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アルビニの検索結果1 - 18 件 / 18件

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アルビニに関するエントリは18件あります。 music音楽*Music などが関連タグです。 人気エントリには 『スティーブ・アルビニ〜断章〜:ロマン優光連載290』などがあります。
  • スティーブ・アルビニ〜断章〜:ロマン優光連載290

    290回 スティーブ・アルビニ〜断章〜 ふとX(旧Twitter)をみたら、スティーブ・アルビニの訃報が流れてきた。 80年代後半から90年代初頭の一時期、スティーブ・アルビニは私のヒーローの一人だったし、今でもBig Blackというバンドのことを未だに考えているときがある。 現在、私の脳内はいわば金縛り状態にあり、一定の流れにそって思考をまとめることは難しい。これ以降に書き並べるものは、アルビニや彼の周辺のまつわることに関して普段考えていたことや記憶の断片でしかない。 Big Blackは80年代に活動したアメリカのシカゴのバンドである。トレブル域が強調された金属的なギター音と潤いのないドラムマシーンの音が特徴的なバンドだった。私が初めて聴いたのは87年発売の最後のスタジオアルバムとなる『SONGS ABOUT FUCKING』だったのだが、金属的で潤いのない音とドラムマシーンの疾走感

      スティーブ・アルビニ〜断章〜:ロマン優光連載290
    • スティーヴ・アルビニ死去 - amass

      ミュージシャンで、レコーディング・エンジニア/プロデューサーとしても知られる、インディー・ロックのアイコン、スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が死去。米Pitchforkや米ローリングストーン誌などが、彼のシカゴのレコーディング・スタジオ、Electric Audioのスタッフに、アルビニが5月7日の夜に亡くなったことを確認しています。死因は心臓発作。61歳でした。 アルビニは、ミュージシャンとしてビッグ・ブラック(Big Black)やシェラック(Shellac)といったアンダーグラウンド・バンドを率いただけでなく、オーディオ・エンジニアとしてニルヴァーナ『In Utero』、ピクシーズ『Surfer Rosa』、PJハーヴェイ『Rid of Me』などのアルバムのレコーディングにも参加し、高い評価を得た。シェラックの10年ぶりのアルバムは5月17日リリース予定で、ツアーに

        スティーヴ・アルビニ死去 - amass
      • スティーヴ・アルビニが61歳で死去 ニルヴァーナらを手がけた伝説的名手 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

        レコーディング・エンジニア/プロデューサーとしても著名な音楽家、スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が死去。彼が経営するエレクトリカル・オーディオ・レコーディングのスタッフに米ローリング・ストーン誌が確認したところ、5月7日の夜に心臓発作で亡くなったという。享年61。 アルビニは1962年7月22日、米カリフォルニア州パサデナ生まれ。ビッグ・ブラックやシェラックといった自身のバンドを率いつつ、ニルヴァーナ『In Utero』、ピクシーズ『Surfer Rosa』、PJハーヴェイ『Rid of Me』など80年代後期以降のオルタナティヴ・ロック重要作に多く貢献。アナログの一発録りスタイルで知られ、多くのミュージシャンから愛されてきた。ZENI GEVA、メルト・バナナ、54-71、BORIS、MONO、GEZAN、CRYAMYなど日本のミュージシャンの作品にも携わっている。近年は

          スティーヴ・アルビニが61歳で死去 ニルヴァーナらを手がけた伝説的名手 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
        • スティーヴ・アルビニからニルヴァーナに充てたメッセージ。『In Utero』制作前の手紙が公開

          インディ・ロックの名盤の数々を手掛けたエンジニアで、アンダーグラウンドなロック・グループのフロントマンとしても活動していたスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が2024年5月7日に心臓発作のため61歳で逝去した。 この訃報を受け、1993年に発売された『In Utero』を制作する前に、バンドがプロデュースを依頼した際のスティーヴ・アルビニからの返答の手紙(FAX)をバンドの公式アカウントが公開した。その翻訳を掲載。 <関連記事> ・デイヴ、クリス、スティーヴ・アルビニがニルヴァーナ『In Utero』を語る ・スティーヴ・アルビニ、カートとの出会いや『In Utero』の制作を語る ・『In Utero』: 90年代を代表するバンドのラスト・アルバム カート、デイヴ、クリスへ まずは、この説明書きを纏めるのに数日かかってしまったことを謝らせてほしい。カートと話したときはフガジ

            スティーヴ・アルビニからニルヴァーナに充てたメッセージ。『In Utero』制作前の手紙が公開
          • 連載The future belongs to analogue loyalistsスティーヴ・アルビニに捧げるメモワールVol.1 | TURN

            連載 The future belongs to analogue loyalists スティーヴ・アルビニに捧げるメモワール Vol.1 このGW期間、コロナ禍以降、初めて京都の実家に帰省した。年老いているにも関わらず相変わらず元気な母親と、妻の3人で家族水入らずの寛いだ日々を過ごしていたのだが、母親一人暮らしの実家の就寝時間はとても早い。5月8日、その日も昼間は比叡山入口近くのラジウム温泉でのんびり過ごし、家で晩御飯を食べた後の夜の7時には眠たくなって2階の布団に潜りこんだ。そんな早い時間に寝てしまうと当然のように夜中に目覚めてしまう。案の定、午前1時頃に目が覚め、枕元にあるスマホを手にとって何気なくFacebookを開くとFacebookフレンドの投稿の強烈な一文が目に飛び込んできた。 “R.I.P. Steve Albini” えっ?ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。何だこれは? 普

              連載The future belongs to analogue loyalistsスティーヴ・アルビニに捧げるメモワールVol.1 | TURN
            • スティーヴ・アルビニが密かに私の世界を変えた理由 | ele-king

              自分でも気付かぬうちに、スティーヴ・アルビニは私の人生を変えていた。彼の特定の作品との出会いによって啓示を受け、人生の中にそれ以前と以後という明確な境界線が引かれたということでは全くない。それよりも彼の影響は、私の育った音楽世界の土壌に染み込んでそれを肥沃にしたものであり、そうとは知らない私が無意識に歩き回った風景そのものだったのだ。ようやく獲得し得た視野と意識によって振り返ってみると、私が通ってきた世界のすべてに彼の手が及んでいたことを思い知らされる。 世代的なことも関係している。1962年生まれのアルビニは、ちょうど1980年代にジェネレーションXが成人し始めた頃の音楽シーンで地位を確立し、彼の音楽とアティチュードはその世代の心に響く多くの特徴を体現していたのだ。 彼の作品は挑戦的で、パンクが退屈さに怒りをぶつける方法をさらに推し進めたものだった。彼自身の初期のビッグ・ブラックやそれ以

                スティーヴ・アルビニが密かに私の世界を変えた理由 | ele-king
              • 故スティーブ・アルビニが1992年に Nirvana に送った FAX が公開される | indienative

                2024年5月8日、Steve Albini (スティーブ・アルビニ) が心臓発作のため61歳で他界したというニュースが報じられた。 プロデューサーとして、またミュージシャンとしてインディー・ロック界に多大な影響を与えたスティーヴ・アルビニが、心臓発作のため61歳で他界した。https://t.co/VRSj4W1sd8 — indienative (@indienative) May 8, 2024 この訃報を受けて、Nirvana の X (旧Twitter) アカウントは次のようなポストを公開しました。このポストには、1992年11月17日にスティーブ・アルビニから Nirvana に送られたと思うわしき FAX の内容が掲載されています。 そこには、スティーヴ・アルビニという男の「プロデューサー」という肩書きではなく、「オーディオ・エンジニア」としての仕事への向き合い方、哲学が詰め

                  故スティーブ・アルビニが1992年に Nirvana に送った FAX が公開される | indienative
                • スティーヴ・アルビニ、自身の過去の差別的な言動や表現について語る | NME Japan

                  スティーヴ・アルビニは慣習に逆らう「中二病的な」過去の言動について「当時は何でもありだった」と語っている。 1980年代にレイプマンやラン・ニガー・ランといったバンドに在籍していたスティーヴ・アルビニは『フォースド・エクスポージャー』で友人の児童ポルノを紹介し、2011年のオンライン・フォーラムではタイラー・ザ・クリエイターに人種差別的な言葉を使ったことが報告されていた。 スティーヴ・アルビニはバルセロナでオッド・フューチャーと同じシャトル・バスに乗り合わせた時に「ゲス野郎」と言ったとのことで、「人を絞め殺したいと思ったのは本当に久しぶりだ」と語ったという。 スティーヴ・アルビニは過去の言動を理由に「外そう」としている人たちがいることを知って説明しなきゃならないことがあると思ったと先月ツイートしている。 「無知で特権的な立場から行った過去の多くの言動は明らかにひどいもので、後悔しています」

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                  • スティーヴ・アルビニが愛用した“普通ではない”機材 | ギター・マガジンWEB|Guitar magazine

                    2024年5月7日に逝去したスティーヴ・アルビニ。生涯オルタナティブを貫き続けた彼が愛用したギター、アンプ、エフェクターといった機材から、そのオリジナリティの源を探っていく。 文=村田善行 写真=Michael Ochs Archives/Getty Images “かなり偏屈な変人”、というイメージがついて回るスティーヴ・アルビニだが(有名な『恐怖の社会復帰講座』を読めばそう思わざるを得ない)、実際には物静かで、ハードコアで、インテリジェンスな人だったという。攻撃的な発言や、そのエキサイターをかましすぎたようなアウト・オブ・フェイズのギター・サウンドや、紙ヤスリのようなノイズは、1つの側面にすぎない。 猫を愛し、何年もの間クリスマスには貧困世帯への援助を続けていた。……若いバンドマンにも大物ミュージシャンにも同じように対応し、自分が“クソだ”と思う世界には容赦なくツバを吐く。知れば知るほ

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                    • MONOが「生と死」を語る 人生とバンドの残り時間、スティーヴ・アルビニへの惜別の思い | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

                      MONOの通算12作目となる新作『OATH』がリリースされた。バンドの結成25周年を飾る節目の作品であると同時に、長年のコラボレーターであるエンジニア、故スティーヴ・アルビニと作った最後のオリジナル・アルバムでもある。「時間と人生」という壮大なテーマをこれまで以上にドラマティックに、エモーショナルに描ききったこの作品は、間違いなくMONOの代表作であり、長年海外を中心に着実に積み重ねてきた活動が大きく実を結んだ記念碑的な傑作となった。本作に込めた思いと情熱、そして故スティーヴ・アルビニへの惜別の思いを、リーダーのTakaが語る。 ─通算12枚目となるアルバム『OATH』が発売されました。 Taka:とてもありがたいですね。どうやったら世界中でレコード店に並ぶんだろうかとか、ツアーができるんだろうとか、ずっとそればっかり考えてきたんで。当たり前のようで当たり前じゃない。こうしてコンスタントに

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                      • スティーヴ・アルビニがスタジオで愛され続けた理由が分かる5つの作品

                        スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)の死後、ブルックリン・ヴィーガンに掲載された寄稿文の中で、ソニック・ユースの元フロントマンであるサーストン・ムーアは、彼に対する心からの賛辞を贈っている。その中でムーアは、この世を去ったばかりのこのミュージシャン/プロデューサーを「真の先見性に満ち、創造への衝動を喜びとして生きた人物」と表現した。 一見大袈裟とも思えるこのような賛辞も、アルビニという男にはまったくもって相応しい。彼は自身の専門分野において、まさに唯一無二の存在だったからである。残念なことに、しかし彼はシカゴの自宅で心臓発作を起こしたあと、まだ61歳という若さでこの世を去ってしまった――。2024年5月7日のことだ。 辛辣なウィットに富んでいた彼は、生前、アルバム制作において無駄のないアプローチを採ることでも有名だった。また、彼は最期まで”プロデューサー”という肩書きを嫌い、携

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                        • スティーヴ・アルビニ録音の名盤10選|吉塚千代

                          スティーヴ・アルビニというレコーディングエンジニアをご存知ですか? 日本ではNirvanaの「In Utero」やPixiesの「Surfer Rosa」のレコーディングをはじめ、90年代オルタナティヴロックの重要な名盤を数多く担当したことで有名な、カリフォルニア出身のレコーディングエンジニアです。主にオルタナティヴロックの界隈でトップレベルに著名なエンジニアですが、実際にアルビニのサウンドにはどんな特徴があるのか。どんなアルバムを録っているのか。というのを説明している日本語の記事があまり無いように感じたので、今回はアルビニの"音"にフォーカスをあてつつ、個人的におすすめのアルバムを10枚ご紹介します。(ほぼ自分のためのまとめです) - スティーヴ・アルビニのプロフィール -  スティーヴ・アルビニ(1962年7月22日生 - 写真中央) カリフォルニア出身の音楽プロデューサー・レコーディ

                            スティーヴ・アルビニ録音の名盤10選|吉塚千代
                          • スティーヴ・アルビニとジャズ ~シカゴ中の蔓を辿って~ | TURN

                            2024年5月7日、スティーヴ・アルビニが亡くなった。数日後にはその訃報が日本にも届き、以降多くの方々が哀悼や感謝の意を表している。 おそらく多くのリスナーにとってもそうであろうが、レコーディング・エンジニアとしての彼の存在は特に90年代以降のロックにとっては欠かせないものである。 私自身、彼が関わった作品で真っ先に思い出されるのはスリント『Tweez』(1989年)、Dazzling Killmen『Face of Collapse』(1994年)、ニューロシス(Neurosis)『Times of Grace』(1999年)、ドン・キャバレロ『American Don』(2000年)、Dianogah『Battle Champions』(2000年)、そして彼自身がメンバーであるシェラックの諸作といった辺りで、精神的にはパンク~ハードコアへの熱意を維持しながらも、音楽的にはハードコアの

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                            • 連載The future belongs to analogue loyalistsスティーヴ・アルビニに捧げるメモワールVol.1 | TURN

                              連載 The future belongs to analogue loyalists スティーヴ・アルビニに捧げるメモワール Vol.1 このGW期間、コロナ禍以降、初めて京都の実家に帰省した。年老いているにも関わらず相変わらず元気な母親と、妻の3人で家族水入らずの寛いだ日々を過ごしていたのだが、母親一人暮らしの実家の就寝時間はとても早い。5月8日、その日も昼間は比叡山入口近くのラジウム温泉でのんびり過ごし、家で晩御飯を食べた後の夜の7時には眠たくなって2階の布団に潜りこんだ。そんな早い時間に寝てしまうと当然のように夜中に目覚めてしまう。案の定、午前1時頃に目が覚め、枕元にあるスマホを手にとって何気なくFacebookを開くとFacebookフレンドの投稿の強烈な一文が目に飛び込んできた。 “R.I.P. Steve Albini” えっ?ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。何だこれは? 普

                                連載The future belongs to analogue loyalistsスティーヴ・アルビニに捧げるメモワールVol.1 | TURN
                              • スティーヴ・アルビニが逝去。享年61歳 | NME Japan

                                インディ・ロックの象徴的な存在であり、伝説的なレコード・プロデューサーであるスティーヴ・アルビニが亡くなった。享年61歳だった。 『ピッチフォーク』によれば、スティーヴ・アルビニはシカゴにある彼のレコーディング・スタジオ、エレクトリック・オーディオで心臓発作のために亡くなったという。訃報はスタジオのスタッフによって発表されている。 スティーヴ・アルビニはシェラック、ビッグ・ブラック、レイプマンといったバンドでフロントマンを務め、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』、ピクシーズの『サーファー・ロザ』、PJハーヴェイの『リッド・オブ・ミー』、マニック・ストリート・プリーチャーズの『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』などをプロデュースしたことで最もよく知られている。 シェラックは5月17日に10年ぶりとなるニュー・アルバム『トゥ・オール・トレインズ』をリリースして、ツアーに出ることを発表して

                                  スティーヴ・アルビニが逝去。享年61歳 | NME Japan
                                • スティーヴ・アルビニ、ニルヴァーナとマニックスとのレコーディングについて振り返る | NME Japan

                                  スティーヴ・アルビニは『NME』のインタヴューでニルヴァーナの『イン・ユーテロ』や「知的で気取らず、愉快だった」マニック・ストリート・プリーチャーズとの仕事などを振り返っている。 ピクシーズ、ブリーダーズ、ユアコードネームイズ:マイロー、PJハーヴェイらと仕事をしてきたスティーヴ・アルビニはシカゴのエレクトリカル・オーディオ・スタジオでインタヴューに答え、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』とずっと関連付けられることは烙印だとは思っていないと語っている。 「普通のことだと思うし、完全に理にかなっていると思うよ」とスティーヴ・アルビニは『NME』に語っている。「僕について知らない人に僕を紹介するとしたら、僕が手掛けた最も有名な作品を挙げるだろ。『イン・ユーテロ』は最も有名な作品だからね」 スティーヴ・アルビニは全世界で成功を収めた『ネヴァーマインド』の次の作品を手掛けたことは「ごくごく普通のこと

                                    スティーヴ・アルビニ、ニルヴァーナとマニックスとのレコーディングについて振り返る | NME Japan
                                  • デイヴ・グロール、クリス・ノヴォセリック、スティーヴ・アルビニがニルヴァーナ『In Utero』を語る

                                    ニルヴァーナ(Nirvana)の元メンバーとして知られるデイヴ・グロールとクリス・ノヴォセリック、そしてプロデューサーのスティーヴ・アルビニがコナン・オブライエンのポッドキャストに出演し、ニルヴァーナや当時の並外れた成功、そして今週10月27日に30周年を記念したリイシュー盤が発売されるアルバム『In Utero』について語った。 <関連記事> ・ニルヴァーナ『In Utero』: 90年代を代表するバンドのラスト・アルバム ・スティーヴ・アルビニ、カートとの出会いや『In Utero』の制作を語る ・ニルヴァーナのベスト・ソングス20曲:グランジを代表した世代の代弁者 デイヴ・グロールは、ニルヴァーナが爆発的な人気を得ていった1991年当時をこう振り返っている。 「バンドが人気になった1991年当時、俺たちはとても若かった。俺は21歳か22歳…まだ子供だった。過ぎ去った時間の長さについて

                                      デイヴ・グロール、クリス・ノヴォセリック、スティーヴ・アルビニがニルヴァーナ『In Utero』を語る
                                    • スティーヴ・アルビニ、カート・コバーンとの出会いやニルヴァーナ『In Utero』の制作を語る

                                      伝説的プロデューサーのスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が、シカゴにある彼のスタジオ“Electrical Audio”でNMEの取材に応じ、ニルヴァーナ(Nirvana)が1993年に発表したラスト・アルバム『In Utero』でのバンドとの仕事を振り返っている。 <関連記事> ・ニルヴァーナ『In Utero』: 90年代を代表するバンドのラスト・アルバム ・ニルヴァーナのベスト・ソングス20曲 彼は、ニルヴァーナの後世に語り継がれる革新的アルバム『Nevermind』に続く作品となった『In Utero』のレコーディングについてこう語っている。 「セッションについて、普通でないことは何もなかったよ。つまり、彼らが非常に有名になっていたことを除けば、だ。ファンで溢れかえらないようにするために、できる限りのことをしなければならなかったし、無意味なこともあった。それが唯一、い

                                        スティーヴ・アルビニ、カート・コバーンとの出会いやニルヴァーナ『In Utero』の制作を語る
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