前回の「歴史ノート」で、「リットン報告書」の内容はどのようなものであったかについて書いたのだが、調査団が決して公平中立的な立場で情報収集していなかったことは、当時の新聞にもしっかりと報じられている。戦前の日本人なら誰しも憤慨したであろう重要な事実が、戦後の歴史叙述の中では採り上げられることがほとんどない。 今回は当時の新聞記事や論調を読みながら、戦前の日本人がリットン調査団についてどのような印象を抱いたかを考察することと致したい。 満州国の治安を心配していた調査団 張学良 前回記事で、リットン調査団が三月に北平を訪れた際に張学良が設定した歓迎の宴に招かれて出席したことを書いた。中立的な立場で調査をすることが求められる調査団が、張学良の接待などを受けるべきでないことはいうまでもない。その後調査団が満州に向かおうとすると、満州国が調査団メンバーの一人でありかつて張学良の手下で働いていた顧維鈞(