまで不毛の荒野だったところに突然変異的に現れた。あんな地味な色の宇宙船間を主題としたアニメをTV放送にのせてしまった西崎義展のプロデュース力は凄い。その頃の西崎さんとは話をしてみたかったが、自分が会った時はそうではなかった。 ○ 結局、西崎さんとは人間対人間の話が成立しなかった。西崎さんのことが怖かったし、好きになれなかった。 ○ そこいら辺が富野さんと違う所だ。僕は富野さんが大好きだ。 ○ じゃ、宮崎駿はどうか?少なくとも、向こうは僕のことを嫌っているに違いない。いや、違うな。鈴木敏夫が僕のことを嫌ってるんだ。嫌いな理由
速水もこみちさんと志田未来さんらが4日、ドラマ「ハンマーセッション!」(TBS系)の制作会見に登場。速水さんは役作りのため体重を12キロ減らしたことを明かし、志田さんに「どうですか? 僕の裸は」と質問。志田さんは「毎回聞かれるんですけど、答えようがないじゃないですか」と恥ずかしがった。 「ハンマーセッション!」は、護送車から逃亡した天才詐欺師・音羽4号(速水さん)が、蜂須賀悟郎という名の教師にな...
ここのところ、こちらでも披露している、自分の冗長な長文(笑)というものについて、いまさらながら少々反省している。なんだか全然読む人の身になってない...確かにこちらで書いている文章自体、自分自身の腕試し的意味合いが強かったりするので、人のことを考えていなくて当たり前かもしれない。それでもこうやって他人様の目に触れる場所で物を書いている以上、確かに誰かに読んで貰いたい、と思っているのは事実でもあって。いつぞやの新聞記事で(確かテリー伊藤氏のプロ野球に関するインタビュー記事)今は「パッと見てパッと楽しめる」ものが一番受け入れられる時代なのだそうだ。だから、それこそ私が書いているものなど、その時流に著しく反しているということになる。でも、長時間そういう集中力を維持できない人たちが増えている世の中って一体どうなんだろう?と思ったりもする。(いささか我慢強さが足りない?)自分的には、活字文化衰退寸前
「テルーの唄」の歌詞の表記の問題について 2006.11.01 スタジオジブリの鈴木です。 今回、一部で報道されている「テルーの唄」の歌詞の表記の問題について、この場を借りてご説明させていただきます。 今月、雑誌「諸君!」に寄稿された荒川氏の原稿を発端とした映画「ゲド戦記」の挿入歌「テルーの唄」の歌詞と萩原朔太郎氏の「こころ」という詩の関係についての問題は、私の配慮の足りなさから来たもので、関係者の皆さまに無用なご心配をかけ、気分を害させてしまったことに対して、心よりお詫び申し上げたく思います。 「テルーの唄」の作詞に際して、宮崎吾朗監督に萩原朔太郎の詩「こころ」を参考にさせたことを隠蔽するつもりは毛頭ございませんでしたが、荒川氏のご指摘のとおり、このままでは将来的にその事実が忘れ去られてしまうおそれがあることまでは考えが至らなかったことは事実です。そのことは私の判断が間違っていたと認めざ
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