2011年3月12日、東日本大震災の発生翌日。 未曽有の大災害に見舞われた日本を支援するため、アメリカ軍が開始したのが「オペレーション・トモダチ」=「トモダチ作戦」だった。 兵士2万4000人が投入された「日米最大の作戦」は、どのように実行されたのか。 その舞台裏を、関係者はきのうのことのように克明に語った。 (ワシントン支局記者 辻浩平)
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トモダチ作戦に隠れた熾烈な攻防戦──10年後に明かされた驚愕の真実!/文・麻生幾(作家) ▶︎アメリカ軍は震災発生の直後から救助や生活支援の作戦を展開していた。だが、それとはまったく別のところで、密やかな“日米の熾烈な攻防”があった ▶︎「BCAT横田調整所」のチームは、日本がアメリカに統治される可能性について真剣に危惧していた ▶︎第7艦隊の作戦拠点である神奈川県・横須賀まで、部隊行動に影響があるほどの汚染が広がった場合を「重大決断」のタイミングだとアメリカ軍は認定した原発事故の情報を隠している 2011年3月上旬。福島第1原子力発電所の事故が発生して数日後、在日アメリカ大使館の駐在武官から、一通の極秘公電がアメリカ・ワシントンにある国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。 そこには政府機関の公文書にも関わらず感情的な言葉が幾つも並べられ、最後をこう結んでいた。 〈日本政府は、原発事故に
~今日の一言(NO.306)~ ・アメリカ海軍副長アーレイバークは、大東亜戦争(ソロモン海戦)で 親友や仲間を大勢失い、「日本人を一人でも多く殺すなら重要だが、 日本人を殺さないならそれは重要ではない」とまで言った人である。 バークが日本滞在時に利用していた帝国ホテルの従業員(ソロモン 海戦で夫を亡くした夫人)の思いやりの行動や発言がバークの日本観 を変えて行った。 バークがその従業員との話の中で「ご主人を殺したのは私か もしれない」と謝罪したときに、彼女が毅然として「提督が夫と戦い、 提督が何もしなかったら提督が死んでいたでしょう。誰も悪いわけ ではありません」と言ったことなどから、私と同じ境遇にあるにも かかわらず、自分の立場から離れ、公平に物事を見て対応できる 人がいるのに「私は何なんだと」思い、日本人に対する考え方が 変わって行ったという。 その後バークは、反日感情がまだまだ多い中
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