明治・大正の作家の自筆原稿を見て、「(旧字でなく)常用漢字を書いている⁉︎」と驚く人がいる。作家は新字体を書いているわけではなく、当時普通に用いられていた俗字・略字を書いているに過ぎないのだが。 たとえば作家が「体」と書いたとしても、その当時なら印刷所では「體」を拾うのが普通で、それが現代では常用漢字に直して「体」となるが、べつに原稿に忠実にそうしたわけではない。 もっとも、作家の書いた異体字が活字ケースに在庫している字と同形だった場合には、その形のまま拾われることもある。漱石の書いた「双(雙でなく)」や樋口一葉の「皈(歸でなく)」などはそんな事情があるかもしれない。 さて、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」原稿のすべて』から、異体字に着目して拾ってみよう。 前回にも触れたが、賢治さんは同じ漢字を草書で書いたり楷書で書いたり、略字を使ったり正字をわざわざ書いてみたりと、活字本では統一されてしまう様