そーいえばなんだっけ、むかーしなんかの炎上で「日本人は原爆や天皇をネタにされても笑ってスルーしますよw」とかいってた人がいた記憶が今ふっとよみがえりました。 大嘘でしたね!(満面の笑みで放火
2021年8月15日、アシュラフ・ガニ大統領の国外脱出からわずか数時間後に、大統領府を占拠したタリバンの戦闘員たち。現在、アフガニスタンの政権はタリバンが掌握している。(PHOTOGRAPH BY ZABI KARIMI, AP) 1839年、英国はアフガニスタンに侵攻し、シュジャー・シャーをアフガニスタンのアミール(首長)として王位に復帰させた。しかし、1842年にシュジャー・シャーは暗殺された。英国は3度にわたってアフガニスタン併合を試みたが、その目的はロシアの領土拡大を阻み、インドにおける植民地の権益を守ることだった。(LITHOGRAPH VIA ALAMY) 1880年、第二次アフガン戦争(アングロアフガン戦争)のマイワンドの戦いにおいて、英国軍とインド軍を撃破するアフガニスタン軍。(ILLUSTRATION VIA HULTON ARCHIVE/GETTY IMAGES) カイ
人類の出現から文明の形成へ 年 代事 項 700万年前 直立歩行する人類の出現。化石人類・人類の出現年代 450万年前 ラミダス猿人の出現。 420万年前 アウストラロピテクス(猿人)の出現。 250万年前 旧石器時代 打製石器の使用。 道具、言語の使用が始まる。 ホモ=ハビリスの出現。 190万年前ホモ=エレクトゥス(原人)が出現。 100万年前ジャワ原人の出現。 60万年前ハイデルベルク人(旧人)の出現。 50万年前北京原人の出現。周口店 この頃火の使用の出現。 20万年前ネアンデルタール人が広がる。 20万年前アフリカにホモ=サピエンス(新人)が出現。 16万年前 クロマニヨン人の出現。 16~10万年前 現生人類(ホモ=サピエンス)の拡散。 18000年前アルタミラやラスコーなど、洞穴絵画が造られる。 14000年前人類が陸橋だったベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に入る。
パンの施しを受けるブルカ姿のアフガニスタン人女性ら。アフガニスタンでは生活困窮者が増えており、人道危機が高まっている=11月14日、カブール、ロイター 3人は日本で暮らすアフガニスタン7人家族の父と母、三女。父親が2011年に単独で来日して自動車関係の会社を設立した。それ以降、順々に家族を呼び寄せ、3年ほど前に全員がそろった。 今年4月中旬、文化の違いから日本での生活に負担を感じ始めた母親を気遣い、父が一時帰国を決断。父母と三女が首都カブールに戻った。残りの子ども4人は日本で帰りを待った。 ところが滞在中にハプニングが起きた。親戚が新型コロナウイルスに感染して急逝し、葬儀の準備に追われるなどしたため、日本への帰国を6月に延期した。 すると日本側が新型コロナの水際対策を強化し、再入国が制限された。その矢先、タリバンが8月15日、電撃的にカブールを陥落させ、帰国のめどは完全に立たなくなった。
デビュー60周年の節目に過去の試合を、時には笑顔を見せ、時には険しい顔で振り返った 【撮影:菊田義久】 今年でデビュー60周年を迎えたアントニオ猪木が、3つのターニングポイントを振り返る本企画。連載1回目は、10万人の観衆の前で相手の腕を折るという凄惨(せいさん)な試合となったパキスタン遠征でのアクラム・ペールワン戦の前編をお送りする。当時の生々しい様子を語ってもらった。 ――デビュー60周年、おめでとうございます! 今回は60年を振り返り、猪木さんに思い出深い国や出来事を3つ、挙げていただきました。最初はパキスタン。伝説の死闘「アクラム・ペールワン戦(1976年12月12日、パキスタン・カラチ)」が行われた国ですね。 モハメド・アリ戦(1976年6月26日)があって、俺は普段、自分の試合の記事をあまり読まないんだけど「茶番劇だ。世紀の凡戦だ」とボロクソに書かれましたよ。それが今では、大変
アフガニスタンで農業支援中に凶弾に倒れた医師中村哲さんの告別式が11日、福岡市で営まれた。中村さんが現地代表を務める福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の村上優会長(葬儀委員長)は追悼の辞で「先生は、苦難について私たちに語ることは少なく、いつも前を向いて淡々と歩まれました」と霊前に呼びかけ、「中村哲先生の意志を守り事業継続に全力を挙げます」と誓った。 追悼の辞の全文は以下の通り。 ◇ ◇ ◇ 追悼の辞 中村哲先生。先生の御霊を前にお話しするなど考えもしませんでした。今の私には、先生の死を受け入れる余裕はありません。いくら力を振り絞っても、押し寄せる悲しみに圧倒されるばかりです。ですがペシャワール会の会員を代表して言葉を述べよと多くの人々が私を後押ししています。中村先生、力をお与えください。 中村先生。先生がヒンズークッシュ山脈のティリッチミールに登頂された翌年の1979年、ト
中村哲・澤地久枝(聞き手)「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る ――アフガンとの約束」 2019年12月、アフガニスタンで銃撃により命を落とした中村医師。旧ソ連軍の武力侵入、内戦、さらには米英軍の空爆、相次ぐテロなど、戦火が脅かし続けるアフガンの地で長年、ハンセン病などの治療や難民の診療に従事しました。2000年に起きた史上空前の干ばつ以降は、井戸掘りや用水路を造る活動に奔走。貧しい人々や病める人々に生きていく具体的な答えをもたらそうと、その活動は揺るぎないものでした。 中村医師はなぜ人生の大半をこの活動に捧げたのでしょうか。そこには、どのような思いがあったのでしょうか。 クリスチャンとしての信仰、幼いころに素読した論語、家族に対する情の厚さ、「縁の下の力持ち」だったという妻や家族、PMS(平和医療団日本)職員らの支え……。作家・澤地氏との対話から医師の素顔が浮かび上がっていきます。 水
2003年8月、アジア地域で大きな社会貢献を果たした人に贈られる「マグサイサイ賞」を受賞した中村哲さん。フィリピン・マニラにて。 David Greedy/Getty Images 12月4日の14時過ぎ、打ち合わせの最中に編集長の浜田敬子からメッセージが飛んできて、中村哲さんが銃撃されたことを知った。 すでに国内海外問わず多くのメディアが報じているように、中村さんはアフガニスタンで40年近く医療や人道支援を続けてきた医師だ。 「命に別状ないことを祈るばかり」と編集長には返信したが、いま思えば完全な嘘だ。心の中では、助かるまいと感じていた。およそ2時間後、同僚編集者の山口佳美が「中村医師死亡」の報道を伝えてくれた。 「中村さんが死ぬ」と思ったのは直感や霊感ではない。帰国を挟んで2001年から足かけ2年をアフガニスタンやパキスタンで過ごした自分の経験と、ここ数年の同国の治安状況を頭の中で重ね
お前らってガチで海外とか行かないんだな!! 2021年01月02日20:00 カテゴリ海外・異文化旅行 1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/12/25(金) 01:17:04.125 ID:/YBrlngm0XMAS 日本人のパスポート取得率25%ってマジかよ ビジネス除外したら更に海外行く人ってかなり少ないんやろうな せっかくどこでも行ける世界最強のパスポートなのに こちらもおすすめ スポンサード リンク 2: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2020/12/25(金) 01:17:28.261 ID:Li1bLqWA0XMAS 行くけど 3: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/12/25(金) 01:19:16.290 ID:/YBrlngm0XMAS >>2 遊びで? 4: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2020/12
写真 : ケシ畑を破壊する政府軍(ヘルマンド州) 黄金の三角地帯は多くの方が耳にしたことがあるとは思います。タイ、ミャンマー、ラオスにまたがる麻薬地帯ですが、そこで生産される年間のアヘンの総量をはるかに上回る、世界で最もケシの栽培が盛んな地域があります。それが黄金の三日月地帯と呼ばれる、アフガニスタン、イラン、パキスタンです。ただ、イランやパキスタンは麻薬の経由地として主に機能しており、生産を一手に引き受けるのは、アフガニスタンになります。20年も前の取材を今さら話すのもどうかと思いますが、現状、さほどの変化はないように思えます。ただ、タリバンが政権を握った今、宗教上の理由、また国際社会からの援助を引き出すために、ケシの撲滅に乗り出す可能性はあります。 ・なんとなく訪れてみたアフガニスタン アフガニスタンにアメリカが侵攻してから2年半ほどが経った頃、2004年、僕は二度のカシミールの取材を
三上(意味レベル):矛盾を抱えつつも、稀有な現地経験を伝えてくれる。 2から4(感情ステップ):アフガニスタンへ旅立ち、幸福を考え、奮闘する。 1993年、ちくまプリマーブックス刊。2005年、ちくま文庫。 著者:中村哲(Nakamura Tetsu)、編集:筑摩書房。 随想、38字×16行×221頁(多くの写真頁を含む、目次タイトル白7頁)。 構成スタイル:批評日記。 主張:記録、啓発、自尊。 主なジャンルと要素:ノンフィクション、私小説、随想、社会、倫理、人情、青春、冒険。 批評「アフガン内戦」 本書は、中央アジアに位置してインド共和国の北西にあたるアフガニスタン・イスラム首長国とパキスタン・イスラム共和国の国境山岳地域(北西辺境州)へ医療支援に入った中村哲の活動報告である。 現地は西暦二〇二三年現在も不安定な情勢にあり、本批評を読むタイミングによって国名さえ変化しているかもしれないが
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米中央情報局(CIA)がイブラヒムをロックオンしたペシャワルの中心市街。アフガニスタンに抜けるカイバル峠や、国際テロ組織「アルカイダ」の潜むワジリスタンを結ぶ交通の要衝にあたる=会川晴之撮影、2014年3月2日 「1人のクーリエ(伝書使)に我々は注目した」。オバマ米大統領によるビンラディン殺害公表から約30分後、ホワイトハウス高官は追跡劇の決め手を記者に説明し始めた。 国際テロ組織「アルカイダ」は、機密保持のため通称で呼び合うのが習わしだ。アル・クウェティは、中東のクウェートで育ったことから、この名がついた。イラク出身者に「アル・イラキ」、リビア出身者を「アル・リビー」と名付けるなど、同様の例は数多い。 アル・クウェティ、後にイブラヒムとわかる男の故郷はパキスタン北部。父はパキスタン特産のハチミツをクウェートで販売する業者だった。自宅に近いモスクの導師がパキスタン出身だったこともあり、家族
朝6:00起床。 着替えてロビーでまったりと寛ぐ。 私がグレープジュースが好きなのは公言しているので、全国の桂華ホテルではオレンジジュースだけでなくグレープジュースのサーバーも用意されている。 地味に他のホテルと比べてポイントが高い。 TVは経済ニュース専門チャンネル。 朝から芸能人のスキャンダルだの殺人事件だのを見るよりもまだこっちの方がましである。 問題は、もっと生々しい経済なる化物を見ているという現実なのだが、それには触れないように。 『米国市場はハイテク株を中心に動揺が収まっていません。 ゼネラル・エネルギー・オンラインの不正会計は次々とスキャンダルが出てきており、カリフォルニア州の大停電では停電を長引かせるような会話が公開されたことで有権者の怒りが爆発。 同業他社への売却交渉も難航しており……』 分かってはいたが見たくないニュースが最初から炸裂している。 で、その次がこれだから芸
2023年08月23日19:00 アレクサンドロス三世「改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ」 カテゴリ偉人世界史 waruneko00326 Comment(26) 1: 世界@名無史さん 2017/01/09(月) 05:20:27.52 0 改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱギリシャも統一できるしさ、小アジアも制圧できちゃうし、ほんでエジプトも占領できるでしょ? ほんでーさらにはペルシアも滅亡させてるって?ほんでーアレクサンドリアも作ってるって? なかなかできないよそういうことは なかなか難しいと思うよそういうことは そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ やっぱ俺って凄いんかなぁ 276: 世界@名無史さん 2017/06/28(水) 01:37:44.42 0 ハンニバルやカエサルが憧れた英雄の中の英雄ですねぇ 278: 世界@名無史さん 2017
数学伝奇SF。『0』という概念とのファーストコンタクト。一般に、『0』という概念が初めて書物に記されたのが628年のインドで、記した人物はブラフマグプタという天文台長だったらしい(天文台だとイメージが現代っぽいので作中では星見台に変更した)。話のスタートはそこだったのだが、それだけで書くとなんとなくテッド・チャンっぽい。なので、西遊記のモデルとなった玄奘三蔵の活動(602年~664年)と娯楽活劇たる西遊記を掛け合わせたのだが、いつものごとくアイデアはあれど知識の拡充は追いつかない。実作を書くのなら、西遊記と6~7世紀のインドとインド数学に関しての本をもう少し攫って書きたい。タイトルは、無何有郷に天竺と0の意味を込めて。……主人公の名前、長すぎでは? 628年 世界で初めて『0』を数字として扱った天文書『ブラフマスプタシッダーンタ』が記される、著者の名はブラフマグプタ。 645年 長安にイン
世界史の目 偉大なるロマンを求めて! 学習塾塾長がお届けする、あらゆる世界で産まれた雄大なロマンをご紹介するサイトです。 ◀第9話▶ アーリア人 紀元前2300~紀元前1800年の間、南アジアに位置するインド亜大陸は青銅器文明が栄え(インダス文明)、ハラッパー遺跡(インダス川上流・パンジャーブ地方)、モヘンジョ=ダロ遺跡(インダス川下流のシンド地方)を残した。しかし陵墓や宮殿跡、あるいは武器、王の彫像などがみられず、どちらかといえば庶民生活関係の遺物が多く出土した。 この文明の真の滅亡原因は不明だが、河川氾濫・気候乾燥化・交易中断・統制者の死亡などの諸説があり、その中で、侵入民族の破壊説もあったが、年代のズレがありこの説は否定されている。その侵入民族がアーリア人であった。東方系のインド=ヨーロッパ語族であるアーリア人は、もともと中央アジアの草原地帯で遊牧生活を営んでいたが、紀元前2000年
Profile 1954年(昭和29年)、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『新書 沖縄読本』 (講談社現代新書) 、『「生き場」を探す日本人』 (平凡社新書) 『アジアでハローワーク』ぱる出版、世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ (新潮文庫)、旅行者に人気の『歩くガイドシリーズ』(メディアポルタ)など。最新著書 『「生きづらい日本人」を捨てる』 が12月に発刊予定。 Tweet 1 2 3 全文 紙でも電子でも「圧倒的に面白いもの」を作らなくては 旅行作家である下川裕治さんは、すでに学生時代から「慶應義塾新聞」などに旅行記やエッセイを発表されています。大学を卒業後は
どうやら、コロナ騒動もあって、「平熱になって丸2日」でないと出勤可にならないようだ。 今朝から平熱だし、もともと「月曜までは出勤停止」と言われていたので仕方なく自宅待機。 結局、電話がかかってきたり、大量のメールを捌いたりと、もう少し寝てたいなぁの気持ちをよそにリモートワークの一日。まあ、本来自分が職場でやらねばいけないことを周囲の同僚が職場で代わりにやってくれているので、一切の文句は言えないし。 リモートワーク終了後、読みかけていた本を読了。 アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫) 作者:中村 哲 発売日: 2005/02/09 メディア: 文庫 去年、凶弾に倒れたペシャワール会の医師・中村哲さんの初期の活動を綴った本。 この頃はまだ井戸は掘っていない。 カイバル峠をはじめとする、アフガンの険しい山とそれに囲まれた村、部族社会を彩り豊かに描いている。 ハッキリとした特徴を捉えて活きい
2022年01月01日23:46 滑走路を横切る線路 カテゴリ航空関連軌道車関連 「コーラの前を横切るヤツ!」 「それはサスケ」 (昭和ネタ) ネットを始めた頃に見かけたこの画像 何処だろうと興味は募れど調べ方が分からなかったのと洪水のように入ってくる他の情報に押し流されてそのままとなっていました。 で、近年になってググル先生が「画像で検索」という超スキルを身に付けたおかげでその正体が分かりました。 ギズボーン空港Gisborne Airportというニュージーランド北島東岸にある地方空港です。→■ 同空港は1930年に開設され、当初は未舗装の3本の滑走路を持っていました。この未舗装滑走路は現在も小型飛行機の離着陸に使用されているそうです。 1964年に高速・大型化する旅客・貨物機に対応するため全長1310mの4本目の舗装滑走路が開設されました。→■ この時空港敷地の南側を走っていたパルマ
紀元前のインドの地図を確認してみますと上の方に『カイバル峠』という地名があるのが分かります。現在のパキスタンとアフガニスタンの間にある峠で、高く険しい山が複数あるこの地域において数少ない西の陸地からの侵入地点であり、アレクサンドロス大王も侵入した地点です。 このカイバル峠から紀元前1500年頃、アーリア人がやってきたと言われています。この時点でアーリア人の中には未だ貧富の差や地位の差は生まれてなかったようです。インド亜大陸に侵入してきた時点では、まだ鉄器の使用もありませんでした。 アーリア人達は雷や火などの自然を崇拝し、様々な祭式が行っています。そのような宗教的知識を収めたのが『リグ=ヴェーダ』です。サンスクリット語の古い形であるヴェーダ語で書かれており、リグは『讃歌』、ヴェーダは『知識』を意味しています。 以前インダス文明とは??で書いた『サラスワティー川』 と呼ばれる大河(ガッガル・ハ
【アフガン旅行記】18年前の21歳の夏。僕はアフガニスタンの首都カブールにいた。 2021.8.18 / 松本潤一郎 /モンドトリップ 2003年8月15日にアフガニスタンの首都カブールに僕は居た。 いまから18年前、タリバン政権が倒されてから約1年後のこと。 そして、2021年8月15日にふたたびタリバンがアフガニスタンの全土を掌握。勝利宣言が出された。 米軍撤退に合わせたとはいえ、もうこれは、アフガニスタン国民の民意がないとなしえないだろうと思う。 西側の国から漂う虚無感、そわそわする様な感覚、どこかタリバン政権に淡く期待したくなるような複雑な気持ちがいま、自分の中にある。 これからどうなるのかは全くわからないけれど、 PCのフォルダで眠っていたままになっている18年前のアフガニスタンの写真を呼び覚まし、当時のことを書いてみようと思う。 21歳の頃。写真の場所はインドのラダック 写真の
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