並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 44件

新着順 人気順

奥崎謙三の検索結果1 - 40 件 / 44件

  • 奥崎謙三 政見放送

    1983年 衆院選兵庫1区に立候補、落選 同選挙期間中、広島県大竹市の軍隊時代の上官宅を訪ね、応対に出た長男に拳銃を発砲し、負傷させる (殺人未遂罪等で懲役12年)

      奥崎謙三 政見放送
    • 奥崎謙三 - Wikipedia

      奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍軍人(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、俳優、アナーキスト。昭和天皇パチンコ狙撃事件の犯人として知られる人物。他にも不動産業者刺殺事件や皇室ポルノビラ事件、元上官長男への殺人未遂事件を起こして度々服役した。またドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演していた。自らを「神軍平等兵」と称していた。 人物・生涯[編集] 奥崎謙三邸(神戸市兵庫区、現存せず) 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営(陸軍二等兵)し、後に九江の工兵隊へ転属。1943年1月、独立工兵第36連隊に配属され、4月に当時激戦地だった東部ニューギニア(ニューギニアの戦い)に派

        奥崎謙三 - Wikipedia
      • 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

        「奥崎謙三物語」に関してですが、筆者自身は奥崎氏、支援者各氏との接触は皆無でありまして、既存の奥崎謙三の著書、出演映画を参考として作成しました。察知の方もいらっしゃるかもしれませんが、奥崎氏は既に他界し、関係者の方も絶縁状態にあり、取材等が困難なのであります。 出版社の関係者様に、厚かましいお願いではありますが、筆者としては著作権を侵害する意思は毛頭御座いません。反対に廃刊の多い奥崎謙三の著書が復刊できる一助となればと思い、ブログを開設致しました。奥崎氏の著書は難解な内容である物が多く、「奥崎謙三物語」を、各書の解説書の様な位置づけで考えていただければ幸いであります。御指摘を頂けましたら、直ちに該当箇所を削除致します。 以下、参考文献 ヤマザキ、天皇を撃て―皇居パチンコ事件陳述書 奥崎謙三 新泉社 ゆきゆきて神軍の思想 奥崎謙三 新泉社 非国民奥崎謙三は訴える―ゆきゆきて神軍の凱歌 奥崎謙

          奥崎謙三 神軍戦線異状なし
        • 天皇にパチンコ玉、奥崎謙三を追う『ゆきゆきて、神軍』 - チェコ好きの日記

          先日、渋谷アップリンクにて原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』を鑑賞してきたので感想文を書く。実は初見だったのだけど、脳が沸騰するくらい面白かった。上映後には原監督と映画史研究家の春日太一さんのトークショーがあり、そこで原監督が「これ、30年前の映画だけど全然古くないでしょ?」とおっしゃっていて、「はい、全然古くありません!」と思った。 感想を書くからにはもちろんブログを読んでくれた人に鑑賞を勧めたいのだけど、連日満席らしいのでチケット取りづらいかもしれません。 たったひとりの「神軍平等兵」奥崎謙三 そんな『ゆきゆきて、神軍』とは、アナーキスト・奥崎謙三を追ったドキュメンタリー。マイケル・ムーアやマーティン・スコセッシも絶賛しているらしく、日本のドキュメンタリー映画を代表する傑作であるといわれている。 問題はこの映画の主人公である奥崎謙三という人なのだけど、彼は言葉を選んでいえば「昨今なかなか

            天皇にパチンコ玉、奥崎謙三を追う『ゆきゆきて、神軍』 - チェコ好きの日記
          • 原一男監督、奥崎謙三さんの墓跡地に参る

            原一男 @kazu19451 ①WOWOWの「ノンフィクションW」で私をとりあげるという企画で撮影が続いています。その一環で、奥崎謙三宅の跡を訪ねたいという取材チームの要請で神戸に行ってきました。今は奥崎宅は取り壊されて駐車場に変わっています。かつて、ここに奥崎さんが暮らしてたんだなあと思うと奇妙な感覚です。 2015-08-04 11:39:23 原一男 @kazu19451 ②その帰り道「神戸市追谷墓園」へ行ってきました。「神軍」の撮影が始まった頃、30年以上も前、奥崎さんに連れられてここにきました。奥崎さんのお母さんのお墓がありました。映画に登場するのと同じ4寸角の木材にペンキを塗ってその上に奥崎さん直筆の文字で書いた手作りの墓標が立っていました。 2015-08-04 11:39:56 原一男 @kazu19451 ③その手作りの墓標を探しましたが見つからず。「追谷墓園」は六甲山麓

              原一男監督、奥崎謙三さんの墓跡地に参る
            • 38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任 (『(日本人)』未公開原稿1) – 橘玲 公式BLOG

              海外出張中なので、新刊『(日本人)』から、最終稿で削った部分をアップします。 奥崎謙三「ゆきゆきて進軍」のエピソードは、戦争責任と原発事故責任の対比で使おうと思ったのですが、他のエピソードと重複する感があるのでカットしました。 *********************************************************************** 『ゲゲゲの女房』で一躍、国民的なスターとなった漫画家・水木しげるは戦局の悪化した1943(昭和18)年末、南太平洋の航空拠点ラバウルのあるニューブリテン島に派遣された。21歳の水木は臨時歩兵連隊の二等兵で、上陸直後から、米軍機の爆撃と食糧不足に悩まされることになる。 水木の小隊は戦闘らしい戦闘もしないままジャングルのなかで転進を繰り返し、海軍基地のあったバイエンという海辺の村で米軍の急襲を受ける。兵舎で寝ていた兵たちはなんの

                38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任 (『(日本人)』未公開原稿1) – 橘玲 公式BLOG
              • Amazon.co.jp: ゆきゆきて、神軍 [DVD]: 原一男 (監督), 奥崎謙三 (出演): DVD

                  Amazon.co.jp: ゆきゆきて、神軍 [DVD]: 原一男 (監督), 奥崎謙三 (出演): DVD
                • 「8月15日に靖国神社で花束からドスを抜いて…」奥崎謙三が構想していた『ゆきゆきて、神軍』幻のシーン | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

                  クルマには「田中角栄を殺す!」の文字 坂本 私が『ゆきゆきて、神軍』を見て驚いたのは、奥崎さんを監視対象にしていたはずの当時の警察までもが、彼には一目置いていたことです。かつて天皇にパチンコを撃った男が、今度は「田中角栄を殺す!」と車体に書いたマークⅡに乗って移動しても誰も止めない。 それどころか、奥崎さんに「これから東京に行く」と言われれば、兵庫県警の警部が飛んできて「先生、うちも県境までいつものようについて行かせてもらいます!」と媚びる。あれには驚きました。 『ゆきゆきて、神軍』(今村昌平企画、原一男監督)は、1987年に公開されたドキュメンタリー映画。太平洋戦争の飢餓地獄、ニューギニア戦線で生き残り、自らを「神軍平等兵」と称して、慰霊と戦争責任の追及を続けた奥崎謙三の破天荒な言動を追う。同作は今なお日本のドキュメンタリー映画の最高傑作と名高い 原 兵庫県警の担当の刑事さんは、奥崎さん

                    「8月15日に靖国神社で花束からドスを抜いて…」奥崎謙三が構想していた『ゆきゆきて、神軍』幻のシーン | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
                  • 最終章 その後の神軍 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                    今は亡き遠藤弁護士も、出所後の奥崎は全く変わってしまったと言っている。出所前に散々に困らせられて、尚、遠藤の目には奇怪に映ったのだろう。出所前に遠藤に宛てた手紙には 「新泉社が獄中から出版した、印税を払ってくれないので、出所したら社長を殺します。殺す現場はテレビ局に撮影して貰います」 と書いてあったらしい。遠藤は困ったなと思っていたら、一九九七年九月に奥崎がひょっこり予約無しで現れたそうだ。遠藤の妻が応対したが、何やら新興宗教の教祖として活動をはじめたとかいう話を聞いたらしい。これは「神様の愛い奴」の収録が終わったくらいの時期になる。以後、遠藤は奥崎と関わり合いになることは無かった。 しかし、本当に奥崎は変わってしまったのか?その答えは沢木耕太郎氏のルポにあった。沢木氏は不敬列伝で奥崎のゴッドワールドを「理想社会」として描写している。沢木氏は奥崎の「理想社会」をよく呑み込めないとしていた。

                      最終章 その後の神軍 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                    • Amazon.co.jp: ゆきゆきて、神軍 [DVD]: 原一男 (監督), 奥崎謙三 (出演): DVD

                        Amazon.co.jp: ゆきゆきて、神軍 [DVD]: 原一男 (監督), 奥崎謙三 (出演): DVD
                      • jacony's memo — mrmt: 奥崎謙三///自称・非国民、神軍平等兵。天皇パチンコ事件、天皇ポルノビラ事件の奥崎です。代...

                          jacony's memo — mrmt: 奥崎謙三///自称・非国民、神軍平等兵。天皇パチンコ事件、天皇ポルノビラ事件の奥崎です。代...
                        • Amazon.co.jp: 神様の愛い奴 [DVD]: 奥崎謙三 (出演), 奥崎謙三 (Unknown): DVD

                            Amazon.co.jp: 神様の愛い奴 [DVD]: 奥崎謙三 (出演), 奥崎謙三 (Unknown): DVD
                          • 第一七章 神軍凱旋 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                            一九九七年八月二〇日、午前五時。府中刑務所の前には報道陣がチャーターしたタクシーが数台停車している。釈放の瞬間を目撃しようとした一般人も数名おり、今かと待ちかまえている状態だった。三〇分後に通用門が開き、ヨロヨロと出てきた老人。それが奥崎だった。腰は「くの字」に曲がり、やや痛々しい。歯も抜け落ちて総入歯だ。軍服調にあしらった看護服を身にまとっている。胸には「GWCA万人が一様に生きるゴッドワールドを作る会 神軍平等兵」と書かれている。もうそこには以前の勇姿はなかった。 テレビカメラに向かって奥崎はまくし立てた。 「ありがとうございます。朝早くからご苦労様です。神軍平等兵、奥崎謙三、ただ今凱旋いたしました。」 「私のようなマズいツラを撮っていただいて感謝いたします。光栄です皆様、お礼を申し上げます皆様、皆様は罪人なんですね、神様の法律では。私は国家の法律では罪人ですけど、神様の法律では公人な

                              第一七章 神軍凱旋 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                            • 奥崎謙三の悪口

                              奥崎謙三の悪口である。素材はもっぱら映画『ゆきゆきて神軍』である。何も最近、初めてビデオを見たとかいうわけではまったくなくて、公開当時(1987年)、大学の友人の大野さんとフッキーと3人で渋谷のユーロスペースに見に行ったのだった。それなら「なんで今時」と思う方もいらっしゃるかもしれない。理由の一つは思い出したから、というものであるし、もう一つは彼が不幸自慢をする人物の一つの極端な例であると私が今でも思っているからだ。自分の方が凄い地獄を見ているということを自慢するような手合が非生産的な話をするのが私は好きじゃないのだよ。 奥崎謙三などと言っても、全然知らない人もいるだろう。暇な人は映画『ゆきゆきて神軍』をレンタルビデオで借りて見ればよい。少し大きめのレンタルビデオ店なら、まず置いている。ただ、見て感動するような類いのものではない。むしろ、気分が悪くなるという人の方が多いかも知れない。世に彼

                              • 第一八章 墜ちた偶像 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                                出所後の奥崎は前述の通りに「色ボケ」してしまった。「ゆきゆきて神軍」にみられたような過去の戦争犯罪の追求に力を燃やしたその姿はどこにも見えない。それは自身の二本目の映画「神様の愛い奴」で確信される。劇場で一般公開されることはなく、主にDVDで販売されている。内容は最悪であるが、奥崎の死を見届ける意味でも一見するべきである。 監督は藤原章氏だが、制作の中心は漫画家の根本敬氏による所が多いだろう。根本氏は奥崎の支援者でもある。重松氏から奥崎のミニコミ誌を貰ったのが、きっかけである。根本氏は、一九八一年九月号の「月刊漫画ガロ」に『青春むせび泣き』が掲載され漫画家デビュー。当時のヘタウマブームに乗り、八〇年代での活動の場はエロ雑誌からメジャー誌までと非常に幅広かった。根本の作風は「便所の落書きが増殖したような漫画」と揶揄され、見た目の異様さで嫌悪感を覚えるものが多い。それが故にファン層は非常に限ら

                                  第一八章 墜ちた偶像 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                                • “ポスト奥崎謙三”を探し続けた原一男監督の24年ぶりのドキュメンタリー『ニッポン国VS泉南石綿村』

                                  原一男監督の最新作『ニッポン国VS泉南石綿村』。終戦の年に生まれた原監督が昭和、平成の日本を総括した上映時間3時間35分に及ぶ大長編。 奥崎謙三が主演した『ゆきゆきて、神軍』(87)を観ていない人は、映画の面白さをまだ半分しか知らないと言っても過言ではないだろう。そのくらい『ゆきゆきて、神軍』は爆裂的に面白い映画だった。世間の法に背いても、自分なりの正義を貫こうとする奥崎謙三の強烈すぎるキャラクター、そんな奥崎を煽るように追い掛ける原一男監督のカメラ、そして予期せぬ展開、暴かれる第二次世界大戦時の深い闇……。その後の多くの映像作家たちに多大な影響を与えたドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』だが、この映画が大ヒットしたことで、原監督自身の人生も大きな影響を受けることになる。奥崎謙三より面白い人間はいないかと探し回り、新作が発表できない日々が続いた。『神軍』の後に撮影した『全身小説家』(9

                                    “ポスト奥崎謙三”を探し続けた原一男監督の24年ぶりのドキュメンタリー『ニッポン国VS泉南石綿村』
                                  • あの世とこの世を橋渡しする「欠けた王」、水木しげると奥崎謙三。高城晶平が綴る | CINRA

                                    高城晶平(たかぎ しょうへい) バンドceroのボーカル / ギター / フルート担当。2019年よりソロプロジェクト「Shohei Takagi Parallela Botanica」を始動。2020年にアルバム『Triptych』をリリースした。その他、ソロとしてDJ、文筆業など多岐に渡って活動している。 2015年から2016年の上半期にかけて、大阪のラジオ局に隔週で出演していたことがある。来阪のたびになんの変哲もないシティホテルに泊まっていたのだが、このホテルがどうにも落ち着かず、寝苦しい。真ん中が吹き抜けになったロの字型の建物で、夜中にカーテンを開けると、向こうの壁の暗い窓に自分のシルエットが写る。なにか特筆するようなことが起こったわけではないが、ほんの少し不気味な場所だった。 そのことを音楽家の大先輩であるKさんに話すと、その場所には以前別のホテルが建っていて、自分も泊まったこ

                                      あの世とこの世を橋渡しする「欠けた王」、水木しげると奥崎謙三。高城晶平が綴る | CINRA
                                    • 『ゆきゆきて、神軍』各地で上映 奥崎謙三の生誕100周年『夏の神軍祭り』 | CINRA

                                      原一男監督の映画『ゆきゆきて、神軍』が8月14日から東京・アップリンク吉祥寺ほか全国で順次公開される。 1987年に公開された同作は、「神軍平等兵」を自称する奥崎謙三が、2人の兵士を敵前逃亡の罪で処刑した元上官たちのもとを訪れ、真相を究明する姿を追ったドキュメンタリー。戦後75年が経過し、奥崎謙三の生誕100周年を迎えることから『夏の神軍祭り』と銘打って全国のミニシアターで公開するほか、原一男監督による舞台挨拶を行なう。 発表とあわせて『夏の神軍祭り』特別版の予告編と奥崎謙三生誕100周年を記念したビジュアルに加えて、原一男監督、仁藤由美(名古屋シネマテーク)、林未来(元町映画館)、小坂誠(第七藝術劇場、シアターセブン)、宮嵜善文(NPOコミュニティシネマ松本CINEMAセレクト)のコメントが公開。 原一男監督のコメント 「ゆきゆきて、神軍」の完成前から「神軍パート2」を作って欲しい、と私

                                        『ゆきゆきて、神軍』各地で上映 奥崎謙三の生誕100周年『夏の神軍祭り』 | CINRA
                                      • 奥崎謙三が原一男に送っていた『ゆきゆきて、神軍』続編の具体的構想 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

                                        天皇をパチンコで撃った男、奥崎謙三 『ゆきゆきて、神軍』(今村昌平企画、原一男監督)は、1987年に公開されたドキュメンタリー映画。太平洋戦争の飢餓地獄、ニューギニア戦線で生き残り、自らを人間の作った法と刑を恐れずに行動する「神軍平等兵」と称して、慰霊と戦争責任の追及を続けた奥崎謙三の破天荒な言動を追う名作だ。 奥崎は第二次大戦中、日本軍の独立工兵隊第36連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣されていた。ジャングルの極限状態で生き残ったのは、同部隊約1300人中、わずか100名ほど。 その後は1956年、店舗の賃貸借をめぐる金銭トラブルから悪徳不動産業者を刺殺し、傷害致死罪で懲役10年。1969年、皇居の一般参賀で昭和天皇にパチンコ玉を発射し、懲役1年6か月。 1972年、ポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラを約3,000枚をまき、懲役1年2か月。1981年、田中角栄殺人

                                          奥崎謙三が原一男に送っていた『ゆきゆきて、神軍』続編の具体的構想 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
                                        • 神軍平等兵・奥崎謙三、過激すぎる暴力的正義/映画『ゆきゆきて、神軍』予告編

                                          平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』が今年も!『れいわ一揆』、『水俣曼荼羅』と話題の新作2本が公開待機中の原一男監督の普及の名作「ゆきゆきて、神軍」が<夏の神軍祭り>が開催! 今年は戦後75年、そして本作のメインキャラクターである奥崎謙三氏の生誕100周年であることから、全国のミニシアターで開催され、各劇場で、原一男監督によるオンラインも含む舞台挨拶が予定されている。 そして今回は、<夏の神軍祭り>特別版の予告編、が発表された。 また、今回の上映に際して、原一男監督がコメントを寄せた。 <原一男監督コメント> 「ゆきゆきて、神軍」の完成前から「神軍パート2」を作って欲しい、と私を説得しようとかかっていた奥崎さん。「神軍」のラストで元中隊長の息子さんに銃を発砲して重傷を負わせた奥崎さんのこと。パート2を作ったら、もっと大きな

                                            神軍平等兵・奥崎謙三、過激すぎる暴力的正義/映画『ゆきゆきて、神軍』予告編
                                          • 兵務局 on Twitter: "天気の良さに耐えかね作業を投げて電車へ乗り込んだ。古本屋の均一棚で立花隆宛の奥崎謙三署名本をみつけた。今おれは無敵だ https://t.co/prYa0k1zfm"

                                            天気の良さに耐えかね作業を投げて電車へ乗り込んだ。古本屋の均一棚で立花隆宛の奥崎謙三署名本をみつけた。今おれは無敵だ https://t.co/prYa0k1zfm

                                              兵務局 on Twitter: "天気の良さに耐えかね作業を投げて電車へ乗り込んだ。古本屋の均一棚で立花隆宛の奥崎謙三署名本をみつけた。今おれは無敵だ https://t.co/prYa0k1zfm"
                                            • 第一三章 ゆきゆきて神軍 前編 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                                              昭和五六年一二月、神戸の奥崎邸を訪れた二人組がいた。映画監督原一男とその妻小林佐知子であった。原一男は今村昌平より渡された「田中角栄を殺すために記す」を読み、奥崎に興味を抱いたのであった。原は今村に奥崎に会いたい旨を伝えると、紹介状代わりと、自分の名刺を原に渡した。 翌年の昭和五七年に、原は再度、奥崎邸に向かった。まだ無名であった原は、奥崎に映画作りを熱く語った。本音は今村に撮って欲しかった奥崎ではあるが、次第に乗り気になったのか、最終的な資金の話まで及んだ。原の妻である小林は資金を一口二〇万で募ると懸命に具体的なプランを説明した。奥崎も乗り気になったように、 「そうですか、私のお金をアテにしてらっしゃったのなら、私はお金がありませんから、映画を作っていただくことをお断りしようと思っていたんです」 「原さんと小林さんが、御自分のためだと思われて、映画を作っていただけるのなら、私の方も甘えて

                                                第一三章 ゆきゆきて神軍 前編 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                                              • 『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三の出所記念トーク(第一幕)|ロフトプラスワン事件簿|平野悠(ロフト席亭)

                                                ロフトプラスワン事件簿 2016.10.30 公開 ポスト 思い出の出演者たち 『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三の出所記念トーク(第一幕)平野悠(ロフト席亭) ■「孤高の服役囚 奥崎謙三出所~「神様の愛い奴」まで全4幕」<前段~出所カウントダウンが始まった> う~ん、ロフトプラスワンがオープンして20年、いろいろあったが、最大の事件は奥崎謙三だ。奥崎との関わりが始まったのは、ロフトプラスワンが新宿・富久町にオープンしてまだ1年も過ぎていない春だったと思う。 ある日、物静かな、ちょっと暗い感じの若い男が企画書を持ってきた。 「あの~、奥崎謙三さんが来年、府中刑務所から13年の刑期を終えて出所するんです。僕は奥崎さんの身元引受人をやっている重松修(工員)と言います。 僕もあの映画『ゆきゆきて神軍』(原一男監督作品)を見てショックを受けました。空前の単館大ヒットをとばした凄い作品でしたよね。学生時代

                                                  『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三の出所記念トーク(第一幕)|ロフトプラスワン事件簿|平野悠(ロフト席亭)
                                                • 「皇室ポルノ事件」奥崎謙三がトイレの個室に立て籠もり、AVソープ! ロフトプラスワン創始者・平野悠が語る「強烈イベント」 - TOCANA

                                                  いまやサブカルチャー系のイベントにはなくてはならないものになりつつあるトークライブ。しかし、20年以上前、トークイベント自体が珍しく、ましてやそれを専門としたライブハウスなど存在しなかった。トークライブハウスという未開拓の地を切り開き、ロフトプラスワンをその筆頭に育て上げた「株式会社ロフトプロジェクト」代表取締役の平野悠氏が、『TALK is LOFT 新宿ロフトプラスワン事件簿』(ロフトブックス)を7月31日に上梓したと聞き、平野氏に話を聞いた。 ――今でこそメジャーなトークイベントですが、平野さんがロフトプラスワンをつくった当時は珍しかったと。そもそも、なぜトークイベント専門のライブハウスをつくろうと考えたんですか? 平野悠氏(以下、平野) 1970年代、ロックのライブハウスを数軒とレコード会社、プロダクションなどを経営していたんだけど、当時の日本のロックは、大手レコード会社などにまっ

                                                    「皇室ポルノ事件」奥崎謙三がトイレの個室に立て籠もり、AVソープ! ロフトプラスワン創始者・平野悠が語る「強烈イベント」 - TOCANA
                                                  • ニューギニア戦線を体験した飯田進と奥崎謙三、それにキーワード編集など。 - Transnational History

                                                    地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書) 飯田 進 新潮社 2008-07 売り上げランキング : 130703 Amazonで詳しく見る by G-Tools 飯田進『地獄の日本兵』。本書はニューギニア戦線を体験した飯田さんの戦争体験だけでなく、生き残った元日本兵の手記や戦記をいくつも紹介しながら、戦場の実態を伝えている。 太平洋戦争での230万人といわれる日本軍の死者数の最大多数は、敵と撃ち合って死んだ「名誉の戦死」といわれるような兵士ではなく、日本から遠く離れた戦地で飢えと疲労にマラリアなどの伝染病を併発し置き去りにされた兵士たちだった。 兵士たちはトカゲ、カエル、ムカデなど動くものは何でも食べた、軍靴も2日煮込んで口に入れた、そして、弱っている者は仲間の日本兵に殺され食料を奪われ、最後には人肉食という悲劇まで発生したのだった。 こうした惨状を国民が知るのを恐れた軍部は、生

                                                      ニューギニア戦線を体験した飯田進と奥崎謙三、それにキーワード編集など。 - Transnational History
                                                    • 『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三の出所記念トーク(第二幕と第三幕までをとりあえず)|ロフトプラスワン事件簿|平野悠(ロフト席亭)

                                                      ロフトプラスワン事件簿 2016.11.01 公開 ポスト 第12回 思い出の出演者たち 『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三の出所記念トーク(第二幕と第三幕までをとりあえず)平野悠(ロフト席亭) ▽第二幕 1996年8月23日、お昼過ぎ。 靖国通りに面したロフトプラスワンの入り口には、数名の関係者が奥崎謙三の到着を待ち構えていた。真夏の新宿はアスファルトが焼けるほど暑かった。あるいは暑さのせいだけでなく、これから起こるであろう出来事に対する緊張の汗も入り交じっていただろう。 ほとんど宣伝もできなかったが、口コミだけで多くのお客さんが集まってきた。報道陣もフリーライターも多く、突破者・宮崎学、一水会・鈴木邦男、見沢知廉(みさわ ちれん)など只者ではない顔ぶれもあった。 複数のテレビ局が特集取材に動き回っていたが「平野さん、とても今の奥崎さんは、言うことが支離滅裂で取材をあきらめました」と早々に引き

                                                        『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三の出所記念トーク(第二幕と第三幕までをとりあえず)|ロフトプラスワン事件簿|平野悠(ロフト席亭)
                                                      • 『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三生誕100周年《夏の神軍祭り》-特別予告が公開!原一男監督が平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた渾身の大ヒット作が今年もー - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン

                                                        『れいわ一揆』、『水俣曼荼羅』と話題の新作2本が公開待機中の原一男監督の普及の名作「ゆきゆきて、神軍」が<夏の神軍祭り>が開催されます。 今年は戦後75年、そして本作のメインキャラクターである奥崎謙三氏の生誕100周年であることから、全国のミニシアターで開催され、各劇場で、原一男監督によるオンラインも含む舞台挨拶が予定されています。 そして今回は、<夏の神軍祭り>特別版の予告編、奥崎謙三生誕100周年を記念したビジュアルが発表されました。 また、今回の上映に際して、上映劇場の関係者、原一男監督がコメントを寄せました。 奥崎謙三生誕100周年記念ビジュアル 原一男監督の普及の名作-奥崎謙三生誕100周年記念『ゆきゆきて、神軍』予告 youtu.be<劇場コメント> 戦争を知らないオレたちに、生ける亡霊が降りてきた。奥崎という名の敗戦の鬼が。 仁藤由美(名古屋シネマテーク) 受け容れられること

                                                          『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三生誕100周年《夏の神軍祭り》-特別予告が公開!原一男監督が平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた渾身の大ヒット作が今年もー - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン
                                                        • 『奥崎謙三 政見放送』へのコメント

                                                          ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

                                                            『奥崎謙三 政見放送』へのコメント
                                                          • [原一男]しばらく奥崎謙三のことは忘れて「市井の人々」に目を向けてみよう | メディアゴン|mediagong

                                                            原一男[ドキュメンタリー映画監督] *** (これまでの連載はコチラ) 狙いに沿って呼びかけを始めた。 「あなたの人生でやり残したことありませんか?」 これだけはキチンとやってから逝きたいって思っていることがあれば、私たちと一緒にやってみませんか? と。だが、ことは思惑通りに進まなかった。人口8万人いる市だもの、二人や三人はいるだろ、と思っていたのだが志願する人はゼロだった。ガックリ。こんなにノリの悪いところで“地域活性化”なんて無理だよ、とすっかりむくれてしまった。 焦った地元のスタッフたち自身が探そうと動き始めた。その努力の甲斐あって「こんな人がいるんですけど…」と候補の人の情報が集まり始めた。その経過の説明は省略、結果をいうと……。地元に「八幡堀」という時代劇のロケに頻繁に使用されるお堀があるが、そのお堀回りを毎日、365日、一日も欠かさず清掃している人。 琵琶湖に近い近江八幡市には

                                                            • 神軍平等兵・奥崎謙三、過激すぎる暴力的正義/映画『ゆきゆきて、神軍』予告編

                                                              平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』が今年も!『れいわ一揆』、『水俣曼荼羅』と話題の新作2本が公開待機中の原一男監督の普及の名作「ゆきゆきて、神軍」が<夏の神軍祭り>が開催!今年は戦後75年、そして本作のメインキャラクターである奥崎謙三氏の生誕100周年...

                                                                神軍平等兵・奥崎謙三、過激すぎる暴力的正義/映画『ゆきゆきて、神軍』予告編
                                                              • 第一章 少年時代 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                                                                大正九年二月一日、奥崎謙三は兵庫県明石市大蔵町にて、小学校教諭の母・和賀、裕福な農家の息子の父・俊三郎の間に生を受けた。小学校低学年では、いじめられっこだったが、高学年に進むにつれて誰にもいじめられなく、成績は上位だった。 奥崎の少年時代であった昭和初期における日本経済は、第一次大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌(昭和恐慌)によって弱体化していた。株の暴落により都市部では多くの会社が倒産し失業者があふれ、農作物は売れ行きが落ち価格が低下、冷害・凶作のために疲弊した農村では娘を売る身売りや欠食児童が急増し、生活できなくなり大陸へ活路を見いだす人々が増加していた。 そんな中、小学校教師の母と裕福な庄屋の出であると父とで構成される奥崎家も、例に漏れず不況のため家計が苦しくなり、父親は自分を含めた家族六人を養うことができず、妹は他家に養女に出し、母親と姉は大阪で住み込みで働くことになった。母親

                                                                  第一章 少年時代 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                                                                • 「奥崎謙三物語」のブログ記事一覧-奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                                                                  今は亡き遠藤弁護士も、出所後の奥崎は全く変わってしまったと言っている。出所前に散々に困らせられて、尚、遠藤の目には奇怪に映ったのだろう。出所前に遠藤に宛てた手紙には 「新泉社が獄中から出版した、印税を払ってくれないので、出所したら社長を殺します。殺す現場はテレビ局に撮影して貰います」 と書いてあったらしい。遠藤は困ったなと思っていたら、一九九七年九月に奥崎がひょっこり予約無しで現れたそうだ。遠藤の妻が応対したが、何やら新興宗教の教祖として活動をはじめたとかいう話を聞いたらしい。これは「神様の愛い奴」の収録が終わったくらいの時期になる。以後、遠藤は奥崎と関わり合いになることは無かった。 しかし、本当に奥崎は変わってしまったのか?その答えは沢木耕太郎氏のルポにあった。沢木氏は不敬列伝で奥崎のゴッドワールドを「理想社会」として描写している。沢木氏は奥崎の「理想社会」をよく呑み込めないとしていた。

                                                                    「奥崎謙三物語」のブログ記事一覧-奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                                                                  • 公開から34年『ゆきゆきて、神軍』が今も人気の理由 原一男監督が語る「奥崎謙三」という男(全文) | デイリー新潮

                                                                    ――本作はドキュメンタリー映画では驚異的な息の長さだと思います。今年は原監督と小林佐智子さん(『ゆきゆきて~』のプロデューサーで原一男夫人)が保管されていた奥崎の遺品を展示した「遺品展」も開催されて、さらに盛況です。この作品が“時代を超えて”支持される理由はどこにあるのでしょうか。 原一男監督(以下、原監督):何て言うんだろう……情報過多な現代だからこそ、奥崎謙三みたいな強烈な存在に触れて刺激を受けたいと思ってるんじゃないかな。 公開された1987年当時は社会現象っていうか、若い人がドッと映画館に押し寄せてメディアが騒いで評判が評判を呼んでって感じだった。その頃の若い人たちは奥崎謙三に、アメリカ映画に出てくるようなヒーローを見ていたんだって思う。アポなしで元上官の家を襲撃して戦争の真相を追究する、あのスタイル。小気味良いくらいにこきおろす、つるし上げるところが、非常に痛快に見えたっていうの

                                                                      公開から34年『ゆきゆきて、神軍』が今も人気の理由 原一男監督が語る「奥崎謙三」という男(全文) | デイリー新潮
                                                                    • 奥崎謙三氏の政見放送。 - 海鳴りの島から

                                                                      『ゆきゆきて、神軍』や奥崎謙三氏のことが、いまの若い世代にどれだけ知られているだろうか。たまに酒を飲みながらこの政見放送を見るのだが、一見の価値はある。 https://www.youtube.com/watch?v=t3EALg22uMY

                                                                        奥崎謙三氏の政見放送。 - 海鳴りの島から
                                                                      • 第七章 殺人者 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                                                                        警察署で凶器を取り出し、 「いま、楠六交差点のそばで人を刺してきた」 といい、奥崎は緊急逮捕された。刑事は慌てながら 「落ち着け、落ち着け」 と奥崎に焦りながら言う。そして取り調べを受けている最中に、 「病院で延原が仏になった」 と知らされた。痛い目に遭わせるだけの目的であったのが、殺人になってしまい、愕然とした気分になった。 奥崎の弁護は元判事である山脇弁護士が担当した。起訴状には殺意有りと記載されていて、奥崎は殺意がなかったことを抗議するが、山脇弁護士は情状酌量を狙う方針を採ろうとしたので、意見が食い違い、山脇弁護士は解任される。最終的に判旨では、「殺意有り」という判断が下された。この頃から奥崎の弁護士に対する不信感が芽生えた。そういうこともあり、以降の裁判で奥崎に解任された弁護士は数知れない。 その後、国選弁護士が奥崎を弁護したが、刑事事件を一人で戦うことは無謀にも等しく、裁判官の心

                                                                          第七章 殺人者 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
                                                                        • 実名でのネット活用 奥崎謙三氏死去 - せつなき刹那日記

                                                                          ■実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止 ■ 実名で利用って、それは強制でしょうか。 だったら、僕は出来ないです。ネット世界からさっさと足を洗います。 実生活では決して見せられない、自分の「真実の部分」を晒しているということが多いわけです。 それが実名ってことになると、建前の世界でしかなくなってくる。 そんな、現実と寸分違わぬ世界には、魅力を感じませんものね・・。 匿名か、実名か、選択するのは、本来、僕らユーザーの権利のはずです。 それを、総務省が強制するのはどうなんでしょうか。 悪質、かつ問題のあるサイトは、他に規制の方法があるはず。 すべて実名にしてしまえというのは、あまりに安易な発想ではないでしょうか? ■奥崎謙三氏死去 「ゆきゆきて、神軍」出演■ そうですか、死にましたか。 「皇居参賀パチンコ事件」や「天皇ポルノビラ」事件でこの人の存在は知っていました。 たしか、参議院の

                                                                            実名でのネット活用 奥崎謙三氏死去 - せつなき刹那日記
                                                                          • 奥崎謙三さん 85歳 死去=元日本兵 - ex

                                                                            http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20050626ddm041060067000c.html 日本兵として死んだのか。 出所後は一人暮らしで、近年は病気がちだったという。昨年8月に自宅で倒れているところを発見され、入院生活を送っていた。死ぬ直前まで院内で「バカ野郎」と叫んでいたという。 いい話だ。

                                                                              奥崎謙三さん 85歳 死去=元日本兵 - ex
                                                                            • 「ゆきゆきて、神軍」 奥崎謙三の行動論理 | 戦国ヒストリー

                                                                              1987年に公開された「ゆきゆきて、神軍」という映画をご覧になったことはあるでしょうか?今村昌平企画、原一男監督のドキュメンタリー映画です。米国のコロンバイン高校乱射事件のドキュメンタリーを描いた「ボウリングフォーコロンバイン」で一躍、有名になったマイケル・ムーア監督が「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と賞賛した作品です。 内容は奥崎謙三(1920~2005)という旧日本陸軍で上等兵をしていた人物の行動を追った映画ですが、相当に過激な内容で思想的傾向も強かったため、多くの映画館が上映をためらい、ごく一部のマイナー映画館でしか上映されませんでした。それでも日本映画監督協会新人賞を始め、いくつもの映画祭や映画賞で賞を取った作品です。今でも映画配信サイトなどで見ることができます。 なぜ「奥崎謙三」と言う人物の行動をドキュメンタリー映画にしただけで、これほどに賞賛される作品が出来上が

                                                                                「ゆきゆきて、神軍」 奥崎謙三の行動論理 | 戦国ヒストリー
                                                                              • 38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任 (『(日本人)』未公開原稿1) – ページ 3 – 橘玲 公式BLOG

                                                                                人肉食の噂 フィリピンやニューギニアで、絶対的な飢餓状態に置かれた日本兵のあいだで人肉食が常態化していたという噂は、戦後すぐに広がりはじめた。作家・大岡昇平は、1952年刊行の『野火』で、はやくもこの重いテーマを取り上げている。 大岡は京都帝国大学を卒業後、新聞社やメーカーに勤めていたが、終戦の前年(44年)、35歳で徴用されてフィリピン・ミンドロ島に派遣された。自身の戦争体験を描いた『俘虜記』によると、大岡たちの部隊は食糧は十分に持っていたものの、米軍に追われて山中に撤退するときにマラリアの特効薬のキニーネを失い、敵に包囲されたときは兵士の多くが病気で満足に動けない状態だった。 大岡もマラリアで臥せっていたが、砲撃を受けて、銃を杖に坂道をのぼりはじめた。だがようやくのことで本隊に追いつくと、そこで米軍の待ち伏せにあい、中隊長が戦死し部隊はばらばらになって敗走するほかなくなった。 大岡はこ

                                                                                  38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任 (『(日本人)』未公開原稿1) – ページ 3 – 橘玲 公式BLOG
                                                                                • 軽度のキチガイはこれを観ろ! 奥崎謙三と『ゆきゆきて、神軍』 その3 - シャロン教授のカフェ・グレーセンヴァーン大阪

                                                                                  戦時中、ニューギニアにおける兵士処刑事件の真相を探るため、暴力でもって関係者から話を引き出していく奥崎謙三。

                                                                                    軽度のキチガイはこれを観ろ! 奥崎謙三と『ゆきゆきて、神軍』 その3 - シャロン教授のカフェ・グレーセンヴァーン大阪