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副島種臣の検索結果1 - 24 件 / 24件

  • 桐野作人 on Twitter: "最近のある学会誌に載った明治期の自由党についての研究書への書評を読んだ。評者も驚いているが、岩波文庫版ではない親本の『自由党史』上巻冒頭に自由民権運動を担った人物の肖像画の口絵があり、トップが何と、西郷隆盛。以下、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣、江藤新平、福岡孝弟、由利公正……"

    最近のある学会誌に載った明治期の自由党についての研究書への書評を読んだ。評者も驚いているが、岩波文庫版ではない親本の『自由党史』上巻冒頭に自由民権運動を担った人物の肖像画の口絵があり、トップが何と、西郷隆盛。以下、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣、江藤新平、福岡孝弟、由利公正……

      桐野作人 on Twitter: "最近のある学会誌に載った明治期の自由党についての研究書への書評を読んだ。評者も驚いているが、岩波文庫版ではない親本の『自由党史』上巻冒頭に自由民権運動を担った人物の肖像画の口絵があり、トップが何と、西郷隆盛。以下、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣、江藤新平、福岡孝弟、由利公正……"
    • 副島種臣 - Wikipedia

      副島 種臣(そえじま たねおみ、文政11年9月9日〈1828年10月17日〉- 明治38年〈1905年〉1月31日)は、日本の政治家[1]。侍講兼侍講局総裁、参与兼制度事務局判事、参議兼大学御用掛、内務大臣(第4代)、枢密院副議長(第2代)、外務卿(第3代)、外務事務総裁、清国特命全権大使、宮中顧問官、興亜会会長、東邦協会会頭、愛国公党発起人等を歴任。位階勲等は正二位勲一等伯爵。 初名は二郎(じろう)、龍種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。 概要[編集] 文政11年(1828年)佐賀城南堀に、佐賀藩士・枝吉南濠の次男として生まれる。兄は枝吉神陽。藩校・弘道館教諭を経て、尊王攘夷運動に奔走し兄と共に「義祭同盟」に参加。32歳で副島家の養子となる。明治維新後に参与・制度事務局判事となり、福岡孝弟と共に「政体書」を起草。参議兼大学御用掛を経て

        副島種臣 - Wikipedia
      • 佐賀県☆彡偉人モニュメント『大隈重信 副島種臣像』☆彡 - mika旅❣ぐるっと🚙★Collection★blog

        佐賀市中央通りに設置されている偉人モニュメント 11名の偉人の一つ 『弘道館で学んだ若き日の賢人たち』 大隈重信 早稲田大学の創設者 副島種臣 『正義の人』として許された外務卿 mika262.com mika262.com mika262.com mika262.com mika262.com mika262.com mika262.com

          佐賀県☆彡偉人モニュメント『大隈重信 副島種臣像』☆彡 - mika旅❣ぐるっと🚙★Collection★blog
        • Amazon.co.jp: 蒼海: 副島種臣 (著), 石川九楊 (編集): 本

            Amazon.co.jp: 蒼海: 副島種臣 (著), 石川九楊 (編集): 本
          • 副島種臣の生涯~世界に屈しない気概の政治家は明治を代表する書道家 | 明治維新から学ぼう〜坂本龍馬と幕末の志士に魅せられて

              副島種臣の生涯~世界に屈しない気概の政治家は明治を代表する書道家 | 明治維新から学ぼう〜坂本龍馬と幕末の志士に魅せられて
            • <米欧回覧と文明開化>第8回~副島種臣の「国権外交」 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

              岩倉使節団の特命全権大使になった岩倉具視外務卿(外務大臣)の後任は、副島(そえじま)種臣(たねおみ)(1828~1905年)でした。使節団が出発直前の1871(明治4)年12月に就任し、73年10月の「明治六年政変」(「征韓論政変」)を機に辞めましたので、まさに留守政府の外相をつとめたことになります。 副島は旧肥前佐賀藩士。佐賀藩は、武士道を論じた『葉隠(はがくれ)』で知られますが、幕末から明治にかけて政治を主導した「薩長土肥(薩摩、長州、土佐、肥前)」4藩の中では、いささか影の薄い存在です。それは、32年に藩主に就いた鍋島(なべしま)直正(なおまさ)(閑叟(かんそう)、1814~71年)が、佐幕か勤皇かの旗幟(きし)を鮮明にせず、日和見(ひよりみ)主義者とみられたことが一因とされます。薩長軍が徳川軍と戦った鳥羽・伏見の戦いでも直正らは参加せず、出遅れました。 しかし、続く上野戦争や会津の

                <米欧回覧と文明開化>第8回~副島種臣の「国権外交」 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
              • 佐賀の七賢人 鍋島直正 大隈重信 江藤新平 副島種臣 佐野常民 島義勇 大木喬任は、すごかった?

                佐賀の七賢人というと、 鍋島直正、大隈重信、江藤新平、 副島種臣、佐野常民、島義勇、大木喬任がいます。 鍋島直正は、佐賀藩の藩主で、幕末当時、 全国の大名の中で、最もヨーロッパに近い藩軍を備えていました。 藩軍が、洋式化しているだけではなく、驚くべきことに、 この藩の工業力は、その当時の日本の水準をはるかに超えていました。 鍋島直正は、蒸気船や、日本で初の鉄製の大砲を作りました。 大隈重信は、のちに内閣総理大臣になります。 江藤新平は、近代日本を創生できる逸材といわれ、 東洋のレオン・ガンベッタともいわれていました。 レオン・ガンベッタは、 江藤新平と同時代のフランスの政治家です。 江藤新平は、日本の司法制度の確立に尽力しました。

                  佐賀の七賢人 鍋島直正 大隈重信 江藤新平 副島種臣 佐野常民 島義勇 大木喬任は、すごかった?
                • 副島種臣 書 - Google 検索

                  2023/10/06 · 本書は、副島種臣の書を追いつづけてきた石川九楊の賞鑑を経たおよそ50点を精選し、カラー図版で収録しています。

                  • 副島種臣に関する文献(副島種臣が書いた手紙で、宛先は福島九成)の中に、「梅田社中」という記述がありま... | レファレンス協同データベース

                    副島種臣に関する文献(副島種臣が書いた手紙で、宛先は福島九成)の中に、「梅田社中」という記述があります。この梅田社中の詳細がわかる資料があれば、お教えください。 お尋ねのありました「梅田社中」について、下記のとおり回答します。 副島種臣が書いた手紙のあて先である福島九成とゆかりがあった人物(三条実美、寺島宗則、柳原前光)に関する資料を調べましたが、「梅田社中」の内容については確認できませんでした。 また、手紙の内容が台湾出兵に関するものとのことでしたので、台湾出兵関係資料も調べましたが、「梅田社中」に関する記述はありませんでした。副島種臣と福島九成は共に佐賀藩出身のため、佐賀県関係資料も調べましたが、やはり該当する記述はありませんでした。 さらに、「梅田」が人名または地名から由来していることを考えて、人名・地名関係資料を調査しましたが、「梅田社中」に関する記述はありませんでした。 確認した

                      副島種臣に関する文献(副島種臣が書いた手紙で、宛先は福島九成)の中に、「梅田社中」という記述がありま... | レファレンス協同データベース
                    • 外務卿副島種臣と日露領土交渉

                      This article aims to analyze the Japan-Russia territory negotiation over Sakhalin by SOEJIMA Taneomi. In 1872, Soejima proposed to the Russian envoy in Tokyo, E. Butzow, his plan to buy the island of Sakhalin, a territory that belonged to both Japan and Russia. His proposal was modeled on the American purchase of Alaska from Russia in 1867. Alternatively, Soejima planned to divide Sakhalin in case

                      • 副島家(副島道正・副島種臣・副島種典の子孫・家系図)

                        ◆副島利忠 父: 母: 妻: 女:副島美津子(★子爵 千種有梁の妻) 女:副島富佐子(★内務省 牧彦七の妻) 養子:枝吉種臣【副島種臣】(枝吉忠左衛門の二男) ◆枝吉種臣【副島種臣】 1828年 誕生 1868年 参与(-1869年) 1869年 参議(-1871年) 1871年 外務卿(-1873年) 1873年 参議(-1873年) 1884年 伯爵 1886年 宮中顧問官 1888年 枢密顧問官(-1890年) 1892年 枢密顧問官(-1905年) 1891年 枢密院副議長(-1892年) 1892年 内務大臣(-1892年) 1892年 枢密顧問官(-1905年) 1905年 死去 父:枝吉忠左衛門 母: 養父:副島利忠 養母: 妻:松島正子(岐阜、松島謙助の長女) 長男: 二男: 三男:副島道正 女:副島豊子(子爵 勘解由小路資承の妻) 女:副島鑑子(男爵 周布兼道の妻) ◆副

                          副島家(副島道正・副島種臣・副島種典の子孫・家系図)
                        • 副島種臣 詩書/Web書画ミュージアム

                          作家名 副島種臣そえじま たねおみ 作品名 詩書 作品詳細 掛け軸 絖本水墨 緞子裂 共箱 本紙寸法41.9×119 全体寸法56.3(胴幅)×202㎝ 詳細 掛け軸、絵画の買い取りと販売、鑑定は長良川画廊 長良川画廊は、掛け軸、屏風、日本画、洋画などを専門に取り扱う美術商として、芸術家、文学者、思想家、宗教家、学者、政治家など、あらゆる書画の鑑定(無料)と買い取りをいたします。また、副島種臣他、日本人作家のみならず、中国人作家、韓国人作家の鑑定(無料)と買い取りもいたします。 掛け軸、屏風、日本画、洋画などの鑑定と売却は、お気軽に、まずは書画専門、長良川画廊にご相談ください。

                          • 明治初期外交指導者の対外認識 -副島種臣と寺島宗則を中心に-

                            During the course of forming the Meiji state, there occurred several examples of senior government officials whose views on foreign affairs and understanding of international relations directly reflected the considerations of internal politics and diplomacy. This feature is, needless to say, deeply related to the question of Japanese nationalism. Such men were constantly preoccupied with the dilem

                            • 副島種臣 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版

                              明治初期の外務卿。幕末、西南雄藩佐賀の急進派として活躍し、新政府では樺太国境問題・琉球帰属問題・マリア=ルス号事件を担当。その辣腕(らつわん)により日本の威信を世界に知らしめる。明治6年の政変で下野し、民撰議院設立建白に参加するが、明治天皇の信任篤く、侍講や内務大臣・枢密顧問官を歴任。明治国家建設に賭した威厳満々たる生涯を追跡する。 【編集者の眼】 政治家の小粒化が言われるが、それは国民の身の丈に他ならないともいう。では、国民的人気の高い維新の志士たちは、大粒であったのかどうか。 副島が表舞台で活躍するのは40歳を過ぎてであるから、いわゆる遅咲きに部類されよう。特に明治初年の外務卿としての活躍は顕著で、対露・対中交渉における政策は後の日本外交の基軸となるもので、本書のハイライトである。各国との条約交渉や外交儀礼において、日本の威信を損ねる処遇は絶対に認めない。彼の言動はやや頑固過ぎるとも思

                                副島種臣 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版
                              • 『蒼海/ 副島種臣書』を宅配買取にてお譲り頂きました(書道の本)|三月兎之杜

                                『蒼海 副島種臣書』( 石川九楊:編 ニ玄社) こちらは、2003年の10月に発行されましたが、その後直ぐに絶版となり、今では中々お目にかかれない希少性があります。 副島種臣(そえじま たねおみ)は、文政の時代に活躍していた書家、政治家として有名でした。書家だけでなく政治家としても活動的であった種臣、その中でも特に有名とされる業績には、このようなものがあります。 ※「マリア・ルス号事件」 当時、日本の横浜港に停泊していたマリア・ルス号。この船内にいた中国人の奴隷に助けを求められ、見事解放までに至りました。日本が国際的な裁判の当事者となった初めての事件としても記録に残っており、正義を貫いた副島種臣は、そのような所からも支持されていました。 没後百年記念特別展なども開かれており、書家としても名高い種臣の書は、あまり流通されておりませんので、もしお持ちの方がおり、祖父が大切にしていたものだけど、

                                  『蒼海/ 副島種臣書』を宅配買取にてお譲り頂きました(書道の本)|三月兎之杜
                                • 「日本は対等の国」と清に認めさせた副島種臣(特別寄稿)

                                  「大清帝国の運命は」…。西太后が『蒼穹の昴』(浅田次郎原作)などの歴史ドラマで国の行く末を心配してつぶやくとなんともいえない威厳を感じた。しかし、これは、大日本帝国をまねて日清戦争のあとになって使い始めたもののようだ。そもそも、中国語には帝国とか王国とかいう表現はない。 百済王国とかいうような表現もあったはずない。帝国はエンパイア、王国はキングダムを訳した和製漢語だ。清国はアロー戦争(1856~60年)の結果、外国公使の北京駐在をのむことになった。しかし、清国は皇帝への三跪九叩頭を要求した。もっとも、とりあえずは、西太后の子である同治帝が幼少なのを口実に延長戦になっていたが、皇帝が成人したので問題が再燃していた。 この問題を総理衙門や李鴻章と交渉して解決したのが、日本の外務卿にして特命全権大使として日清修好条規(調印は1871年)の批准文書交換のために北京に乗り込んだ佐賀藩出身の副島種臣で

                                    「日本は対等の国」と清に認めさせた副島種臣(特別寄稿)
                                  • 副島種臣の中国旅行記を追って…まずは3冊の伝記をあたってみました - 黒色中国BLOG

                                    去年(といっても先月のことだが)、ツイッターで副島種臣の話をしている時に気になって、彼の「支那漫遊」がどんなものだったのかを調べようととりあえず、近年発行された伝記3冊を調べてみました。 副島種臣伯(丸山幹治著/みすず書房) 副島種臣伯 (みすずリプリント) 作者: 丸山幹治 出版社/メーカー: みすず書房 発売日: 1987/05 メディア: ハードカバー この商品を含むブログを見る 1987年4月の発行だが、元は昭和11年に発行された本のリプリント版である。だから書体も文体も古めかしい。 「支那漫遊」に関する部分は非常に少なく、「支那漫遊、一等侍講となる」(293~307頁)の箇所のみで、前半は明治六年政変に触れ、後半は侍講時代のエピソードで埋められ、「支那漫遊」についての記述は295頁の末尾数行から297頁の半ば過ぎまでである。内容的にはネットで読める程度の簡単なことしか書かれていな

                                      副島種臣の中国旅行記を追って…まずは3冊の伝記をあたってみました - 黒色中国BLOG
                                    • 蔵書をいったいどうするか(番外編2)副島種臣関連資料は、九州の佐賀へ - 崩れた本の山の中から 草森紳一蔵書整理プロジェクト

                                      草森さんの大きなテーマの一つは、副島種臣(そえじまたねおみ)だった。佐賀出身の明治の政治家で、蒼海(そうかい)という号をもつ漢詩人で書家でもある。 1990年の3月、箱根の老舗旅館、松坂屋に行きたいという事で2人でお供。旅館の玄関を入ると、巨大な書「紉蘭」が待ち受けていたかのように眼前に現れた。草森さんはうれしそうに見入るばかり。何代目かの御主人が「ずっと飾ってはいるものの、読み方も意味もわかりません」と。「じんらんと言ってね、蘭の花の帯のことですよ」と草森さんが応じた事を思い出す。 (このときの写真は、圧倒されてしまったせいか、ピンボケか、書の上部が切れたものしか残っていない。なんということ!) その後、文芸誌『すばる』で「紉蘭 詩人副島種臣の生涯」が始まり(91年7月号〜96年12月号)、『文学界』で「薔薇香処 副島種臣の中国漫遊」(00年2月号〜03年5月号)を連載するが、次号完結、

                                        蔵書をいったいどうするか(番外編2)副島種臣関連資料は、九州の佐賀へ - 崩れた本の山の中から 草森紳一蔵書整理プロジェクト
                                      • 副島種臣の子・孫を知りたい。 | レファレンス協同データベース

                                        【参考資料】 ・『郷土史に輝く人びと 第3集 伊東玄朴 副島種臣』 (河村健太郎他編/佐賀県青少年育成県民会議 /1970)p69~ ・『副島種臣伯』(丸山幹治著/大日社/1936) p335、p343等 【調査済資料】 ・『人事興信録 上 S.18』(興信データ)の資料 (佐賀県立図書館より) ・『人事興信録 上 大正4年』(興信データ)の資料 (佐賀県立図書館より) ・佐賀県立博物館より電話にて。

                                          副島種臣の子・孫を知りたい。 | レファレンス協同データベース
                                        • 副島種臣(そえじまたねおみ)の解説 - goo人名事典

                                          goo辞書は無料で使える辞書・辞典の検索サービスです。1999年にポータルサイト初の辞書サービスとして提供を開始しました。出版社による信頼性の高い語学辞典(国語辞書、英和辞書、和英辞書、類語辞書、四字熟語、漢字など)と多種多様な専門用語集を配信しています。すべての辞書をまとめて検索する「横断検索」と特定の辞書を検索する「個別検索」が可能です。国語辞書ではニュース記事や青空文庫での言葉の使用例が確認でき、使い方が分からない時に便利です。

                                            副島種臣(そえじまたねおみ)の解説 - goo人名事典
                                          • 副島種臣とはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や逸話、子孫も紹介】 - レキシル[Rekisiru]

                                            「副島種臣ってどんな書を残したの?」 「副島種臣はどの藩の出身なんだろう」 幕末から明治にかけて活躍した志士・政治家で書家の副島種臣は、幕末・明治維新期の人物としては地味な存在です。それは、副島種臣が佐賀藩出身者であり、佐賀藩そのものが、佐幕・倒幕の立場をはっきりさせないまま戊辰戦争を迎えてしまったことも影響しています。 しかし、実際の副島種臣は、外務卿としてマリア・ルス号事件や日清修好通商条約の締結の場面で活躍し、またその高潔な人柄と博識から天皇の家庭教師ともいうべき「侍講」にまでなっています。政府に属しているときには「政体書」、政府から外れたときには「民選議院設立建白書」を起草するなど、明治国家の屋台骨といってもよい存在感を発揮しました。 端正な顔立ちはどこかエキゾチックで、日本人離れした雰囲気を感じます。じつは奇想天外な書家としても有名になるという意外な一面ももっていました。 今回は

                                              副島種臣とはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や逸話、子孫も紹介】 - レキシル[Rekisiru]
                                            • 副島種臣全集 3 著述篇 3

                                                副島種臣全集 3 著述篇 3
                                              • 日本最初期のチャイナウォッチャー「副島種臣」 - 黒色中国BLOG

                                                日本のこの手の漢字教育って、漢字に恨みでもあるのか…って毎回思うな。 いっそのこと、英語も公用語にして、日本語勉強しなくていいとか、そういう抜け道も作って欲しい。 https://t.co/bfHJDKo8bn — 黒色中国 (@bci_) December 2, 2018 昨日は何気なくつぶやいたこのツイートが意外に多くRTされたが、RTの数より集まってきたリプライが有益だった。 それらは直接ツイートを見ていただくとして、私自身面白いと思ったのは、副島種臣の件だ。彼の書が中国で評価されている…彼自身も中国では評判が良い日本人であった…というのだ。 ▲副島種臣 副島種臣と清国 日清戦争120周年の折、興味あって山東省威海市に赴き、「威海衛の戦い」の史跡を巡り歩き、関連の書籍、資料なども読んだのだけど、明治以後~日清戦争以前の日清関係というのは、自分が考えていたのとはかなり違ったものだった。

                                                  日本最初期のチャイナウォッチャー「副島種臣」 - 黒色中国BLOG
                                                • R 致道博物館収蔵の副島種臣(蒼海)の書/荘内南洲会館にて

                                                  『Rico's Room2』へ、ようこそ♪ 昨年末より、NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』を必死に観ています。 全13巻中、11巻まで観終えたところです。 「佐賀の乱」が始まる一歩手前で終わりました。 こうしてみると、国は壊すよりも造る方が難しいということがよくわかりました。 その中で、大久保利通氏という人物が近代日本の礎を築いた功労者であったということを具体的に知ることができ、この年末年始にかけて、『翔ぶが如く』を観てよかったと思っています。 大久保利通氏は、享年47歳ということは・・・40代という若さで近代日本の基礎を築かれたということに驚きました! このドラマの中では、ほんの少ししか、副島種臣氏は登場しませんでしたが、ふと、昨年12月14日に拝見させていただいたこちらの副島種臣(蒼海)氏の真筆のことを思い出しました。 この書は、普段、致道博物館に収蔵されているものなのですが、公益財団法人

                                                    R 致道博物館収蔵の副島種臣(蒼海)の書/荘内南洲会館にて
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