いつからか、「自分には見えないものがたくさんある」と思うようになった。 例えば差別を受けてきた人や、様々な困難とともにある人から聞く体験が、表面上は理解できても、リアルに感じられないことがある。自分の何気ない発言が、知らずのうちに誰かを傷つけてしまうことがある。様々な話し合いの場に参加するなかで、自分には全く見落としてしまっていたり、存在すら感じられないものがある、ということに徐々に気づいてきた。 はじめはこれらの「見えなさ」の原因を社会に求め、その構造を探究しようとしていた。「当事者」の声を隠蔽するシステムが何かあるのだろう、それはどういうものだろう、と。しかしあるとき、この疑問は「自分にはなぜそれらが見えないのだろう?」という問いに変換しないと意味がない、とふと気づいた。そして出てきた答えはシンプルだった。 なんのことはない、それは自分がマジョリティだからである。 自分は日本人であり、