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  • コンパクトシティ「福岡市」が、僕をミニマリストにしてくれた(文・ミニマリストしぶ) - SUUMOタウン

    著: ミニマリストしぶ(澁谷直人) 僕がミニマリストになった街 福岡市、姪浜(めいのはま)。僕がミニマリストに憧れてモノを減らし、初めて一人暮らしを始めた街。と同時に、母子家庭の家族3人で住んでいた街でもある。そんな姪浜の実家を抜けて、僕は実家から徒歩5分のワンルームマンションを借りた。ワクワクの一人暮らしデビューを同じ地元でスタートするほどに、姪浜は居心地のよい街だった。 福岡市地下鉄「空港線」の最も端に位置する姪浜は、都心部である博多や天神から離れていることもあり、ファミリー世帯が多いエリアである。「最も端で都心部から離れている」とはいっても、コンパクトシティといわれる福岡市。地下鉄で天神までは約15分、博多まで約20分とそう離れているわけでもない。 中心部より家賃も安く、スーパーやディスカウントストアが多い。市内唯一の大型アウトレットモール「マリノアシティ」もある。釣りやバーベキュー

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    • “アンチ・ローカライズ”のアジア文化ひしめく活気の街、小岩。 - SUUMOタウン

      著: 高口康太 商店街だけじゃなくて、江戸川河川敷もナイスなお散歩コースだ 私の新生活はいつも勘違いから始まって、予想してなかった喜びにたどりつく。いわゆるセレンディピティ(ステキな偶然)ってやつである。 大学選びでもそうだった。日本一人口が少ない鳥取県で育った私は、東京に住みたい!といいう一念で受験勉強を頑張るも、気づけば千葉大学に入学していた。受験に失敗したのではなく、「千葉って東京だよね?」という、いかにも鳥取人的な勘違いであった。同級生も「千葉大?東京の大学行くのか、すげーな」と祝ってくれたから、私だけがおっちょこちょいだったわけじゃない。 すぐに千葉と東京が違うことに気づくわけだが、ショックだったのは「黄色い電車」だった。古い話で恐縮だが、ロックバンド・爆風スランプには、「週刊東京「少女A」」という曲がある。関東郊外で暮らす少女が「黄色い電車で週にいちどの上京」を楽しみにしている

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      • 定まらないぼくと、ゆれ続けている国分寺 - SUUMOタウン

        著者: 片山 悠 20代無職、おぼつかない足取りで 20代前半、ぼくはずっと無職だった。 正確には2年間の卒業延長をした大学生だったが、実質は変わらないだろう。 実家で親のすねをかじり、骨の髄まで吸いつくさんばかりのパラサイト。 当時のルーティンは大体こうだ。 国分寺市の隅っこに構えた実家の一室でゆっくりと目覚める。 もはや両親もぼくを起こすことを諦めていたので、それぞれ職場に出かけていってから活動開始。 「爆笑問題カーボーイ」「髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」「東京ポッド許可局」のPodcastをローテーションで聴きながら、西武国分寺線沿いの坂にある無料駐輪場まで自転車を漕いでいく。 駅ビル8Fにある紀伊國屋書店か駅前通りの古書店で気になる本を数冊手にとり、駅近のモスバーガーかケンタッキーでドリンク一杯を粘りながら読みふける。 そろそろ店内にいづらいとなったら、串とらか四文屋に

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        • 初めての子育てをやさしく包み込んでくれた、おだやかな街「江古田」(文・菅原さくら) - SUUMOタウン

          著者:  菅原さくら 桜並木にほっとした、江古田で迎えた春 「ファミリー向け」「下町」「スタイリッシュ」などと単一的なイメージを持たないところが、江古田の良さだと思う。街の空気はおだやかだし、少し歩けば緑豊かな江古田の森公園もある。でも、雑多な多国籍料理のお店にちょっと隠れ家風の花屋、流行りのヤンニョムチキン屋などが並んでいて、カルチャーの香りも忘れない。そのごちゃ混ぜなトーンが、これから初めて子どもを育てる私たちにはぴったりだと思った。 江古田に引越してきたのは、長男の臨月を間近にひかえた冬。学生時代からずっと早稲田界隈に住んでいたけれど、出産をきっかけに、義実家の近くに移ることを決めたのだ。 新しいマンションはとても気に入っていたし、子育てに向けて暮らしを整えられるのもありがたい。ただ、江古田駅の南口を降り、千川通りの交差点に差しかかったとき、あまりに風が強くて驚いた。冷たい風とあいま

            初めての子育てをやさしく包み込んでくれた、おだやかな街「江古田」(文・菅原さくら) - SUUMOタウン
          • 何かを勝ち取るまで岐阜には帰らない。LiSAさんが探し続けた東京での居場所 - SUUMOタウン

            インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:小野奈那子 圧倒的な熱量のステージングと歌唱力で、日本を代表するライブアーティストに上り詰めたLiSAさん。岐阜県で育った幼少期から、歌手を夢見ていたといいます。 11歳で沖縄へ“移住”して歌と踊りのレッスンを受けたり、21歳で母親の反対を押し切って上京したりと、勢いのままに環境を変え、プロへの道を模索してきました。 東京で何かを掴むまで岐阜へは帰らないと決心。ライブ活動の傍らオーディションを受け続けるも、なかなか自分の居場所を見つけられなかったというLiSAさん。もがきながらも歌とパフォーマンスを磨き続け、上京から3年後にソロデビューを果たします。 何者でもなかった若者が「LiSA」になるまでの3年間、高田馬場で過ごした夜明け前の日々について伺いました。 「SPEED」に憧れ、11歳で一人沖縄へ ―― LiSAさんは岐阜県関市のご出身で

              何かを勝ち取るまで岐阜には帰らない。LiSAさんが探し続けた東京での居場所 - SUUMOタウン
            • 便利さと自己肯定感が年々高まる街「浦和」|文・辛酸なめ子 - SUUMOタウン

              著: 辛酸なめ子 一番長く家族と暮らした思い出の地、浦和 自分の故郷はどこかと聞かれたら、幼少期と小5から20代半ばまで住んだ「浦和」と答えさせていただきます。 親の仕事の関係で入間市や飯能市など埼玉県内を転々として、幼稚園や小学校で複数回転校しましたが、一番長く家族と暮らした思い出の地は浦和。今は誰も住んでいない実家は時々夢に出てきます。気になってGoogleストリートビューでチェックして、まだ家屋が存在していることにホッとしました。 この機会に、久しぶりに思い出の浦和を訪れてみました。京浜東北線に揺られて、昔住んでいた北浦和へ。浦和は東西南北に中浦和、武蔵浦和と「浦和」と名のつく駅が多数あるのが特徴です。 以前、都内で「浦和って多すぎない? そんなにいらないよな」と若者が話すのが聞こえて、「そんなことない」と元住民として抗議したくなったことがありました。◯◯浦和の中では、浦和には敵わな

                便利さと自己肯定感が年々高まる街「浦和」|文・辛酸なめ子 - SUUMOタウン
              • React+Reduxアプリケーション テスト戦略 | Recruit Tech Blog

                はじめに このエントリは全5回を予定する19卒新人ブログリレーの第4回目です。 はじめまして、リクルートテクノロジーズ新卒2年目の高橋 勇人です。 現在は不動産検索サービスSUUMOのフロントエンドエンジニアとして働いています。新卒入社してからの1年間、SUUMOの新機能開発に携わり、物件を地図から探す機能の開発を進めてきました。 SUUMOではこれまでJavaScript+jQueryで開発されてきましたが、SPサイト上で地図による物件探し機能を実現するために、React+Reduxという技術スタックが採用されました。 (※SP=スマートフォン) 長期的な開発がされてきたプロダクトで、これまで使ってきていなかった技術スタックでの開発を推し進めるにあたり、継続的な保守性を向上するための取り組みの一環としてテストの整備が進められました。 本記事では、React+Reduxでの地図機能の開発に

                  React+Reduxアプリケーション テスト戦略 | Recruit Tech Blog
                • 「ドブ板の人間」が暮らす街で、筋金入りのバイタリティにつつまれて。10年目の横須賀。 - SUUMOタウン

                  著者: 横地広海知 「横須賀に住んでます」と言いたい。 JR横須賀線沿線のとある駅へ賃貸契約に向かう電車の中でその考えは浮かんだ。 独立したてだったこともあり、安さを優先して決めた新居候補はなんのイメージも湧かない駅にあった。前の勤務先は鎌倉オフィスを売りにしていて、「どこに事務所があるか?」だけで顧客満足度が上がる場面に何度も遭遇した。何の実績もない自分はピンとくる名前の駅に住むべきなのではないか? 横須賀線の中で鎌倉以外にピンとくる駅名……「横須賀」しか思い浮かばなかった。 思いついてしまったら「横須賀に住んでます」「横須賀から来ました」とどうしても言いたくなった。降りる予定の駅を通り過ぎてたどり着いた横須賀駅でその日のうちに物件を決め、私の横須賀ライフはスタートした。 「横須賀に住んでます」と言い続けただけの10年間 いつでも戦艦の見える海岸エリア。南極観測船「しらせ」が停泊している

                    「ドブ板の人間」が暮らす街で、筋金入りのバイタリティにつつまれて。10年目の横須賀。 - SUUMOタウン
                  • ノー銀座、ノーライフ【わたしの好きな街】 - SUUMOタウン

                    著: 小野寺史宜 2019年12月に刊行された『わたしの好きな街――独断と偏愛の東京』(SUUMOタウン編集部 監修/ポプラ社)の刊行からもうすぐ一年が経ちます。今回は本書の中から特別に、小説家・小野寺史宜さんのエッセイを掲載させていただきます。 ◆◆◆ 好きな街は銀座です。 と言うと、よく誤解される。お金持ちだと思われる。僕はお金持ちではない。残念ながら、小金持ちですらない。銀座が好きだと言うたびに、僕に好かれたところでいいことはないよなぁ、と銀座に対して少し申し訳ない気持ちになる。 もうかれこれ30年、銀座と付き合っている。30年好きでいるというのは、なかなかのことだ。人との関係は壊れることもあるが、街との関係は壊れない。そういうことかもしれない。 僕は千葉県に住んでいたので、東京都の玄関口はそのもの東京になる。わざわざ山手線に乗り換えて有楽町に行きはしない。銀座へは、東京駅から歩いて

                      ノー銀座、ノーライフ【わたしの好きな街】 - SUUMOタウン
                    • 香川県高松市Hさん(60代)/「定年後は東京で暮らしたい」妻の願いを叶えるため、香川県のマンションを売却し第2の人生をスタート - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

                      「定年退職後は東京で暮らしたい!」という妻の願いを叶えるため、暮らしていた香川県高松市のマンションの売却を決めたHさん。まず、東京の新築マンションを購入し、引っ越しを済ませた後、信頼できる不動産仲介会社に売却活動を一任しました。その結果、半年後に無事、売却することができました。 不動産区分 マンション 所在地 香川県高松市 築年数 約20年 間取り・面積 4LDK(85m2) ローン残高 なし 査定価格 約2100万円 売り出し価格 2180万円 成約価格 2050万円 妻の長年の夢を叶えるため、定年退職を機に暮らしていたマンションを売却し東京への移住を決意 生まれてから60年間ずっと香川県高松市で過ごしたHさん。2018年、定年退職を機に、妻のかねての希望で東京にマンションを購入し、東京生活をスタートしました。 「私は特に跡取りというわけでもなく、住んでいたマンションも妻との共有財産でし

                        香川県高松市Hさん(60代)/「定年後は東京で暮らしたい」妻の願いを叶えるため、香川県のマンションを売却し第2の人生をスタート - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
                      • 思い出せないことが絶えず思い出される街、渋谷(文・永井玲衣) - SUUMOタウン

                        著: 永井玲衣 どこを見ても、ひとがいる。どこを通っても、何かの工事をしている。どこを歩いても、ひとりになれなくて、それでいてさみしくて、心細い街。 それがわたしの生まれ育った、渋谷と呼ばれる街なのだった。 駅前の巨大歩道橋、どこを歩いているかわからなくなる ふるさとは、永遠であると言われる。現在の中に過去が封じ込められ、不変で固定化された風景。飽き飽きした気分になりながらも、どこか安心感を与えてくれるなつかしい単調さ。 だが、わたしのふるさとは流動している。決してとどまることなく、流れつづけ、かつてあったものは忘れ去られていく。街を歩くひとびとと、二度とまた巡り会うことはできず、わたしたちは互いに目を合わせもしない。 空席がすばやく埋まる東京でだれが消えたか思い出せない(木下龍也) 思い出せないということが、絶えず思い出される街が渋谷だ。店舗が目まぐるしく変わるだけではない。最近の再開発

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                        • 家賃6万2千円のアパートで、東京のまぶしさを感じながら過ごした「井の頭公園」の日々|文・ひらいめぐみ - SUUMOタウン

                          著: ひらいめぐみ茨城から上京したつもりが上玉だった大学への入学を機に上京し、人並みに学生生活を楽しく送っていたある日、「なんでそんな遠いところから通ってんの?」と友だちに言われた。大学は神保町駅が最寄りで、九段下駅や水道橋駅からも近い場所にあったが、わたしが当時住んでいたのはそのどこの駅から行っても1時間はかかる埼玉県のふじみ野だった。 たしかに、なぜここに住んでいるのだろう。住んでいる街の雰囲気は好きだし、家から近いスーパーはなにもかも安く便利だし、マンションも綺麗で住みやすいから、学校から少し遠いことはあまり気にしていなかった。でも、学校に通いやすくなるようにと茨城の実家を出て、上京してきたつもりだったのに、よく考えてみたらまだ上京してないじゃないか。ここは埼玉だから、上 “玉” ではないか。 学生が家を探すならば、まず大学がある神保町や九段下への乗り換えが便利なルートにある駅の不動

                            家賃6万2千円のアパートで、東京のまぶしさを感じながら過ごした「井の頭公園」の日々|文・ひらいめぐみ - SUUMOタウン
                          • サブカルの聖地から横須賀の港町へ。久留和は“なにもない天国”だった|街と音楽 - SUUMOタウン

                            著者: 寒川響(空中カメラ) 自室、スタジオ、ライブハウス、ときにはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ 「そういえば、今の家、売ることになったから」 僕が結婚して数カ月。父に連絡をとると、こともなげにそう言われた。10年以上暮らした実家がなくなるらしい。僕も妹も同じようなタイミングで実家を出たため、両親も引越しを決めたとのことだ。 決める前にひとことくらい言え、と喉まで出かかったが、「ほえ~!」とデカめの声で返事するに留めた。事前に言われたところで、やっぱり「ほえ~!」と言うだけだろうな、と思い直したからである。 実家があるのは、「久留和(くるわ)」という相模湾沿岸の港町だ。最寄駅の逗子までバスで約30分。ギリギリ横須賀市内に位置するものの、本当にギリ

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                            • 隠れ家的グルメスポットの数々に心がほぐれる、懐深い街「千葉・稲毛」(文・入江陽) - SUUMOタウン

                              著: 入江陽 千葉に初めて行ったとき、のちにここで暮らすことになるとは、まったく想像していませんでした。 いきなりですが、時を遡ってみますと、栃木と山口出身の両親が、若いころに住処として選んだ街は東京都新宿区の大久保でした。ふたりとも映画が好きなのですが、一緒に観に行くわけでもなく、それぞれ好きな作品を別々に観たりもする個人主義な感じの夫婦。実家にはパンフレットがたくさん有って、私は子どものころから、「映画ってオトナな感じがするなあ」と漠然と憧れていた気もします。 私が生まれ育った大久保の街は、2003年ごろの「第1次韓流ブーム」の影響もあり(ドラマ『冬のソナタ』など。母もどハマりしていました)、コリアンタウンとして盛り上がっていきました。当時、私は16歳。韓流コンテンツが違法ダビングされたビデオ屋さんやら、勝手に人気俳優の写真を看板に使っているような飲食店なども堂々と営業していて、「猥雑

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                              • あれこれ不思議な浮間舟渡【銀座に住むのはまだ早い 第4回 北区】 - SUUMOタウン

                                著: 小野寺史宜 家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。 ◆◆◆ 基本、僕は島に弱い。孤島とか無人島とかそういうことではなく。よそと仕切られた場所に弱い。 ここで言う島は、川で囲まれた場所、だ。川が多い東京にはそんな町がいくつもある。 町の島は、これまで小説の舞台にもしてきた。例えば『ナオタの星』では中央区の新川、『ライフ』や『まち』では江戸川区の平井。 今回は、埼京線の浮間舟渡。北区の回はここ、と初めから決めていた。 浮間舟渡近辺の囲まれっぷりを、まずは地図で見てほしい。囲まれるにも

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                                • 町に紛れる大森海岸【銀座に住むのはまだ早い 第9回 品川区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン

                                  著: 小野寺史宜 家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。 ◆◆◆ 名前は知っているが一度も乗ったことがない電車。都内にはそれが結構ある。 この企画はあくまでも住める町探し。とはいえ、知らないものにはなるべく触れていこうと思っている。 23区でも東部以外は疎い僕にとって、品川区では京急がそれ。京浜急行電鉄。青物横丁という駅名が昔から気になってもいたのだ。 実際、前回の葛飾区編のお花茶屋のように、名前で決めそうになった。 が、それが続くのもどうなんだ、と踏みとどまり、今回は、南端も南端、ギ

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                                  • 池ノ上。心の輪郭にはまった私のための東京。 - SUUMOタウン

                                    著者:  出川 光 今でも、池ノ上に引越して2日目の夜のことを思い出す。1日目はコンビニ弁当を引越しの段ボールに囲まれながら食べた。荷ほどきを終えて2日目にやったこと、それが直感で決めたこの街一番のバーの扉をひとりで開けることだった。 というか、初めてこの街を訪れたときからもう開けるべきドアを決めていた。くる人を試すようなその佇まい。唯一の窓からもほとんど中の様子をうかがうこともできないけれど、入り口に置かれたメニューには親しみやすい家庭料理がならぶ。木製の重いドアを勢いよく開けたその時、池ノ上は私の街になったのだ。 わかりやすく言えば下北沢の隣。曖昧に言うなら池尻大橋からちょっと入ったところ。はぐらかすなら代々木上原あたり。便利な立地にありながら東京大学と下北沢というアイコニックな場所に挟まれてメジャーになりきらない池ノ上の名前を、あまり人に言ったことはなかった。この小さな街に、誰にも引

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                                    • 阿佐ヶ谷、「古書コンコ堂」へまっしぐら - SUUMOタウン

                                      著: ikm “街の古本屋”というイメージがある。チェーン店ではなくて個人経営で、専門店ではなくてたくさんのジャンルを扱っているけれど、“なんでも”扱うというわけではなくて、棚を見ていけば独自のセレクトがされているのがわかる気がしてくる。店舗は全体がみやすい広さで、気取り過ぎということもないけれど、店構えも店内のレイアウトも気が利いている。街にも馴染んでいて、誰もが気軽に入りやすいようなお店。と書いていくとイメージというよりは個人的な好み、理想のお店の話にもなってきてしまうのだけど、そんなイメージにぴったりというか、そのお店からイメージしたような最高の“街の古本屋”があるのです。阿佐ヶ谷に。それが古書コンコ堂。 阿佐ヶ谷駅の北口からロータリーを渡って、アーケードを抜けたら商店街を進んでいく。この古書コンコ堂に向かう通り、商和会商店街にも数年前にひとつ思い入れが出来ていて。この通りとそこに少

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                                      • 家づくりに建築家のエゴはいらない。瀬戸内の自然と人に寄り添う建築家・大町知己さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン

                                        インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼、彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆ ◆ ◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、大町知己さん。広島県福山市を拠点に住宅の設計・施工を行う「kitokito」の創設者です。ハウスメーカー勤務などを経て、35歳で建築家としてのキャリアをスタート。10年後には世界的デザインコンペで受賞するなど、遅咲きながら地元で引く手あまたの建築家になりました。 全国からオファーが届く現在も、瀬戸内エリアに軸足を置く大町さん。そこには地元に対する愛着だけでなく、豊かな自然環境や腕利きの職人たちが多いことなど、さまざま

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                                        • 世田谷で出会った隣町の歌|街と音楽 - SUUMOタウン

                                          著者: 高橋一(思い出野郎Aチーム) 自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ 今から19年前、中学校3年生のときに初めて友人たちとパンクロックのコピーバンドを組んだ。吹奏楽部でトランペットを吹く冴えない少年だった僕は、部活の休憩時間に少しだけ練習していたドラムを担当することになった。 中学生の少ない小遣いでは頻繁にリハーサル・スタジオに入ることもできないので、練習はもっぱら地元の世田谷区が運営する児童館だった。 児童館とは、子どもたちが誰でも体育館や音楽室などを無料で使える公共の施設で、ドラムセットが置いてある所も多いので、さまざまな中高生のバンドが練習に利用していた。 いつも練習していた「若林児童館」。外観は当時のまま

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                                          • いろいろあったけれど、のんびりした「茨木」だから再起できた【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン

                                            取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。 ◆◆◆ 茨木は「ほどよく郊外。ほどよく都会」 「初めて茨木(いばらき)を訪れた人たちから、よく『茨木って、こんなに開けてたの?!』って驚かれます。それまで、どんなイメージだったのでしょうか(笑)。茨木は『ほどよく郊外。ほどよく都会』。梅田に較べたら、そりゃぁね、のんびりしています。でも、電車は快速が停まります。街に何でもそろっている。そして、なんといっても平和です。本当に、いいところだと思います」 そう語るのは、飲食店サポートコンサルタントの木村美季さん(48)。 大阪府の北部に広がる茨木市。大阪市と京都市の中間に位置し、「どちらの街へもアクセスしやすい」と、人気が高いベッドタウンです。 JR東海道本線、阪急京都本線、大阪モノレールの三社が乗

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                                            • 荻窪での幾多の出会いが、僕を写真の道へ導いてくれた【写真で綴る街】 - SUUMOタウン

                                              写真・文: Yuma Yamashita 街は向き合う人によってさまざまにその表情を変えていきます。カメラマンそれぞれが感じた、街が見せる一面を写真に収めてもらい、その街の魅力を綴ってもらう企画「写真で綴る街」。ストリートの目線で写し出すリアルな作品で有名ブランドの写真をいくつも手がけるYuma Yamashitaさんが葛藤し、写真家の世界に入るきっかけとなった「荻窪」を綴ります。 * フォトグラファーとして活動を始めて8年目になる。今では広告を中心にハイブランドからファッション、プロダクト撮影と、国内外問わずさまざまな仕事をいただけるようになったが、誰か有名なカメラマンの下で修業した経験があるわけでもない。必然的に、導かれるようにカメラの世界へ足を踏み入れたとしか言えない。 「表現をしたい」という気持ちが芽生えるきっかけをくれたのは、荻窪という街だ。自分自身と向き合い、出会う人にインスパ

                                                荻窪での幾多の出会いが、僕を写真の道へ導いてくれた【写真で綴る街】 - SUUMOタウン
                                              • 「仕事部屋」を抜け出して。屋上で見つけたイヤホンのいらない三軒茶屋|文・中村一般 - SUUMOタウン

                                                著: 中村一般 5、6歳ごろ、私は三軒茶屋の居酒屋で「バイト」をしていた。 安心してほしい。働いていたのは実の祖父母が営む居酒屋だ。 また、『千と千尋の神隠し』のような過酷な労働をしていたわけではない。皿洗いをしたり、簡単なお酒を作ったり、食事を終えた皿を下げたりするくらいで、子供のお遊びみたいなものだった。 祖父母の店は、三軒茶屋駅から15分ほど歩いたところにあった。コの字型カウンターの大衆酒場で、換気扇が真っ黒のヘドロみたいになっている、俗に言う「味のある」居酒屋というやつだ。 暖簾をくぐると、回転寿司のように真ん中に厨房があり、それを取り囲むように客がぐるっと座る。カウンターには黄色く変色しつつある調味料ボトルが並び、串に刺さった酢イカが詰まった容器、割り箸、山積みの灰皿などが置かれていた。本棚には黄土色に変色した『美味しんぼ』が刺さっていた(『クッキングパパ』だったかもしれない)。

                                                  「仕事部屋」を抜け出して。屋上で見つけたイヤホンのいらない三軒茶屋|文・中村一般 - SUUMOタウン
                                                • 社畜目線で見る1年後のアフターコロナ【こうなってたらいいなコロナ後の社畜生活:緊急事態宣言が解除されて】 - ウミノマトリクス

                                                  最終更新日時:   2020年5月26日 緊急事態宣言が全国的に解除されました。今後はこのコロナ後の社会とどう向き合っていくかが課題になります。社畜目線で、「生活」「仕事」「教育」「お金」などの分野がどうなっていくか、またどうなって欲しいかなどをまとめてみました。 新型コロナ後の生活ってどうなるのかな?(わんわん) ◆◆ この記事で得ることのできる情報   ●コロナ後の未来1年後くらいにかけてのイメージを共有できると思います。 ◆ この記事の信頼性 この記事の信頼性(クリックで下に表示します) この記事の信頼性 ◆この記事ははてなブログ公式の「政治経済」で紹介されました。 ◆このライフログは今現在(公開時)までに191日連続で更新しているものになります。 過去のライフログ一覧 【サラリーマンのダイエット記録】過去記事のまとめ ◆このブログは人気ブログランキング「社畜ランキング1位」(公開時

                                                    社畜目線で見る1年後のアフターコロナ【こうなってたらいいなコロナ後の社畜生活:緊急事態宣言が解除されて】 - ウミノマトリクス
                                                  • 俵万智が惚れ込んだ、短歌県・宮崎の暮らし - SUUMOタウン

                                                    インタビューと文章: 小沢あや 「子を産みて仙台・石垣・宮崎と慌ただしかり我の十年」。そんな歌を詠まれている歌人の俵万智さん。東京を離れて、宮城県仙台市、沖縄県石垣島、そして宮崎県宮崎市と、子育てをしながら暮らす街を転々とするライフスタイルを実践されています。2016年に移住し、俵さんが愛する「宮崎」の魅力を伺いました。(取材は2021年1月末、オンラインにて実施しました) 宮崎は「短歌県」? 終始にこやかにお話してくださった、俵万智さん ―― 俵さんは、大阪出身ですよね。今回、暮らしの拠点に宮崎市を選んだのは、どんな理由があったんでしょうか。 俵万智さん(以下、俵):短歌の仲間がきっかけです。高齢者や介護職員らの歌を集めた「老いて歌おう」を始められた伊藤一彦さんという歌人がいらっしゃるんです。伊藤先生は、歌人としても素晴らしいですし、人望もあるんです。彼を慕って宮崎にやってきたり、歌を始

                                                      俵万智が惚れ込んだ、短歌県・宮崎の暮らし - SUUMOタウン
                                                    • 街の風景が音楽制作の鍵に。韓国のDJ・Night Tempoが魅せられた「東京」 - SUUMOタウン

                                                      構成: 伊藤美咲 撮影: 小原聡太 編集: ピース株式会社 80年代のジャパニーズ・ポップスをダンス・ミュージックに再構築した音楽ジャンル「フューチャー・ファンク」。そのジャンルの人気を押し上げたのが、韓国人プロデューサー兼DJのNight Tempoさんです。 これまでに、80年代の昭和歌謡を中心に、さまざまな楽曲をアレンジした音源を発表してきました。中でも竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」をアレンジした動画はSNS上でも大きく拡散され、2000万回再生を突破するほどの話題に。 日本でのメジャーデビューや大型フェスへの出演なども果たし、今年ついに念願の東京移住が実現。Night Tempoさんに、東京への想いやお気に入りスポット、街から得た音楽のインスピレーションについて伺いました。 お話を伺った人:Night Tempoさん 1986年生まれ、韓国出身。米国と日本を中心にDJ兼プ

                                                        街の風景が音楽制作の鍵に。韓国のDJ・Night Tempoが魅せられた「東京」 - SUUMOタウン
                                                      • 向谷実さんの鉄道愛を育んだ、人と技術が交わる街、二子玉川【私の好きな路線と街】 - SUUMOタウン

                                                        インタビューと文章: 森嶋良子 写真:小野奈那子 人の暮らす場所は1つの「点」にとどまらず、人生の中で移り変わって「線」を描きます。その点と点のつながりを生み出すのが、日常の足となる路線です。普段何気なく乗っている路線がどれほど愛すべきものであり、日々の生活に寄り添ってくれていたのかを、その路線にゆかりのある方々に語っていただく企画「私の好きな路線と街」。 渋谷から世田谷区、川崎市、横浜市を通り抜け、町田市をかすめて大和市の中央林間まで至る東急田園都市線。代表的な駅の1つに、住みたい街ランキングの常連でもある二子玉川(東京都世田谷区)があります。 渋谷と二子玉川の間には、かつて「玉電」の愛称で親しまれた路面電車、東急玉川線が走っていました。玉電の廃止後、地下鉄「新玉川線」が開通し、営団地下鉄(現在の東京メトロ)半蔵門線と接続して都心への乗り入れが実現します。田園都市線としての終点も、当初の

                                                          向谷実さんの鉄道愛を育んだ、人と技術が交わる街、二子玉川【私の好きな路線と街】 - SUUMOタウン
                                                        • カルチャーとビジネスが循環する野原ーー混沌の街「中野」| 文・朱野帰子 - SUUMOタウン

                                                          著: 朱野帰子 どこにでもありそうで、ここにしかない街「中野」 中野はどこにでもある街だと思っていた。そうではなかったと気づいたのは小説家になってからだ。 中央線快速「東京行き」に乗れば五分で巨大商業地・新宿に着く。逆の方向、「豊田行き」に乗れば、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺と「住みたい街」として雑誌に特集される街が次々に現れる。でも、その境界に位置する中野には、ぶっちゃけ、みなさん、興味ないでしょ? Hanakoが「中野」特集を組んだことなんか、たぶんないですもんね。 中野で生まれ育った私は、小学三年生の社会科の時間に「私たちの中野」という冊子を配られた。覚えていることはわずかだ。徳川綱吉が出した生類憐れみの令に伴ってつくられた「お犬囲い」がかつて中野駅前にあったこと。その跡に中野陸軍学校が、さらにその跡に警察大学校がつくられたこと。そのくらいだ。 その名の通り「野」だった中野

                                                            カルチャーとビジネスが循環する野原ーー混沌の街「中野」| 文・朱野帰子 - SUUMOタウン
                                                          • 「多様性カオス」のある街、新大久保に僕が住んでいる理由 - SUUMOタウン

                                                            著: 室橋裕和 ここは「コリアンタウン」ではない 「すっかりコロナの前に戻ったなあ……」 新大久保のにぎわいの中で、改めて実感する。街は若い女性でいっぱいだ。大久保通り沿いに並ぶ韓国のレストランやコスメやK-POPアイドルグッズのショップを目指す人たちで、歩道は混みあう。ところどころ行列している店も見る。僕がときどきキムチや肉を買いに行くスーパー「韓国広場」も、かなりの混雑だ。 JRの駅からガード下をくぐった韓流エリアには韓国のレストランや食材店、コスメなどのショップがひしめく近頃は、流行を楽しむだけでなく、この街でなにかを得たいと考えてやってくる女性も増えているのだと聞いた。例えば、韓国語を勉強するために韓国のレストランでアルバイトしたり、K-POPのダンス教室に通ったり、韓国料理を習ったり。ときどき、カフェなどを使って街の姿やそこに生きる人々を切り取った写真展が開かれたりもする。表現し

                                                              「多様性カオス」のある街、新大久保に僕が住んでいる理由 - SUUMOタウン
                                                            • 四天王寺再生工場 - SUUMOタウン

                                                              著者: 日下慶太 体がむくみはじめた。夕方になるとむくみが激しくなる。はじめヨーロッパまでずっと飛行機に乗っていたかのように足がむくんだ。やがて太ももまでむくんできた。体がたぷたぷだった。寝て起きると顔がむくんで目が開けられなくなった。これはおかしいと病院に駆け込んだ。腎臓の病気だった。明日から入院するようにと医者は告げた。 ぼくは広告代理店でコピーライターをしている。大阪に配属され20代は大阪で働いていた。まったくいい仕事はできず、うだつの上がらぬ毎日を送っていた。東京へ異動になった。このままでは冴えないコピーライターで一生が終わってしまう。東京で何かしなくてはと一念発起した。寸暇を惜しんで企画を続けた。結果、「東京コピーライターズクラブ最高新人賞」という漫才師にとってのM1グランプリのような大きな広告賞を取ることができた。 賞の効果は大きく、さまざまな人から仕事が来るようになった。スタ

                                                                四天王寺再生工場 - SUUMOタウン
                                                              • 穏やかな日常と冒険マンガの街。仙台で私は、美しく豊かに孤独だった - SUUMOタウン

                                                                著: JUNERAY 「仙台の観光名所ってどこ?」と聞かれると、考え込んでしまう。 筆者は0歳から仙台育ち。街の雰囲気が好きで、関東の大学を出た後も、しばらく仙台で1人暮らしをしていた。仕事や家庭の事情で今は関東に住んでいるが、一番好きな街はやはり仙台。友人知人にもぜひ訪れてほしいと思う。 そして冒頭の質問。 大観音像は迫力があるし、仙台うみの杜水族館は展示がホヤの養殖スタートで面白いし……と、思い当たる場所を1つ1つ当たっていくが、それが全国各地の有名な観光名所と比べて「どう優れているか?」の説明を求められると分からない。仙台は「ただ、良い」。 毎日キラキラの生鮮食品を眺められるスーパーも、街路樹が青々と茂る大通りも、あの独特の街の空気もすべてが特別だ。あそこはもしかしたら、観光ではなく滞在、ひいては住み着くのに適した土地なのかもしれない。 この記事は、仙台を愛する筆者が仙台の魅力を「住

                                                                  穏やかな日常と冒険マンガの街。仙台で私は、美しく豊かに孤独だった - SUUMOタウン
                                                                • 個人商店と学生が元気な街・阪急石橋阪大前【まちと銭湯・平和温泉】 - SUUMOタウン

                                                                  昔から「銭湯」は、その土地の人々の暮らしを支え、コミュニティの中心にあるものでした。家庭のお風呂が当たり前になった現代では徐々にその数を減らしているものの、家族代々受け継がれてきた銭湯は、今も私たちの暮らしに彩りを添えてくれる存在です。 番台から見守ってきた街と人々の生活に迫る連載、【まちと銭湯】をお届けします。 阪急宝塚線の急行に乗れば、石橋阪大前駅まで大阪梅田駅からわずか15分。駅西口を出ると、活気のある商店街が出迎えてくれる大阪府池田市石橋。 大阪大学豊中キャンパスに近く、前身の旧制大阪帝国大学時代から学生街として知られていますが、それは石橋の一面にしか過ぎません。 阪急石橋阪大前駅西口。改札を出ると商店街が広がっている 古くは能勢妙見山への参詣道としてにぎわった能勢街道が通り、1910(明治43)年に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が開通すると、石橋駅(現石橋阪大前駅)が宝塚方面

                                                                    個人商店と学生が元気な街・阪急石橋阪大前【まちと銭湯・平和温泉】 - SUUMOタウン
                                                                  • 大人になって気がついた、穏やかで心安らぐ街「白山」の魅力 - SUUMOタウン

                                                                    著者:  ねむみえり 生まれ育った白山という街を誰かに説明するとき、難儀することが多い。 そもそも、白山のある文京区自体、東京23区の中では知名度が高くないのではないかと思っている。都庁がそびえ立つ新宿区、皇居のある千代田区、六本木ヒルズが有名な港区、閑静な住宅街として人気のある世田谷区などに比べて、ひっそりとしているのが文京区だ。 そんな文京区の中でも、知名度があるのは、東京大学のある本郷や、東京ドームがある後楽だろうか。「谷根千」と呼ばれ、テレビや雑誌で特集が組まれることもある、谷中や根津、千駄木のあたりなら、分かってもらえるかもしれない。さて、白山はどうしよう。 そんな白山を説明するときに、最近使っているのは、「東洋大学」だ。駅伝でおなじみの東洋大学だが、実は今注目度が高い芸人さんが多く在籍していたことも強調したい。 オードリーの若林さん、フォーリンラブのバービーさん、フワちゃん、テ

                                                                      大人になって気がついた、穏やかで心安らぐ街「白山」の魅力 - SUUMOタウン
                                                                    • 4500万円、都心まで1時間圏内で3LDK中古マンションを買う。一次取得、新卒3年目の場合。|0871

                                                                      家族増員をきっかけに、郊外の中古マンションを購入。今の相場で買うのか、どこで買うのか、本当にこのマンションを買うのか、購入申込みをしても買えない、仲介業者との手数料半額バトル等々、なかなか苦労したので記録。一応若干のフェイクが入り。あしからず。 大まかな属性情報自分:アラサー、ほぼ在宅勤務、年収900万円ぐらい、フルローン予定。新卒3年目なので貯金無。 パートナー:アラサー、子どもの成長に合わせて労働を再開する予定。 子ども:検討期間中に誕生、1歳に満たない、かわいい。 転居が必要なら、いっそ家を買うのもありではこれまで家を買おうと考えたことは一度もなかったが、下記の状況から住宅購入を決意した。子どもすごい。 家族が増えると、現居が手狭になるため、子どもがそこそこ動き出す1年後まで転居したい。 子どもが中学卒業まで同一学区(同一住居)で生活する可能性が大。家賃13万円の同一住居に12年間住

                                                                        4500万円、都心まで1時間圏内で3LDK中古マンションを買う。一次取得、新卒3年目の場合。|0871
                                                                      • 二十代のしょぼい自分を散歩で辿る。神谷圭介が暮らした練馬区平和台 - SUUMOタウン

                                                                        著: 神谷圭介 10年前まで住んでいた町へ向かう。引越してからは一度も立ち寄っていない。大学を卒業して半年後に住み始めた町が練馬区の平和台だった。友人とシェアするかたちで借り始めた部屋は3DKで月々8万4000円くらいだったから、折半して1人4万2000円。なるべく広い部屋が良かった。 自分はテニスコートというコントグループのメンバーであり、当時は結成も間もなく大学を出てからもコント公演を続けていくつもりだった。作業スペースや衣装とか小道具などの置き場が出来るだけ欲しかったのだ。 1人で狭い部屋を借りるよりも広くて快適だった。お互い全く気を使わなくて済む関係だったのも良かった。まさかそのまま6年間も住むことになるとは思わなかったが、なんならもう一回更新しても良かったくらい快適だった。 ただなんとなく「さすがに8年も一緒に住むことなくない?」という話になり、なんとなく共同生活は解散になった。

                                                                          二十代のしょぼい自分を散歩で辿る。神谷圭介が暮らした練馬区平和台 - SUUMOタウン
                                                                        • 「お醤油、貸して」が息づく街・谷中に教わりました。「頼り合える社会」が当たり前にあるカッコよさ - SUUMOタウン

                                                                          インタビューと文章: くいしん 写真:藤原慶 街には、そこに住む理由になる飲食店がある。そんな飲食店は、不思議なほど街がもつ特徴や色合いを具現化している。店を営む店主の目を通して、街の魅力に触れてみるのが本連載【その街に住む理由になるお店】です。 ◆◆◆ 東京、谷中。 多くの寺や谷中墓地など、歴史と伝統を感じさせる穏やかな空気を守りながら、一方で若者が何かを表現できる余白もしっかりと残す街です。 そんな谷中で、大正時代に建てられた古民家を改装し、谷中で暮らす人々と訪れる人の関わりを大切にしようとするカフェがあります。 「散ポタカフェ のんびりや」。黒電話や古時計など、レトロな骨董品が飾られた店内で、女将のmoshaさん自慢の日本酒を堪能することができます。 moshaさんと夫のきんちゃんがつくり上げるのんびりやは、開けっ広げ。いつも、通りに向かって開いています。軒下にはいつも人が集まり、店

                                                                            「お醤油、貸して」が息づく街・谷中に教わりました。「頼り合える社会」が当たり前にあるカッコよさ - SUUMOタウン
                                                                          • 気づけばふるさとになっていた。音楽と会社の狭間で揺れた20年の上京生活【神奈川・梶が谷】 - SUUMOタウン

                                                                            著者: BUBBLE-B 上京してから20年目。さまざまな理由が重なり、僕は滋賀にUターンした。 会社を辞めた不安、友達とあまり会えなくなる寂しさ、そして新しい人生への期待を胸に、深夜の東名高速を西へと運転した。 20年ぶりに帰ってきた息子を迎えてくれた母親は、すっかり小さくなっていた。そして、実家の一室を仕事部屋にして、ある覚悟を決める。 これからは再びこの街で暮らしていく。自分の運命を自分で切り開いていくのだと。 テクノに焦がれて東京へ遡ること20年前、僕は滋賀が大嫌いだった。 高校生だったころの僕は、深夜ラジオとテクノに傾倒しすぎて成績が下がり、すっかり落ちこぼれていた。話の合う友達もおらず、テクノを聴きながら一人で自転車通学する毎日だった。 田んぼと民家ばかりの通学路を、イヤホンからのデトロイト・テクノやハードコア・テクノのBPMに合わせてペダルを漕いだ。そもそも滋賀のCDショップ

                                                                              気づけばふるさとになっていた。音楽と会社の狭間で揺れた20年の上京生活【神奈川・梶が谷】 - SUUMOタウン
                                                                            • わたしには程よいまち「滋賀県彦根市」(文・御子柴泰子) - SUUMOタウン

                                                                              著: 御子柴泰子 彦根といえば彦根城、滋賀といえば琵琶湖。そんなイメージがあったけれど、住んでみたら意外とどちらもわざわざ行くことは少ない。でも、彦根城がある風景を目にしながら暮らし、大きな琵琶湖がすぐそこに横たわっていることを感じながら生活している。 わたしは大学進学と同時に彦根に越してきた。卒業した年に友人と「半月舎」という古本屋を始め、店は11年目になる。学生時代は大学のあった彦根南部ののどかな地帯に住み、卒業してからは半月舎のある彦根北部の旧城下町付近に暮らしている。 おおむね地味な暮らしをしているけれど、商店街にある「フルカワ」という昔ながらのフルーツ屋さんに時々行くのが贅沢のひとつ。ちょっとお高めだけどおいしい果物が売っていて、贈答用のフルーツなども売っている。わたしはいつも、お店の入り口にあるガラスばりの冷蔵庫をのぞきこんで、カットフルーツを吟味する。年中あるのはパイナップル

                                                                                わたしには程よいまち「滋賀県彦根市」(文・御子柴泰子) - SUUMOタウン
                                                                              • 僕が「ぜひ魚沼に訪れて第二の故郷にしてほしい」と言うほど地元が誇らしい理由|文・おばたのお兄さん - SUUMOタウン

                                                                                著: おばたのお兄さん 風景画にしやすい街、魚沼 「出身は、新潟県の魚沼市というところです」と僕が言うと、「あ、お米の!コシヒカリだ!」と返ってくる。このような会話を生涯何度も何度もしてきた。出身地を言ったときに、そこがどこか、何が名産かパッと出てくる地域に生まれ育ったことを僕は心の底から誇りに思っている。 こんにちは、新潟県魚沼市出身のお笑い芸人、おばたのお兄さんです。 魚沼特使でもある僕が、地元の魅力を読者の皆さんにお伝えしたいという想いで今、筆を走らせています。すみません、嘘をつきました。スマートフォンの画面上に、人差し指を走らせています。指紋が削れないように、時に中指に変えたりもします。新幹線で東京から新潟に向かいながら。 「魚沼市」と聞いて、どんなイメージをもつだろうか。経験上よく言われるのは「お米がおいしい」「お酒がおいしい」「水がきれいそう」「田んぼだらけ」などなどであるが、

                                                                                  僕が「ぜひ魚沼に訪れて第二の故郷にしてほしい」と言うほど地元が誇らしい理由|文・おばたのお兄さん - SUUMOタウン
                                                                                • 観光と暮らし、どっちもいい! BEYOOOOONDS高瀬くるみが推す「栃木・宇都宮」 - SUUMOタウン

                                                                                  インタビューと文章: 小沢あや 写真:佐野円香 「すべての街は魅力的」のモットーでメディアを運営しているSUUMOタウン編集部。先日発表された「都道府県魅力度ランキング2020」*1で、栃木がなんと最下位に……。「栃木の良さを伝える記事をつくらなきゃ!」ということで、『宇都宮観光プロモーションPR大使』を務めるBEYOOOOONDSの高瀬くるみさんに急遽オファー。地元への愛を語っていただきました。 栃木が魅力度最下位? ちっともわかってない! ―― 高瀬さん高瀬さん、大変です。都道府県魅力度ランキング2020、なんと栃木が47位になってしまいました。 高瀬くるみ(以下、高瀬):そうなんですよ! 栃木県って良いところたくさんあるのに、みんな知らないだけだと思います。 ―― 早速プレゼン、お願いします! 前のめりに栃木県の基本情報を語り出す熱心な高瀬さん 高瀬:まず、観光の観点でいうと、都心か

                                                                                    観光と暮らし、どっちもいい! BEYOOOOONDS高瀬くるみが推す「栃木・宇都宮」 - SUUMOタウン