忠犬ハチ公の芳名はまったく世界的である。 この風潮は昨日今日誕生したのにあらずして、戦前昭和、彼の秋田犬の存命時よりそう(・・)だった。 何日、何週、何ヶ月、何年だろうと主人の帰りをじっと待つ、けなげで一途な有り様はひとり大和民族のみならず、アングロサクソンの胸をも締め付け、感傷に濡らしたものだった。 そうでなければハチの葬儀に、態々海の向こう側、ロサンゼルスの小学校から百円もの香典が届けられた一事への説明がつけられそうにない。 (Wikipediaより、渋谷駅のハチ公) 筆者はこれを、この情報を、清水芳太郎から知った。 石原莞爾の盟友であり、国家主義団体「創生会」のリーダーたる彼である。 当該部分を以下に引く。 「ハチ公が死んで十六人の坊さんが読経したり花輪が二百何十対弔辞が二百何十通、酒一樽、実銭二百何円と集まったさうであるから全く犬死にではなかった、人間様より立派な葬儀だったかも知れ