第二次安倍政権は正真正銘の暗黒時代だった。私がこの国で生きていた中で、こんなに真綿で首を絞められるように酷くなっていくのを味わったのも、そうはない。日常の表向きは帳尻を合わせて何も変わっていないようで、内側がひたすらドロドロと腐っていくのに巻き込まれていくような感覚だ。
<中国のネット社会で大きな話題となっている「二舅」の動画。不幸と不公平に耐えるその姿は、社会で高まる不満を和らげたい政府にとっても好都合だった> 「二舅」(アルチウ、母方の2番目のおじ)という動画が最近、中国のSNS上で話題になっている。 中国北部の農村に住む「二舅」は子供の頃から勉強が得意な村の天才少年だった。しかしある時、村のヤブ医者が打った注射のせいで片足に障害が残り、大学進学の夢も失われた。得意の大工仕事で村の人気者になったが、片足の障害のせいで66歳の今も結婚できず、88歳の母親の世話をし、それでも誰も訴えず、何の文句も言わない。 その生活ぶりを見て、大都会の北京に暮らす撮影者の「私」は癒やされた。苦労続きの二舅と比べてずっと幸せではないか......。 この話は中国政府が唱える「正能量」にぴったりで、官製メディアでも積極的にシェアされ、公開された動画サイトのbilibili(ビ
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「悪党」をめぐる記述は史家の史観を問う重要な試金石となってきた[楠木正成像(東京都千代田区皇居外苑)、(C)時事通信フォト] 最初に取り上げたいのは『日本国紀』である。前回述べたような本連載の基本的な視点からすると、『日本国紀』は決して「面白い」歴史叙述ではない。しかし、なぜ「面白くない」かを考えることには、面白い歴史叙述とは何かを考えるにあたり大きな意味がある。また、日本史の通史を書くということがいかなる意味を持っているのかについても、重要な手がかりを与えてくれるだろう。なお、ここで「面白くない」というのはあくまで『日本国紀』という歴史叙述についてであり、小説家である著者の小説の面白さとはまた別である点は最初に確認しておきたい。 『日本国紀』、著者は百田尚樹。百田尚樹は1956年生まれ、同志社大学を中退後、放送作家としてテレビ制作に携わる傍ら、2006年特攻隊員をテーマにした『永遠の0』
※同人誌『Vanda』12号(1993年12月発行)に寄稿した文章の再録です。『Vanda』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行した同人誌です。 本作は少女マンガ『エースをねらえ!』の三度目の映像化作品である。 『週刊マーガレット』連載の原作の圧倒的な人気を背景に、1973~74年にかけてTV化された最初の『エースをねらえ!』は、原作とは異なる展開の物語となりながらも、再放送でメインターゲットの少女以外の広範囲な層を巻き込んで爆発的な人気を得、1978年にはより原作に忠実な形で作り直すという異例の『新・エースをねらえ!』が製作された。が、旧シリーズの中心メンバーであった演出の出﨑統、及び作画の杉野昭夫コンビは、当時『宝島』を手がけていたために『新・エース』には参加せず、旧作の華麗で力強いタッチに魅せられていたファンにはビジュアル面で大きな不満を残すことになったものの、視聴率的には一応の成
「全集中の呼吸」で警戒せよ。<悪>はいつも、親しみやすい貌で近づいてくる『短くて恐ろしいフィルの時代』 11月2日衆院予算委員会。立憲民主党の江田憲司の質問に『鬼滅の刃』のセリフを引用した菅首相の答弁が話題を呼んだ。おもしろい、あざといなど一過性の感想で片づけていいのか、権力者がわかりやすい言葉で近づいてくるときこそ警戒しなければと、書評家・豊崎由美が取り上げた一冊は『短くて恐ろしいフィルの時代』。 「江田さんですから、私も『全集中の呼吸』で答弁させていただく」 (菅義偉内閣総理大臣 『朝日新聞デジタル』2020年11月2日) 熱狂的な演説をかますデマゴーグ 〈国が小さい、というのはよくある話だが、《内ホーナー国》の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は《内ホーナー国》を取り囲んでいる《外ホーナー国》の領土内に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければなら
「口の立つやつが勝つってことでいいのか」 [著]頭木弘樹 何かしらざわざわ騒ぐ春のこころに、差し出されたようなエッセー集だ。タイトルに思い当たることがあれば、なおさらである。 ゆったり文字の組まれた本の顔つきはやわらかく、全編を通して伝えること、生きていくことのままならなさが切実につづられている。ただし四隅のねじはゆるみなく、著者は理詰めで社会を俯瞰(ふかん)している。 記者としての自分は、「うまく言えないことの中にこそ、真実がある」という始まりから、うなだれてしまった。「言葉にできない人のほうが魅力的」と続いて、もう降参だ。 言葉にしないと始まらないのが記者。聞いて書くことで、かろうじて世の中に立たせてもらってきた。言葉を持っている人に出会った日、わいてくる幸せよ。なのに「言語化できないことがある」と語る著者に、圧倒的な説得力がある。 「能力が正当に評価されないのは、いいことではない」が
美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らが、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展を巡る混乱で損害が生じたとして、愛知県の大村秀章知事に対し、芸術監督だったジャーナリスト津田大介氏らに計約3千万円の損害賠償を請求するよう求める住民訴訟を名古屋地裁に起こしたことが21日、分かった。 原告は高須院長と、名古屋市の河村たかし市長が代表の政治団体「減税日本」の同市議3人。 訴状によると、企画展は「特定の政治思想を含む作品の展示で社会問題化した」と指摘。文化庁が減額した補助金や、企画展の会場警備費などを津田氏らに賠償させるべきだと訴えている。
黒枠のラベルは、コンテンツホルダー自身が付与したものです。グレー枠のラベルは本文解析で自動付与されたものです。 大阪府の吉村洋文知事は2日、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が呼び掛けている大村秀章愛知県知事の解職請求(リコール)運動について「取り組みには賛成だ。応援する」と述べた。府庁で記者団の取材に答えた。 高須氏は、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」を巡る大村氏の対応に問題があるとして、リコール運動を起こす方針を表明している。 吉村氏は「表現の不自由展は、行政が税金を使ってやることではない」と批判。「民間の皆さんが知事にふさわしくないと活動されるのは民主的な手続き。僕は賛同する」と話した。
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