父の仕事の都合で1歳から小学2年生までジャカルタで過ごした経験をもつ[11][12]。当時のジャカルタには娯楽が少なく、VHSもあまり普及していなかった[10]。そんな環境の中で、最大の娯楽は映画で、日本のヒーロー映画、ハリウッド映画に触れていた[10]。映画館へのアクセスが良く、伯父が映画の株主優待チケットを持っていたことから帰国後も映画館へ足を運び続けていた[10]。 子供時代は1人で何かをするのが、好きだったという[13]。小学校入学してからは少し社会性が出たような気がしていたが、いつも1人でいたという[13]。勉強も人間関係もあまり苦労はしなかったが、違和感はあった[12]。大阪の子供は親が自治会に入っていたり、祖父母の代から住んでいることが多いため、お祭りの時期が来ると、急に友人が地元の子になり、津田は「異邦人」になってしまうという[12]。皆がお祭りに参加している中、津田はポツ