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パソコン通信の検索結果201 - 240 件 / 497件

  • 子供のとき「たった一つのフレーズしか憶えていない曲」を求めて、CD屋さんを回った話。

    ある夏の暑い日、ぼくはたった一つのフレーズだけを抱きしめて、自転車で名古屋中のCD屋を探し回っていた。 正確な時期は覚えていないのだが、多分ぼくは小学生高学年くらいだったのだと思う。 まだ中学には入っていなかった筈だ。 となると「名古屋中のCD屋」というのはもちろん誇張で、実際には東山線沿線の、しかも今池から藤が丘くらいまでのめぼしいCD屋全部、というくらいが関の山だったろう。 けれど本人の意識的には、それこそ名古屋中の店を駆け回っているような気分だった。 子どもの記憶というのはいい加減で、けれど部分的には妙に鮮明で、ふとした拍子に訳が分からない程の存在感とセットで記憶の断片が浮かび上がってくることがある。 その時浮かび上がっていたのは、「ずっと昔に聞いた音楽の断片」だった。 一度ちょっと聴いただけの曲のフレーズが、妙に耳に残ることはあるだろうか? ぼくには昔からその傾向があって、小さいこ

      子供のとき「たった一つのフレーズしか憶えていない曲」を求めて、CD屋さんを回った話。
    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***19日目(2月4日)*** - 森の奥へ

      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から19日目です。郵便届く。 2月4日(土) きのうは泊まらずに済んだので、今日は朝から休み。 昼頃、ドアを開けると、ポチが我が物顔に入って来る。ポチはしばらく前から近所を縄張りにしているらしい野良猫(たぶん)。丸々太っていて、愛想がいい。名前は僕が勝手に付けた。 昼食用に焼いていたイワシの干物をやる。僕はその横で遅い昼食をとった。 夕方近く、弟からお風呂においでの電話がかかる。 20時過ぎに家を出る。でがけにポストを見るとM代(※前任校での教え子)から手紙が来ていた。 久しぶりに国道2号線を走る。緊急車両専用らしき車線を前の車に続いて入って行くと、なんとなく走れてしまった。お風呂を借りて、少し雑談。粕汁をごちそうになる。 22時半頃玉津(※西区、弟の自宅近く)を出て、

        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***19日目(2月4日)*** - 森の奥へ
      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***11日目(1月27日)*** - 森の奥へ

        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から11日目です。 1月27日(金) 初日の24時間が終わる。朝帰宅。 夜、屋辺さんから電話をもらう。 ニフティサーブ、京増氏にメールを書くことを思い立つ。 #山猫        M*I00*04 95/01/27 21:55 題名:はじめまして ニフティに接続して初めて届いたメールが 京増氏からでした。 電話とも違うし、手紙とも違う、 とっても不思議な感覚を味わいました。 その後、大学の先輩からの年賀状の隅に IDが書かれているのに気付き、 その返事に僕のIDを書き添えました。 そして数日後、メールが届きました。 「メールが届いています。(未読分一通)」 このメッセージには未だに心時めくものがあります。 京増氏が2通目のメールを送信されたのは1月17日。 その日の早朝

          震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***11日目(1月27日)*** - 森の奥へ
        • インターネット老人会大歓喜! 歴代のネット流行語をLINEスタンプにするアイデアが「クオリティタカスw」

          「キター」「GJ」「ggrks」などネット上で流行したスラングを「LINEスタンプ」にした、「時代を彩ったネットスラング」が注目を集めています。これはクオリティタカスw Twitterで注目を集めている「時代を彩ったネットスラング」 使いどころしかなさそうなラインアップ 話題を呼んでいるのはネットで流行した用語=スラングをLINEスタンプにまとめた「時代を彩ったネットスラング」(120円)。「インターネット老人会の皆さん、お待たせしました」と作者がスタンプの完成を報告したところ、投稿から1日で1万3800件を超える“いいね”が寄せられています。 肝心のスタンプの内容はというと、「キター」「オワタ」など一般にも浸透したものから、「wktk」「orz」「ノシ」「オナシャス!」「ぬるぽ」「ガッ」など、ネット老人会の人々にとっては懐かしすぎて涙が出てきそうなワードが満載。 筆で手書きされたデザイン

            インターネット老人会大歓喜! 歴代のネット流行語をLINEスタンプにするアイデアが「クオリティタカスw」
          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***42日目(2月27日)*** - 森の奥へ

            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から42日目です。おばちゃんと気の合う日。 2月27日(月) 今日は、F井さん(※本庁職員)と被災家屋再調査のペアを組む。午前中は僕が主になり、午後からはF井さんが主になる。F井さんはどちらかというと口ベタな方なのか、横で話を聞いていると少し焦れったくなるほどだ。ま、その辺りはお互い様かも知れないが。 午後の1軒目に会下山町2丁目の家を尋ねたが、すぐに証明書が欲しいということでF井さんが一度区役所まで戻る。その間、おばちゃんの話し相手を務める。結構話しが盛り上がる。 最後に再調査した氷室町1丁目の駄菓子屋さんのおばちゃんとも話が盛り上がる。13歳の時、疎開先の長崎で彼女は原爆も体験したんだそうだ。 母が久しぶりに帰宅する。いろいろ話し込む。今日はおばちゃんと気の合う日だ

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            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***12日目(1月28日)*** - 森の奥へ

              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から12日目です。 1月28日(土) 朝、母と一緒に出勤。 午前中、家屋調査、午後は公会堂で待機。区の職員は公会堂内に電話を引き込み、救援物資の在庫に合わせて、避難者へ配給する弁当やサンドイッチの手配に追われている。あちらこちらに物資を詰めた段ボール箱が積まれており、どこに何が入っているか、どれが新しくてどれが古いか、何度か確認する。 夜、本庁(※神戸市役所)からの呼び出しで、Y田さん帰る。 待機の時間を利用して、おそらく係長試験の勉強をしているらしい職員もいる。本来の仕事があり、ここでの仕事があり、将来のことがあり、大変だ。 深夜1時頃物資の搬入があり、その後は読みかけの本を2時頃まで読む。この日は文庫を二冊読み終える。読後もなかなか寝付けない。 当時、神戸市兵庫区へ

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              • 第664回 スマートフォンをWebカメラとして使う | gihyo.jp

                リモートワーク時代の三種の神器のひとつがリモートミーティング用のWebカメラです。今回はWebカメラとしてスマートフォンを使ってみましょう。 スマートフォンをWebカメラ化する「DroidCam」 リモートワークでは個々の勤務地が物理的に離れたところになるため、どのようにコミュニケーションを取るかが重要な要素となってきます。とは言え、ネットワーク越しのコミュニケーションはパソコン通信・インターネットの世界においては当然のごとく行われてきました。 電子メールや電子掲示板など文字中心のやりとりも、チャット[1]やインスタントメッセンジャー[2]のようにリアルタイム性の高いもの、各種SNS[3]やアバター・音声・動画[4]による通話などが登場します。インターネットの普及と回線の増強に伴い、できるだけリアルタイムに、声や顔も見える形のコミュニケーション手段が充実していったのです。 どの手段も「メイ

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                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***39日目(2月24日)*** - 森の奥へ

                  26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から39日目です。北海道から応援に来られた水道局の人に、わが家の漏水箇所の修理をしていただきました。 2月24日(金) 北海道の水道局の人が家にやってくる。5人がかりでいろいろ家の中を見て回り、1階のトイレの下が漏水箇所だ、と突き止めてくれる。縁の下を調べた時に、そこにヘルメットを忘れてくるハプニングがあったり、トイレのパイプを手持ちの材料で北海道の佐々木さんが直してくれたり、本当に親身になって心配してもらった。でも、結局完全に修理してしまうことはできず、使用する時だけ本栓を開けるように言われた。何度も何度もご苦労様を言う。 北海道のどこから来てもらったのか、訊くのを忘れていた。あわてて道路まで追いかけて行って作業の車を探したが、札幌ナンバーということしか確認できなかっ

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                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***17日目(2月2日)*** - 森の奥へ

                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から17日目です。 2月2日(木) 夜勤明けの日。 朝、弟より電話をもらう。お風呂においで、とのお誘いだった。せっかくだけど、どうしようもなく眠いので断る。今は風呂よりじっくり休みたかった。電話を切って、さらに寝る。ぐっすり眠る。 13時半、目がさめ、昼食をとる。 昼食後、また眠る。 これまで何度か日記を付けたことはある。数年続いたこともある。でも、何かの拍子で途切れてしまっていた。今回のことは、これまでとはまた別の意味で記録しておかないといけない、という気がしている。昨日までの分を、メモを元にまとめて書く。かなり忘れかけている。 ※この日の日記を読むと、あの日からの出来事を17日経った2月2日になってようやく文章にまとめたようです。パソコンで書きました。ですので、この

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                    • 「飛行機を自ら設計し、作り、乗って飛ぶ」 一流の航空機設計者を目指す技術者の挑戦(ROKKO WORKS)

                      HOME ものづくり 「飛行機を自ら設計し、作り、乗って飛ぶ」 一流の航空機設計者を目指す技術者の挑戦(ROKKO WORKS) ものづくり 2019年10月16日 「飛行機を自ら設計し、作り、乗って飛ぶ」 一流の航空機設計者を目指す技術者の挑戦(ROKKO WORKS) 貰った名刺には「宮内空野」とあった。 「そらの、と読みます。変な名前でしょ。父も母も空が好きだったので……」と、宮内さんは言う。 変などころではない。これほど相応しい名前を持つ人もめずらしい。なぜなら、彼は今、自分達の飛行機を作ろうとしているのだから。 ROKKOW WOKKS代表 宮内空野さん 宮内さんの名刺には、「新明和工業 航空機事業部」と書いてある。新明和は航空機事業部を擁し、海上自衛隊向け救難飛行艇「US-2」を製造する会社だ。では宮内さんの「自分達の飛行機」とは、新明和の新製品なのか。 そうではなかった。神戸

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                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***26日目(2月11日)*** - 森の奥へ

                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から26日目です。 2月11日(土) 6時45分、起床。 今日は土曜日で罹災証明書の発行は受け付けていない。10時より湊川公園の掃除をする。仮設トイレ周辺が悲惨な状況。汚物があふれ、臭いもひどく、正視できるものじゃない。 1時より拠点配布の荷物積み込み。本庁の職員は配布に同行しなくてよいとのことで、午後は物資の搬入と明日配布するロープ作り。隣では海外から救援物資として贈られてきた巨大テントを設営していたが、組み立て方が分からず、ずいぶん手こずっていた。 5時頃より夕食をとり、5時半終了。 夕食を少なめにして家でビールを飲むつもりだった。缶ビールを買って帰り、昨日母が大量に作ってくれていた煮物をあてに飲む。 途中、電話。I淵(※高校時代の親友、東京在住)からだった。3月の

                          震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***26日目(2月11日)*** - 森の奥へ
                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***27日目(2月12日)*** - 森の奥へ

                          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から27日目です。 2月12日(日) 8時起床。 家から徒歩3分ほどのところに月極で借りている駐車場に行ってみると、出入口の鎖に鍵がかかっている。近所の美容室がオーナーで、電話をかけるとおじさんが慌てて自転車で来てくれた。このところ、勝手に駐車する人が後を絶たなくて、おまけに注意すると逆に開き直られることもあるので鍵をつけたとのこと。 昨日は母親の誕生日だった。地震で割れてしまったので、新しい茶碗と湯飲みとお箸をプレゼントすることにする。 ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net ※今日はもう一つ記事を投稿しました。よかったらご訪問ください<(_ _)> www.keystoneforest.net よければtwitterものぞい

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                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***33日目(2月18日)*** - 森の奥へ

                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から33日目です。 2月18日(土) 寒い一日。午前中6軒、午後5軒、被災家屋の再調査に回る。最後に一昨日尋ねた楠堂(※和菓子店)のおばあちゃんに書いてもらっていた書類を受け取りに行き、まんじゅうを貰う。 会下山(※兵庫区、わたしの自宅があります)に復旧工事の手が入り始めた。兵庫区内のインフラは徐々に戻りつつあるのに、倒れた家が多く路地を入っていけない会下山の復旧は、ずいぶん遅れていた。 家の水はまだ出ない。帰宅後、消防署(※兵庫区役所と同居)へ水汲みに行く。消防署は区役所と同じ建物にあり、いつでも自由に水をもらうことができる。 D本先生、N村先生(※前任校の同僚)に電話。明日お風呂を借りに行くことにする。 広報こうべ 兵庫区版「ひょうご」(1995年2月18日) 写真

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                            • 大河原克行のNewsInsight(159) Happy Hacking Keyboardの軌跡と新たな一歩

                              リコーによるPFUの子会社化によって、意外な形で注目を集めたのが、PFUが発売しているHappy Hacking Keyboard(HHKB)である。リコーによる記者会見でも、記者からHHKB事業の継続について質問が飛び、リコー コーポレート上席執行役員 リコーデジタルプロダクツビジネスユニットプレジデントの中田克典氏が「キーボード事業は大切にしていく。楽しみな事業のひとつである」と回答。リコー傘下となっても継続的に製品開発、販売する姿勢を明確にした。 PFUのHappy Hacking Keyboard(HHKB) そのHHKBの第1号モデルとなるKB01が発売されたのは、1996年12月のことだ。2021年12月には、25周年の節目を迎えており、シリーズ累計出荷台数は、2021年5月に60万台を突破。熱狂的なファンが多い製品でもある。リコーによるPFU子会社化の動きを機に、その歴史を紐

                                大河原克行のNewsInsight(159) Happy Hacking Keyboardの軌跡と新たな一歩
                              • 雑記:はてなハイク復活の夢 - ネギ式

                                世間の一部ではイーロン・マスクによるtwitter買収から、逃避先をどこにするかという話になっているようだが、俺もはてなハイク復活などとブコメに書いたりしたわけだが、夢は夢なんだよなぁ。 twitterにしても、そもそも収益化出来ないのが問題なわけだよ。そして収益化できるようでは使い勝手が悪い。この手のシステムは利用者を集めておいて将来収益が出来ると思わせて投資を呼び込むことによって成立していたと思うのである。(はてなが投資を呼び込めたかどうか知らないけど) それからハイクの心地よさは、その適度な規模にあって、twitterから日本人だけでも大量に人が流れ込んでくるようではあの雰囲気は成立しないと思うのである。 私がその昔参加していたパソコン通信で大手草の根とも揶揄されるアスキーネットなんかも、あまり大き過ぎないところが良かったのだと思う。 ただ、広告がそんなに多くなくても投げ銭(の手数料

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                                • PC98をLANに接続してみた|TechRacho by BPS株式会社

                                  はじめに こんにちは。okada.kenです。 年齢層が高い人しか関心が無いかもしれない、大昔のPC98の技術ネタを書いてみたいと思います。PC98のHDDに残された大切なデータを取り出すために、NICを刺してLANに接続してFTPを介してデータ吸い出しをしてみた、という記事になります。 PC98というパソコンをご存じでしょうか。1980年代前半〜1990年代中頃まで日本国内で販売され、Windows時代の到来と共に少しずつ姿を消していった、NEC製のデスクトップPCです。下は私が所有しているPC98です。 PC98はビジネス用途(文書作成や会計計算)や工場の機械制御に使われたと聞きますが、私にとってはゲーム機でした。ファミコンが1983年発売、スーパーファミコンが1990年発売、初代PlayStationが1994年発売で、家庭用ゲーム機が発展する時代に並行してPC98用ゲームも発展して

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                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***34日目(2月19日)*** - 森の奥へ

                                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から34日目です。ようやく家の前まで水道が復旧しました。 2月19日(日) 朝、入口の路地に水道工事の人が3人来ていた。道路に出てみると秋田市水道局の車が止まっていた。 帰宅すると、隣のアパートに住むおじさんが事情を説明してくれた。 家の前までは水道を復旧したが、家の中のどこかで漏水しているようなので給水はできない、とのこと。これから先は水道屋さんに連絡して個人的に修理して欲しいとのことだった。とりあえず、路地の入り口に共同で使う臨時の蛇口が取り付けられた。これでもう水で心配する必要はなさそう。 昼頃、区役所にM田氏(※職場の同僚)より電話があった。ちょっとのどが痛く風邪気味なので、来週の日曜日に新神戸で待ち合わせることになった。地下鉄は16日から復旧している。 夕方6

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                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***38日目(2月23日)*** - 森の奥へ

                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から38日目です。 2月23日(木) 今日からM川さん(※本庁からの応援職員)に代わり、以前一緒だったS谷氏(※本庁からの応援職員)が来る。本庁から派遣された他の職員とは少し雰囲気が違う人だ。いわゆる「お役人」ぽくない。口数が少ないだけ信頼できる気がする。 午前1軒、午後7軒回る。無口だという先入観があったのだが、話題を提供すると堰を切ったようにしゃべり始める。それが専門らしく、人口統計、仮設住宅のことなどなかなか鋭い。判定の甘さも見逃さない。区役所に戻った後も、なかなか帰ってこないK上氏(※本庁からの応援職員)を待って6時過ぎまで二人で話をする。 ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net よければtwitterものぞいてみてくだ

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                                      • 3. フォーカス・リサーチ(2)IIJとデータセンターの変遷〜この30年を振り返って | Internet Infrastructure Review(IIR)Vol.62 | IIJの技術 | インターネットイニシアティブ(IIJ)

                                        3. フォーカス・リサーチ(2) IIJとデータセンターの変遷〜この30年を振り返って 3.1 1990年代「始まりはスペースの有効活用」 1985年の日本電信電話公社民営化(いわゆる通信の自由化)以前から、システムインテグレータではダウンサイジングの流れの中で計算機センターに設置されるコンピュータの小型化によって空いたスペースで他社のコンピュータを預かるビジネスがあり、国際通信会社ではこちらも交換機や伝送装置の小型化に伴って空いた通信局舎のスペースに外資系金融機関のディーラーホンや構内電話交換機を預かるビジネスがありました。いずれの建物も一般の建築物よりも頑丈に造られおり、それが今のデータセンターの原形であったと回想されます。 通信の自由化以前から、国際通信は国際電信電話株式会社(以下KDD、現在のKDDI)が専業で行っていましたが、自由化以降は複数の新規参入電気通信事業者(以下NCC)

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                                        • ふと、皆さんに聞いてみたくなった事 - Little Strange Software

                                          どうも!LSSです!! まったく唐突なんですが、ちょっと聞いてみたい事が出てきました。 「人に見せる・見せない」は別として、皆さんこれまでの人生の中で「漫画」または「小説」を書いた事はありますか? この場合、レベルの高低は問いません。 漫画なら落書きレベルでも。 小説なら数行程度の作り話でも。 LSSの場合は、 漫画 小学生の頃に、疑似部活動のような感じで「漫画クラブ」に所属し、ことわざをメインのネタにした4コマ程度の漫画。 高校生の頃に、ノートの端に落書きレベルの多数の作品を描いてました。 小説 小学生の頃に、国語の授業で「小説を書こう」というのがあり、設定だけ考えましたが文章はさっぱり書かないうちに撃沈。 中学生の頃に、小説…とはちょっと違いますが、ノートにゲームブック形式のストーリーを書き連ねていました。 10代後半~20代前半の頃に雑誌投稿・パソコン通信投稿のネタとしていくつかの作

                                            ふと、皆さんに聞いてみたくなった事 - Little Strange Software
                                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***43日目(2月28日)*** - 森の奥へ

                                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から43日目です。2週間遅れのバレンタインチョコをもらいました。 2月28日(火) 久しぶりに南蛮美術館(※当時の本来の職場)に出勤する。決済の山をこなす。書類の横に何か置いてあった。袋を開けてみるとバレンタインのチョコだった。アルバイトの女性3人からの分が入っていた。 昼食は近くの喫茶店でカレーを食べる。長らく食べてないので、今日は絶対にカレーを食べようと思っていたのだ。 午後からは久しぶりに本業の方の打ち合わせ。広報誌の原稿のことで神戸大学のM上先生と会わないといけない。区役所応援の仕事をK芝先生と交代してもらうことになった。区役所では明日から編成替えになるので、様子をみて来週くらいに交代することにする。 来年度の予算がほとんどカットされてしまったので、アルバイトの

                                              震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***43日目(2月28日)*** - 森の奥へ
                                            • 偽文士日碌 二〇二〇年 五月二十七日(水)

                                              もう三十年も前の、「パソコン通信」の時代からおれの会議室で議 論されていたことだが、のちにSNSと呼ばれることになるそうした 場所への書き込みは、署名にすべきである、いや匿名でなければなら んなどと喧しいことであった。 今回「テラスハウス」に出演していた女性が自殺したことで、番組 が対応しなかったことを責める向きもあるらしいが、これはそれ以前 の問題であろう。表現の自由か人権かと問われれば一も二もなく人権 であり、さらには命である。これを守るためには誹謗中傷を書き込ん だ人間の特定が必要であり、署名以外のすべての書き込みを拒否する 新たな制度が必要である。そしておれは、いずれそういう時代が来る と思っていたのだが、あと何人か自殺者が出れば否応なしにそういう 制度ができるだろう。署名さえすれば表現の自由のもと、逆に何を書 き込んでもよいのである。おれがそうしているようにだ。なぜそれが できな

                                                偽文士日碌 二〇二〇年 五月二十七日(水)
                                              • はてなはそのコミュニティが出来上がった2000年代中盤からずっと左寄り。 と..

                                                はてなはそのコミュニティが出来上がった2000年代中盤からずっと左寄り。 というか、その頃はネトウヨなんて2chの底辺に巣食うマイノリティにすぎなかった。 はてなユーザーはパソコン通信時代からネットに触れているような人が多く、平均年齢も2chよりは高かった印象がある。 伝統的にリベラルは都市部のインテリ中産階級に多いが、 90年代からPCを購入してパソコン通信やインターネットに接続できた人たちってのはまさにそういう層なんだよな。 当初からはてなは、高学歴オタクとか、理屈っぽいギークとかを中心に、 長文エントリをトラバしあって延々と(くだらない)議論をしてるようなところで、 良くも悪くも2chとは正反対の環境だったし、 ネトウヨなんかは当たり前に馬鹿にされていた。 民主党時代はこんな感じ。 はてブは期間指定して検索できるから自分でも調べてみな。 [B! 民主党]  民主党マニフェストは凄いけ

                                                  はてなはそのコミュニティが出来上がった2000年代中盤からずっと左寄り。 と..
                                                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***9日目(1月25日)*** - 森の奥へ

                                                  26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から9日目です。この日から兵庫区役所への応援出務となりました。 1月25日(水) 本日より兵庫区役所に出務。家から歩いて5分だ。9時区役所に集合。地震後の交通手段が寸断された中で、歩いて通勤できるこの環境は恵まれすぎ、というしかない。 南蛮美術館(※中央区、本来の勤務地)は市の総務局(※仮称です)の一部署なので、僕も身分上はその所属になっている。その総務局から兵庫区役所に派遣された応援職員は、(N芝、Y田、M上、わたし)チームと、(Y村、T井、T田、D東)チームの二班に分かれる。この二班で24時間交替。係長のN芝さん以外は二十代から三十前後くらいか。他のメンバーはみんな本庁(※市役所)の職員なので、面識のある人はいない(※わたしの勤務地・南蛮美術館は本庁からの出先機関で

                                                    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***9日目(1月25日)*** - 森の奥へ
                                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***44日目(3月1日)*** - 森の奥へ

                                                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から44日目です。 3月1日(水) 今日から新体制。20人くらい応援部隊が増強された。一応、僕も家屋再調査の経験者ということで、新メンバーとペアを組むことになる。1時間ほど説明があった後、Y口さん、F川さんと一緒に午前中2軒ほど回る。 午後からはF川さんと湊川10丁目から氷室町、山王町まで歩く。F川さんは北区役所所属で、北区でも再調査をしていたとのこと。そのせいか、仕事は早く進んだ。ほぼ順調にこなして6時頃帰宅。しばらく遠ざかっていたパソコン通信で因幡さんにメールを書く。 #山猫        M*I00*04 95/03/01 20:55 題名:応援、ご苦労様でした。 東灘には行っていないので、様子はよく判りませんが、 高速道路が倒れたほどで、 かなりひどい被害だとい

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                                                    • 教祖様 : 素晴らしい日々〜Splendid days

                                                      素晴らしい日々〜Splendid days 感動したこと…疑問に思うこと… 何氣ない日常を過ごすのも、感謝に満ちた日々を過ごすのも自分次第… その日々の思いを綴ります。 今日もこのブログに訪問して下さりありがとうございます!😊 たら…れば… たらればとは、 過去に選んでこなかった選択肢。 どこかのパラレルワールドでは、その現実が存在していて、 もしその時に選択していたら…の先が今も続いているのかと思うと、 ちょっと不思議な気分にもなる。 もうずいぶん昔の話よ… 実は… このブログでは初告白になるが、 僕がまだ辛うじて20代の頃、 とある宗教団体の幹部という方から連絡をもらった。 (ちなみに僕は新興宗教とかそういったものは今も昔も一切やっていないし、この連絡をくれた宗教団体の事なども全く知らないのにだ😅) 話の要旨は、 こういうことだった。 現在いる教祖様は長年その立場を務めてこられたが

                                                        教祖様 : 素晴らしい日々〜Splendid days
                                                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***37日目(2月22日)*** - 森の奥へ

                                                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から37日目です。被災家屋再調査が続きます。人間の嫌な部分にも出会います。風邪がなかなか治りません。 2月22日(水) 罹災証明がなくて、再調査の予定にも入ってなかった人がいきなり家をみて欲しいと言う。こうした便乗組を扱っていると、その日予定していた人の家を回れなくなる。やんわりと断り、一度はそのことを分かってもらって諦めたようだったが、電話で息子さんらしい人と相談したらしく、代わって話をしろと言う。受話器をとるといきなり、あのなぁ、という口調。それだけでもう話す気がなくなった。固いことを言うな、案の定、そんな内容。 最後に回った家でも、その家の人じゃない第三者から、国から出る金だからお前らの懐が傷む訳じゃないだろう、というような言い方をされる。 自分だけが被災者だと思

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                                                        • 【追記】アマゾン ウェブ サービス(AWS) 大規模障害からの復旧を発表

                                                          大規模な障害が発生していたアマゾンのクラウドコンピューティングサービス「アマゾン ウェブ サービス」(AWS)の復旧が、23日17時ごろから一部始まりました。 【23時5分追記】AWS公式サイトにて、復旧が完了したとのお知らせが掲載されました。障害の原因は冷却システムが故障し、過熱によりサーバがダウンしたためであると説明しています。 AWS Service Health Dashboard(17時ごろに撮影) 障害は23日13時ごろに発生。スマートフォンアプリ、ゲームなど、さまざまなサービスがストップ。Twitterでは「AWS障害」「通信障害」など関連ワードが長期トレンド入りしていた他、多数の公式アカウントがサービスに不具合が起きていることを報告していた。 AWSの公式サイト上では、問題のあったリージョン(AP-NORTHEAST-1)で復旧が始まっており、完全復旧に向けて作業中であると

                                                            【追記】アマゾン ウェブ サービス(AWS) 大規模障害からの復旧を発表
                                                          • 売上360億円の上場企業は、父が売った「1台の車」から始まった|藤崎慎一郎/株式会社オークネット 代表取締役社長

                                                            私はいま、父が創業した会社の社長をやっています。 継ぐことになった「オークネット」という会社は、創業37年、売上360億円、グループ社員数850人の東証プライム上場企業。 社長就任を告げられたのは、私にとっては突然でした。 3年前、私が44歳のとき。「大事な話がある」と当時の社長に呼ばれました。 前の日に飲み過ぎていたので「ちょっと頭痛いな……」と思いながら「はい、なんでしょうか?」と聞くと、こう言われたのです。 「来年から会社を任せようと思う。外部の社長をとることも考えたけど、あなたにすることに決めたよ」 ああ、もう逃げられないんだ……ああ、もう逃げられないんだ。これでもう後戻りなしだ。 いつか代替わりで社長になるだろうとは思っていましたが、いざ「来年から」と言われると急に現実味を帯びてきたのです。 その日は「これからどうすっかなあ」と思いながら、酔い覚ましもかねてレッドブルを3本ぐらい

                                                              売上360億円の上場企業は、父が売った「1台の車」から始まった|藤崎慎一郎/株式会社オークネット 代表取締役社長
                                                            • 【前編】ブロックチェーンがインターネットから学ぶべきこと〜村井純・松尾真一郎対談 | DG Lab Haus

                                                              【前編】ブロックチェーンがインターネットから学ぶべきこと〜村井純・松尾真一郎対談 TOP Blockchain 【前編】ブロックチェーンがインターネットから学ぶべきこと〜村井純・松尾真一郎対談 本年3月10日に開催された「Blockchain Global Governance Conference (BG2C)」において、ブロックチェーンに関する新しい国際的なネットワークである「Blockchain Governance Initiative Network(BGIN)」の設立が発表された。「オープンかつグローバルで中立的なマルチステークホルダー間の対話形成」「各ステークホルダーの多様な視点を踏まえた共通な言語と理解の醸成」「オープンソース型のアプローチに基づいた信頼できる文書とのコードを通じた学術的基盤の構築」の3点を目的として創設されたこのネットワークがブロックチェーンのさらなる発展

                                                                【前編】ブロックチェーンがインターネットから学ぶべきこと〜村井純・松尾真一郎対談 | DG Lab Haus
                                                              • 自作小説:「嘘(長文注意)」 - Little Strange Software

                                                                どうも!LSSです!! 今回は、ちょっと久々?に、20年近く前に書いた自作小説を晒してみます!! まえがき 「嘘(長文注意)」 あとがき じゃ、もひとつの自作小説:「嘘」 あとあとがき まえがき 昔、自分がアクセスしていた草の根ネットの企画で「お題」に沿った小説を書く、というのがありました。 ある時「嘘」というお題が出た際に何作か書いており、このブログでも2作ほど紹介させていただいていましたが、今回もその時に書いたものです。 「嘘(長文注意)」 私の名前は 法螺 福蔵(ホラフクゾウ)。 …こんな名前の私ですが、生まれてこのかた、一度も嘘をついた事がありません。 (終) あとがき こんなの、投稿するタイミングって言ったら今日ぐらいですよねwww (いや、今日だからってそれでもあんまりなような…^^::::) いくらなんでも、これはないと思ったらここをクリック じゃ、もひとつの自作小説:「嘘

                                                                  自作小説:「嘘(長文注意)」 - Little Strange Software
                                                                • #商用インターネット30周年 と昔話

                                                                  まとめ 1995年頃のインターネット 1995年頃、インターネットにどうやってつないでた、みたいな話題が盛り上がってたのでパソコン通信の話も混ぜて、いくつかまとめました(一部1980年代の話が混ざってます) 26347 pv 150 47 users 141 堂前@IIJ @IIJ_doumae IIJは1992年12月3日に設立されました。今年で30周年となります。また、日本の商用インターネット利用も1992年に始まり、今年で30周年となります。 記念にIIJの30年分のプレスリリースを全部復活させました。昔の話を振り返ってみませんか? #商用インターネット30周年 iij.ad.jp/30th/ 2022-11-21 16:39:54

                                                                    #商用インターネット30周年 と昔話
                                                                  • コインハイブ事件の最高裁の弁論の検察側の主張がひどいことを考えた(追記あり) : なか2656のblog

                                                                    1.コインハイブ事件 ■追記 2022年1月22日に最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)でこのコインハイブ事件について無罪判決が出されました。詳しくはこちらをご参照ください。 ・【速報】コインハイブ事件の最高裁判決で無罪判決が出される あるウェブデザイナーの方(モロ氏、以下「被告人」)が、自身のウェブサイトに仮想通貨採掘アプリ「coinhive」を設置していたことが、不正指令電磁的記録等罪(いわゆるウイルス罪・刑法168条の2以下)に問われたいわゆるコインハイブ事件において、2018年の横浜地裁平成30年3月27日判決は、不正指令電磁的記録等罪の構成要件における、「反意図性」の該当は認めたものの、「不正性」(社会的許容性)の該当は認められるとはいえないとして、被告人を無罪としました。 ところが、控訴審の東京高裁令和2年2月7日判決(栃木力裁判長)は、「反意図性」および「不正性」の両方が成立する

                                                                      コインハイブ事件の最高裁の弁論の検察側の主張がひどいことを考えた(追記あり) : なか2656のblog
                                                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***41日目(2月26日)*** - 森の奥へ

                                                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から41日目です。 2月26日(日) 「自治労」の応援は今日はなし。いきなりペアがなくなってしまった。上からの指示もないので、ペアのいない同士で、本庁からの応援職員・I井さんと組んで被災家屋の再調査に午前中回る。いわゆる「できる」人だ。少し話しただけでもそれが察せられた。判定に納得しない人への説得の巧みだったこと。こっそりため息をつく。 午後からは一人で回る。途端に気が緩んでしまう。1軒目で便乗組を扱った疲れと、雨が降り始めたせいと。トイレにいきたかったから、一旦帰宅する。ちょっとサボってしまう。気を取り直してまた外に出たが、難しそうな家はパスしてしまった。やはり一人ではだめだ。午前中、I井さんと7軒まわったのに、午後は便乗組も含めて5軒しか行けなかった。 夜はM田氏(

                                                                        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***41日目(2月26日)*** - 森の奥へ
                                                                      • タイムトラベラーかな!? 28年前にゲームの未来を予言したメーカー広報さんがtwitterで話題!!

                                                                        twitterでとある人物が「ビデオゲームの未来を予言している」と話題になっている。 ファミコン通信1994年8月5日号より。ゲームソフトが安くなる方法について各メーカーさんに質問するコーナーで、いろんなメーカーの担当者さんが「そもそも安くならない」だの「裸のROMだけ売る」だの答えているなか、的確に未来を予言しているアイ・ジー・エスの櫻井さんすげえ。 pic.twitter.com/16FOm2BgJS — オロチ(Famicom Archivist) (@oroti_famicom) April 2, 2022 まあ、手前味噌なんですけれども。笑 1.5万いいね超えてるので話題になってるといってもウソではないよね。これはファミコン通信1994年8月5日号に掲載されていた「199X ソフトが安くなる日」という特集で、各メーカーさんに「どうやったらゲームソフトは安くなるのか」と質問を投げか

                                                                          タイムトラベラーかな!? 28年前にゲームの未来を予言したメーカー広報さんがtwitterで話題!!
                                                                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***36日目(2月21日)*** - 森の奥へ

                                                                          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から36日目です。メリケンパークにあるホテルオークラの壁面に「ファイト」の文字が点灯しました。 2月21日(火) 今朝はやや身体が軽かった。今日もM川さん(※本庁からの応援職員)と被災家屋の再調査に回るが、午後から熱が出てきたようだ。ちょっと辛い。メリケンパークのホテルオークラの壁面に、各部屋の照明を利用して「ファイト」の文字が点灯した。 大井通(※兵庫区)のクリーニング屋さんのおばちゃん、あなたみたいに優しい人が来てくれたらよかったのに。会下山3丁目のおばさん、絶対に半壊やろな、と何度も何度も念を押していた。5時に約束していた人に会って区役所に戻ると、他の本庁からの応援職員は一斉に帰ってしまう。M川さんも帰ってしまう。まぁこんなものか。 頭が痛い。 ※この頃から、わた

                                                                            震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***36日目(2月21日)*** - 森の奥へ
                                                                          • MSXの中古価格が偉い高騰している&次世代MSX - 仮想と現実

                                                                            近年、8ビット時代のレトロパソコンが人気だ。その流れで、MSXの中古価格が偉いことになっている。30年前の新品価格並で売られていることがある。MSX最終規格、turbo RのPanasonic FS-A1STが不具合有りで8万円とかそんな感じ。こないだなんてアマゾンでMSX1のSONY HB-101が87500円で売られていた。 RAM16KBのMSX1が87,500円?正気か? pic.twitter.com/EU9gdOijbu— 後藤寿庵 (@juangotoh) November 2, 2019 8ビットパソコンは、日立、シャープ、NEC、富士通が先行して殆どのシェアを握り、参入が遅れたメーカーはなかなか入り込めなかった。そこでマイクロソフトとアスキーが共通企画としてMSXを提唱し、家電メーカーが我先に参入することになる。比較的低価格でゲーム向けのパソコン規格になったので、各社から

                                                                              MSXの中古価格が偉い高騰している&次世代MSX - 仮想と現実
                                                                            • 電子書籍端末の歴史|紀伊國屋書店Kinoppy電子書籍ストア

                                                                              OASYS100GX-CD(富士通) 世界初のCD-ROM対応ワープロ。「広辞苑 第三版CD-ROM版」(岩波書店/1987年7月)を検索・表示できた。 当時のビジネス用ワープロの最上位機種。標準構成価格2,045,000円で、16インチ縦型のペーパーホワイトディスプレイ、ハードディスク(A4判で約2000ページを管理)、親指シフトキーボードなどを装備していた。また、OASYS文書とMS-DOSテキストファイルのデータ互換や、パソコン通信にも対応していた。一方、「広辞苑 第三版CD-ROM版」(WINGフォーマット)は、28,000円だった。 ※ OASYS … Office Automation SYStem

                                                                                電子書籍端末の歴史|紀伊國屋書店Kinoppy電子書籍ストア
                                                                              • なぜ日本企業だけ「テレワークによって生産性が落ちる」のか? その根本的な理由(加谷 珪一) @gendai_biz

                                                                                なぜ日本企業だけ「テレワークによって生産性が落ちる」のか? その根本的な理由 海外では生産性が上がっているのに… 内閣官房と経済産業省が取りまとめた資料によると、日本ではテレワークの生産性について、オフィス勤務よりも生産性が低いと回答した人が82%に達しており、テレワークの方が生産性が高いという回答はわずか3.9%だった。一方、米国の調査では、41.2%が生産性が上がったと回答し、生産性が下がったという回答は15.3%しかなかった。まったく同一の調査ではないが、似たような設問に対して、ここまで正反対の結果が出たことにネットでは驚きの声が上がっている。 テレワークで生産性が低下した理由の1位は「対面での素早い情報交換ができない」、2位は「パソコン、通信回線などの設備が劣る」、3位は「ルール上、自宅からではできない仕事がある」となっている。注目すべきなのは、インフラやルールの問題ではなく、情報

                                                                                  なぜ日本企業だけ「テレワークによって生産性が落ちる」のか? その根本的な理由(加谷 珪一) @gendai_biz
                                                                                • Web小説の歩みをパソコン通信時代から大コミカライズ時代まで ②2000年代~2009年|岡田勘一[編集者・ライター]

                                                                                  これは2015年8月に刊行された『このWeb小説がすごい!』で書いた、インターネット上で書かれ/読まれてきた小説群にまつわる流れをまとめたものです。 約5年前に書いたものなので、そこから情報をアップデートしたり、情報を追記するなどしていきました。 第1回目の記事はこちら。 第2回目では2000年代以降の、ブロードバンド時代の話なっていきます。 Web小説はどこから来て、どこへ行くのか② ■Web小説、人気作品の胎動 2000年代初頭 2000年代初頭で人気を博していたのは、吉野匠が個人サイト「小説を書こう!」に連載を始めた『雨の日に生まれたレイン』(後の『レイン』)や、2002年から九里史生(川原礫)が個人サイト「Word Gear」で始めた『ソードアート・オンライン』があった。 『ソードアート・オンライン』は現在では全世界で2200万部を売り上げる超人気作となった。近未来のフルダイブVR

                                                                                    Web小説の歩みをパソコン通信時代から大コミカライズ時代まで ②2000年代~2009年|岡田勘一[編集者・ライター]