うたろう@愛媛の魚と漫画飯 @syo_ta_____ 突然なんですけど皆さんは天然鮎の香りを知っていますか? なんか大変いい匂いがするそうなんですが、愛媛じゃなかなか売ってないのでうたろうは食べた事が無いのです... さんざん鮎ラーメン作っといてお恥ずかしい話ですね。 という訳なんで今から高知県に行って確かめてみる事にします。 pic.twitter.com/zP6Fh1X9Qu 2023-08-21 05:48:28
9月15日公開の岡田麿里最新作『アリスとテレスのまぼろし工場』は、そのビジュアルからは想像しがたいほどにエネルギッシュで挑戦的だった。 『君の名は。』の大ブレイク以降プログラムピクチャー的に毎年量産される「そういう感じ」の長編アニメ映画。誰もが二匹目のドジョウをつかみとらんとするガラパゴスな界隈に、『あの花』や『さよならの朝に約束の花をかざろう』などで知られるアニメ界の重鎮・岡田麿里が一石を投じる。脚本家として名を馳せた同氏の、『さよならの〜』に次ぐ監督第2作となる。 正直に言えば、予告編公開時点では『アリスとテレスのまぼろし工場』にもさほど食指は動かなかった。いわゆる「『君の名は。』っぽい感じ」のよくあるアニメ映画にしか見えなかったからだ。 しかし本作は実際のところ、むしろそうした「そういう感じ」を自覚したうえでそれを打ち壊さんとする、野心と反逆性に満ちた作品だったように思う。 本作は「
不安に過ごした夜が明けました。 父母の会話で、大体の事情は分かりましたが、はっきりと聞いたのはその日の夜のことでした。 そのとき、どのように感じたのかは覚えていません。 ただ、うまく説明のできない無力感があったように思います。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)③ 朝食を食べていると、父と母が小声で話していた。 「きっと、川に行ったんだろうって」 「下の子も、一緒らしい」 そんなことをいっていた。 教室での朝の会に、西森先生は少し遅れて来た。 何か心配事があるような顔をしていた。それでも先生は普段通りに授業を始めた。 朝はとても寒かった。通学路の脇の雑草が、霜で白くなっていた。それが、帰る頃にはすっかり暖かくなっていた。 私は、帰り道、灌漑溝の橋のところでふと立ち止まった。 道路脇の草むらが、風で揺れた。 風がクルクルと渦巻いて、そのまま空に昇って行った。 父が、いつもより少し遅く帰
こんにちは、暖淡堂です。 北海道出身です。 中学生や高校生の頃、学祭の準備などで、ギターを弾いていると、「『旅立ち』弾いてみて〜」とよく言われました。 友人と二人でギターを弾いていると「打倒!ふきのとう、だなあ〜」とよく言われました。 「打倒!ふきのとう」は、中学校の卒業アルバムにも書かれてしまいました。 そのくらい、北海道でギターを弾くと、松山千春さんやふきのとうのお二人をすぐに連想されるようでした。 きっと女子だったら中島みゆきさんですね。 ローカルには佐々木好さんかな。 で、春ですね。 旅立つ皆様に、この曲を紹介します。 もう、知っている人は少ないかな。 www.youtube.com 松山千春ゴールデン☆ベスト アーティスト:松山千春 ポニーキャニオン Amazon *☺☺☺☺☺* 「旅立ち」 松山千春 北海道あるある(僕の周囲だけか?) dantandho ランキング参加中雑談・
こんにちは、暖淡堂です。 伊豆下田の宿に着いて、食事前に僕は温泉とビールを先に済ませました。 で、食事して、妻と娘はそれから温泉。 僕はビール2回戦。 で、テレビを観た後、早めに寝ました。 運転で疲れていたので。 寝る前に、妻が「朝日が見たい」と言っていたので、目覚ましをセットしました。 で、起きて、妻に声をかけて、窓から外を眺めていました。 そこに、ゆっくりと朝日が上ってきました。 空が明るくなってから、太陽が見え始めるまではずいぶんと待ったのですが、上り始めると早いですね。 数分で太陽の全体が見えました。 空が晴れて、良い天気の1日になりそうでした。 この後、もう一度温泉に入ってから朝食。 朝食はバイキングでした。 海の幸がたくさん並んでいたのですが、僕たちがレストランに行ったのが遅かったので、無くなっているものも多かったようです。 それでも十分に満足できる朝食でした。 チェックアウト
こんにちは、暖淡堂です。 もう少しで、勤務先が変わります。 所属は同じなのですが。 いわゆる「出向」です。 今度は特許(庁)関連の仕事にドップリと浸かります。 で、さらに半年ほどすると還暦で、その少し後に定年。 定年後も出向先で働き続けることになりそうです。 そんなこんなでいろいろと忙しいです。 その忙しい時に、やりたいことがいくつかできてしまいました。 一番やりたいことが、Kindleで出版中の「菅子四篇」の改訂。 翻訳文で、検討の足りなかったところが散見されます。 全体的に、もう少し柔軟に文章を書いた方がよかったなと思ったりもしていて。 一番最初に出版したものなので、力が入りすぎていたかもしれません。 epub形式のファイルは作りやすくなったし、編集も楽になったので、出版用データそのものの作り替えも考えています。 平日はあまり時間に余裕がないのですが、そろそろ着手しようと思っています。
百人一首第93番目の歌の作者は鎌倉右大臣かまくらのうだいじんです。 鎌倉幕府の源頼朝、源頼家に続く第三代将軍源実朝さねとも。 彼は藤原定家を師として和歌を学ぶ文人でもありました。 今回は鎌倉右大臣について紹介します。 鎌倉右大臣とは 生年1192年、没年1219年。 最後は兄源頼家の子公暁によって刺殺されました。 鶴岡八幡宮参拝の帰路のこと。 まだ28歳でした。 鎌倉幕府はこの後、将軍を京都から迎え、政治体制は執権家の北条氏を中心としたものになっていきます。 源氏の血筋に連なる者が将軍となるのは、このずっと後、室町幕府と呼ばれる政治体制を確立した足利尊氏のときのこと。 源実朝の刺殺事件は、鎌倉幕府の体制が決まっていくきっかけになっているようです。 百人一首に選ばれている歌は、実朝が実際に見た光景を題材にしているもの。 鎌倉の浜辺に立ち、漁師の漕ぐ小舟を見ています。 そして「世の中が常に変わ
百鬼夜行 陽 京極夏彦 こんにちは、暖淡堂です。 極私的「京極祭」、まだ続いています。 「京極祭」を始めたきっかけの「鵼の碑」、まだ読めていません。 この前の年末年始に読む予定だったのですが、このゴールデンウィークもまだ辿りつきませんでした。 京極夏彦さんの書籍で、自宅の書棚にはなく、主に図書館蔵書で読んでいるものが数冊あります。 その一冊が今回紹介する「百鬼夜行 陽(定本)」です。 「百鬼夜行 陰」の方はしっかりと自宅の書棚で存在感をアピールしているのですが。 これはなぜか書いそびれてしまいました。 いつか、神保町ででも見かけたら、老後の楽しみに購入しておこうと思います。 で、「百鬼夜行 陽」。 これは「鵼の碑」へのプロローグでもありました。 この連休に読んでみて、「鵼の碑」を手に取る前にこれを読んでおいてよかったと思います。 それと、最後に書き下ろしで加えられている作品「目競(めくらべ
明けましておめでとうございます。 暖淡堂です。 皆様よいお年をお迎えでしょうか。 大晦日から飲み明かされている方もいらっしゃるでしょうか。 もう初詣を済まされた方もいらっしゃるでしょうね。 皆様にとって、幸多い一年になることをお祈りいたします。 僕は、大体春頃には今の会社から新しい勤め先に移動している可能性が強く、現在調整中のようです。 自分にとっても、家族にとっても、生活に変化が生じます。 このようなとき、受け身だと色々と辛いことも多くなりがち。 自分から、この変化をきっかけにして、どんどんと変えていこうと思っています。 古典の勉強、資格の勉強、その他、生活の一部になっている読書などは継続ですね。 自分のために使える時間は有限なので、それ以外は自然と整理されるかもしれません。 いずれにしても、今年も元気に頑張って、自分の特性を活かして、暮らしていきたいと思います。 今年もどうぞよろしくお
百人一首第94番目の歌の作者は参議雅経さんぎまさつね(藤原雅経)です。 後鳥羽上皇に重用され、藤原定家らとともに「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。 今回は参議雅経について紹介します。 参議雅経とは 生年1170年、没年1221年。 官位は従三位、参議でした。 藤原雅経の父、藤原頼経が源義経と親しい関係にあり、源義経が追われた後は藤原頼経、雅経親子は鎌倉に護送されることになりました。 しかし雅経は頼朝からその和歌や蹴鞠の才能を認められ、源実朝とも親交を結ぶなどしたため、次第に頼朝からも重んじられるようになりました。 この藤原雅経は、後鳥羽上皇からも重用されます。 院における歌壇で活躍し、また蹴鞠の実力も高く評価されました。 後鳥羽上皇からは「蹴鞠長者」の称号を与えられています。 このことから、藤原雅経は飛鳥井流蹴鞠の祖とされています。 時代背景 サッカー選手の信仰を集める京都白峯神
こんにちは、暖淡堂です。 伊豆下田への家族旅行2日目の午前中。 泊まっていたホテルから見えていた海岸に降りてみました。 人はほとんどいなく、家族連れが我が家の他に1組だけ。 それも砂浜で少しだけキャッチボールをした後に引き上げていきました。 それからは、砂浜にいるのは我が家の3人だけ。 とても贅沢に、のんびりと過ごせました。 僕と娘は、ゆっくりと写真を撮りながら歩き、堤防の先端までいきました。 湾の外側にも綺麗な海が広がっていました。 内側はずっと白い砂浜。 夏に来たら、気持ちがいいだろうなと思います。 もう何年も海には入っていません。 そういえば、直近で海に入ったのは、小樽の海。 娘は小学生で、義父母もまだ元気で。 ずいぶんと昔のことですね。 妻はスケッチをしていました。 自分たちが泊まったホテルや、海岸の景色を描いていました。 いつかまとまった作品になるのかな。 ホテルに10時頃までい
2017年12月ミュンヘンのホテルから 2017年は、一人で海外をうろつくことが多かった。 どれも仕事の出張で出掛けていたが、好んで一人切りで歩き回っていた。 会社の現地拠点の人々と打ち合わせをしたり、特許関連の現地事務所を訪問したりした。 少しの英語と、わずかばかりの度胸と、抑えきれない好奇心で動いていた時期でもあった。 出かけると、ホテルで一人きり、静かに過ごす時間がとても好きだった。 街中で買ってきた現地のビールとパンやスナックを友に、のんびりとしているのだ。 ヨーロッパでは、大概の街で、中華料理のテイクアウトができる。 日曜日でなければ、食事に困ることはほとんどない。 そして、現地語で話し続けるテレビを観るのも楽しみだった。 日本のアニメが、現地後に吹き替えされて放送されていた。 キャラクターの声が違うと、まったく別物に感じられるのが不思議だった。 この年、12月下旬にミュンヘンを
こんにちは、暖淡堂です。 先日、妻がちょっとした操作上のミスで、以下の広告表示のどこかをクリックしたようです。 その結果が、問題多々。 (以下、広告の画像です) ちょっと問題な広告表示の例 (ここまで) クリックした結果、ブラウザが乗っ取られ、操作不能になったようです。 慌てて妻が僕に知らせてくれました。 メッセージがたくさん出てきたのですが、大体、以下の内容でした。 「このPCは不具合で操作不能になりました」 「回復のためには次の電話番号に連絡してください」 「PCの強制終了、再起動はけっしてしないでください」 で、その状況を見たところで、何が起こったのかがわかりました。 そこで行った対策は、「PCの強制終了、再起動」です。 それで復旧。 ある種のジョークかと思いました。 今のところ、大きな問題は起こっていません。 (これが絶対安全な復旧方法とは思っていません。皆様にお勧めする方法ではあ
百人一首第91番目の歌の作者は後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじんです。 関白九条兼実の子で、藤原忠通の孫にあたります。 今回は後京極摂政前太政大臣について紹介します。 後京極摂政前太政大臣とは 後京極摂政前太政大臣とは藤原良経のこと。 生年が1169年、没年が1206年。 祖父の藤原忠通は百人一首第76番目の歌の作者ですね。 保元の乱の中心人物でした。 dantandho.hatenadiary.com 藤原良経は政界で活躍しながらも、和歌や漢詩などの文学に通じていました。 自らも優れた和歌を残しています。 そして、当時の文学界の有力なパトロンで、百人一首の選者の藤原定家も、その支援を受けた一人でした。 百人一首に選ばれた歌は、当時の藤原良経自身の経験を文学作品に昇華させたもの。 この歌が作られる少し前に、自身の妻を亡くしています。 その寂しさを、ただ嘆くだ
ルー=ガルー 徳間書店版 こんにちは、暖淡堂です。 まだ極私的京極祭継続中です。 その他も読んでいるのですが… で、今回は「ルー=ガルー 忌避すべき狼」です。 ついに、手を出してしまったか、という感じではあります。 「鵼の碑」を読み始めるのを、少しずつ、わざと遅らせているような感じでもあります。 で、この「ルー=ガルー」、面白いです。 後半はほぼ一気読みですね。 時代設定は2040年くらいかと思われます。 その近未来の様子を2001年頃に予想して描いているわけですね。 2001年から20年以上経過した現在、この作品を読むと、とても面白いものがあります。 詳細はぜひ本作品を読んでいただきたいのですが、2001年頃には、物事はその方向に進んでいくものと考えられていたというのがわかります。 通信や、移動手段や、データ管理など。 社会や、人々の行動や、行動規範も変わっています。 個性的な女子が多数
こんにちは、暖淡堂です。 ジェームズ・ジローさんのブログ記事に「左遷」のことが書かれていました。 1月25日は菅原道真(菅公)が太宰府に左遷された日とのことです。 kuu-ki.hatenablog.com で、気になったのが左遷の「左」。 なんで「左(ひだり)」なんでしょうね。 goo辞書には以下のように書かれていますが、どうして右がよくて左がよくないのかがわかりません。 dictionary.goo.ne.jp 我が家の書棚にある白川静さんの「常用字解」によると「左」は神に仕える人(巫祝)が左手に呪具(工)を持つ姿で、神のいる所を尋ね、神の助けを求める、という意味だそうです。 で、一方の「右」は、神への祈りの文章(祝詞)を入れる器(口)を持って祈る、という意味の字。 フムフム‥ で、なぜ左が悪く、右が良いのかが、まだわかりませんね。 ネットで調べると、利き腕と関係しているような記事もあ
落ち着いている 姿のよいひとは、落ち着いている。 世の中がざわざわしていても、右往左往しない。 大声で騒ぐ人たちが周囲にいても、まるで別のものを聞いている。 ずっと遠い過去から、多くの人たちによって伝えられてきた、大切な言葉に耳を澄ませているのだ。 だから、狭い地域の、決まった顔ぶれの、その時だけしか通用しない物言いには心を動かされない。 それが、その狭い地域で、決まった顔ぶれの仲間たちに、その時だけ影響力をもっている人の言葉であれば、なおさらである。 友達は大切にするが、あまり多くの友達を作ろうとしない。 むしろ一人でいることを好む。 それは、大切な友達を、「友達」という一括りにして扱ってしまうことを避けるためでもある。 一人一人、名前をもった人間であることを忘れないためでもある。 そして、そのひとに対して、大切な自分であるためである。 一括りにした「友達」に対する「自分」など、作り上げ
昭和58年、18歳の春から始まった学生時代は、ビールと過ごした時代でもあった。 もともと大学入学前からビールは飲んでいたが、それは大学入学後に比べると穏やかなもの。 18歳からのビールとの付き合いは、もっと深く、激しいものであった。 新入生歓迎会で、生まれて初めてビール瓶1本そのままを手にしての一気飲みを経験した。 一気飲みはその後も、様々な場面で挑んだが、勝敗はやや勝ち越しくらいで、途中放棄ということもよくあった。 友人の中には負け続け、その腹いせか、逆噴火という対抗技を使うものもいた。 飲み会が増えると、周囲にいるものも慣れてきて、逆噴火の気配を感じると退避できるようになる。 もちろん、逃げ遅れると、すこし大変な目に遭う。 それもまた、学生時代の飲み方の彩りでもあった。 自室や友人の下宿部屋で飲むことも多かった。 そのときに、必ず用意したのがサッポロビールジャイアンツ。 ほぼ2リットル
物を大切にする 姿のよいひとは、物を大切にする。 乱暴に扱ったりしないので、使い込まれた物も、壊れてはいない。 古くなった部分は交換され、擦り切れたところは手当がされている。 だから使い込まれた物が、その人オリジナルのものになっている。 少ない物を大切に、長く使う。 同じようなものをたくさん持ったりしない。 お気に入りの物を大切にしている。 それらの物が、その人自身の生活の一部になっている。 人から借りた物も、気をつけて扱う。そして必ず返す。 傷みや汚れなどに気がつけば、できる範囲で手当をしてから返してあげる。 返すときには、物を貸してくれたことに十分に感謝する。 それを失うことなく返すことができたことにも感謝する。 手元を離れた物は、二度と戻って来ないことだってあり得るのだから。 図書館から借りた本は、汚さない。 どれも大切に扱って、丁寧に読む。 期限までに返す。 期限を過ぎた状態で放置
清潔である 姿のよいひとは、清潔である。衣服が汚れていない。 新しいものでなくても、洗い立てのものでなくてもいい。 汚れた部分を放置していない。汚れは、その都度落とすようにしている。 定期的に衣服の点検をしている。そして、傷んだもの、古くなったものは手当てをしている。 髪、髭、鼻毛などに気を遣っている。おしゃれという意味ではない。 他の人の感じ方に配慮しているのだ。 「この人は、自分と会うときに、身だしなみを整えない」 そう感じさせてしまうことの意味を、普段からよく考えているのだ。 自分の姿も、自分のためのものではない。 咳やくしゃみを無遠慮にしない。 周囲に人がいるときには十分に配慮をする。そのために、いつもハンカチを持ち歩いている。 咳やくしゃみは、極力出ないように心がける。 痰を切るために、力んだ咳を電車の中でしたりはしない。 「その痰をどうするつもりか」と周囲の人に考えさせたりもし
29日夕方から 雨が降り出した。 明日まで続くと天気予報で言っていた。 冬の木々の枝から やっと淡い緑の葉が萌出て 私の目と心を喜ばせているのに 明日から一気に 山の色が濃い緑へと移っていくだろう。 「小屋」の周りに植えた木や 自生の木も 日々 姿を変えている。 何をそんなに時を急ぐのか? 淡い緑と言えば 私は春キャベツのサラダを 飽きずに食べる。 綺麗な薄緑の春キャベツを千切りにし 塩 少しの砂糖 粗挽き胡椒 酢 オリーブオイルを振りかけ ボールの中で さっくりを和える。 簡単なサラダだが とても美味しい。 昼ご飯にチキン胸肉のカツを揚げた。 春キャベツのサラダ 湯がいたブロッコリーと人参のナムル じゃがいもと人参のマッシュ。 ミート皿に全部山盛りだ。
こんにちは、暖淡堂です。 子供の頃、祖母に連れられて旭川や鷹栖の親戚の家に行ったことがあります。 函館本線で北上。 いくつかのトンネルを通った記憶があります。 で、旭川の手前に、神居古潭駅というのがあって、その辺りの風景なども、うっすらと覚えています。 旭川までつながっていた国道12号線も、神居古潭を通っていたと思います。 この辺り、渓谷になっていて、山の中の感じがしたものです。 ここを超えると「大都会」の旭川になるのですが。 現在のJRの路線や、国道12号線は、神居古潭を通らない形になっていますね。 国道12号線は、僕が大学生の頃に、新しい道ができて、おまけにその後、高速もできたので、すっかり神居古潭のことは忘れていました。 国道12号線からは、神居古潭の方に向かう分岐があったような気がしています。 で、そんなことを思い出しながらYouTubeを観ていたら、ありました、動画が。 大体、記
富士山が大きく見える こんにちは、暖淡堂です。 2024年3月に家族で伊豆下田に行ったときの写真を見ていて、まだ紹介していなかったものがあったので記事にしておきます。 道の駅「伊豆ゲートウエイ函南」の駐車場からみた富士山です。 www.izugateway.com 車を降りた時にはわからなかったのですが、なんとなく視野に入っていたものが富士山だったことに気づいた時には驚きました。 伊豆半島から富士山って、結構近かったようです。 自分が思っているよりも大きかったり、小さかったりすると、気づきにくいようです。 見えているはずのものが、この思い込みで見えていないこともあるかもしれませんね。 そんなことを思いながら、帰路をたどりました。 帰りも、我が家族の道のりはのんびりとしたものでした。 dantandho ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ にほんブログ村
こんにちは、暖淡堂です。 2024年のゴールデンウィーク、家族でのお出かけドライブで、行田市の郷土博物館に遊びに行ってきました。 「のぼうの城」の舞台、忍城 行田市郷土博物館の裏手にあった門 ここは和田竜さんの小説「のぼうの城」の舞台です。 映画化もされましたね。 我が家で「のぼうの城」の面白さに最初に気づいたのが娘でした。 数年前、文庫本の上下巻が娘の書棚にあるのを見つけました。 聞くと、とても面白い本だとのこと。 僕は娘から本を初めて借りて読みました。 舞台が埼玉県内らしいということをその頃に聞いていて、いつか行ってみたいなと思っていました。 行田市郷土博物館の資料館 ja.wikipedia.org 映画でのクライマックス、豊臣秀吉軍による忍城水攻めは、実際に行われたものだったようです。 その際の記録その他の資料が行田市郷土博物館に展示されていました。 この辺りは、もともと水の豊かな
小学生の頃の、一番悲しい出来事です。 今でも時々思い出したりします。 のんびりとした田舎でしたが、事件といってもいいようなことも起こりました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)① 通学に使っていた道路は、車がほとんど走っていなかった。私は、縦笛を吹いたり、本を読んだりしながら歩いて帰った。 ある日の放課後、川田君や西森君と学校の玄関で別れた後、家への道を一人で歩いていた。稲穂が実り、風に揺れて乾いた音を立てていた。風は頬に冷たく感じられた。 灌漑溝に架けられた鉄筋コンクリート製の橋の手前で、沢井さんと会った。学年が同じで、家も近かったが、普段はあまり話さない。 僕は本を読みながら歩いていたので、近づくまで沢井さんに気がつかなかった。 「本が好きなんだ」 私はその時、学校の図書室で借りた児童用のサイエンスフィクションを読んでいた。 シリーズ本で、私はそれを全巻繰り返し読んでいた。どれ
こんにちは、暖淡堂です。 先日、自宅に他の方がアマゾンに発注したものが置き配されていました。 すぐにはどうしてよいかわからなかったので、玄関の靴箱の上に放置していたのですが、少ししてから思い立って、Googleで調べてみました。 で、見つかったのが以下のサイト。 yukanisora.com で、この記事に書かれている通りに、アマゾンのカスタマーサービスに問い合わせをしてみました。 電話とチャットのいずれかが選べるようでした。 僕はチャットで問い合わせ。 すぐに担当の方が現れて、数回やり取りした結果 「誤配送された商品は、お手元に置くか、破棄してください」 とのこと。 おお、そういう結末か、と驚きながらも、チャットの記録が残っていることを確認してから、届いていたものを始末することにしました。 他の方が購入されたものを知るのもどうかと思いましたし、ちょっと驚くようなものが出てきても嫌なので、
こんにちは、暖淡堂です。 暑い日が続いていますね。 日々、無理せず、どうぞご安全にお過ごしください。 湿度が高くて蒸し暑いのがとても耐えられません。 それでも、夕方雨が降ったりすると、その後はしばらくは過ごしやすく感じたりします。 タイの方が過ごしやすく感じるのは、暑くても毎日雨(だいたい大雨)が降っていたからかもしれません。 暑い日に思い出すのが加山雄三さんの「光進丸」。 この曲、昔から好きで、シングルレコードで持っていて何度も聴きました。 波音、イントロ、歌が始まってそれからサビまで、ずっと引き込まれていきます。 聴き終わった頃には、自分も船のうえにいるような気分になります。 歌われている場所は伊豆諸島の周辺ですね。 まだどの島にも行ったことはありませんが、行ってみたい場所であり続けています。 (妻が船に弱いので、飛行機で行けるところにしか行けないかもしれません) 今日も暑くなりそうで
声がきれい 姿のよいひとは、声がきれいである。 がさついてなく、かれていなく、高すぎなく、低すぎない。 その人が自然体で立っている、ちょうどその大きさで声を出している。 声は、小さすぎない。何を言っているか、声が小さくて聞こえないということはない。 そして、大きすぎない。まるで叱られているような気にさせる声の大きさではない。 なによりも、急に大声を出さない。話の途中で、理由もなく黙り込んだりしない。 声は、自分のためのものであり、聞いているひとのためのものでもある。 だから、声は聞き取りやすいものになっている。 自分一人のために話すのであれば、声を出す必要はない。 姿のよいひとは、そのことに、気づいている。 *☺☺☺☺☺* 読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本 作者:福島 英 音楽之友社 Amazon 声がきれい【姿のよいひと】 ちょっとずつ進めます。いちど書いたものを、膨らます予定
こんにちは、暖淡堂です。 2024年1月28日(日)に実施されたFP2級の試験を受けました。 皆様からのあたたかいコメントを胸に(皆様、ありがとうございました)、寒空の下、出かけてきました。 会場は東京日本橋に新しくできた「ベルサール日本橋」。 高島屋の隣で、大きな建物の地下部分にある会議室でした。 www.bellesalle.co.jp 会場をざっと見渡すと、1000人くらいはいたような気がします。 若い人が多かったように思います。 僕と同じくらいの年代の人は、比率的にはFP3級の時よりも少ない感じでした。 試験中、ずっと咳をしていた人がいましたね。 大変そうでした。 よい結果が得られたことをお祈りします。 で、僕の試験結果ですが。 FP協会のHPで、試験当日の17:30から模範解答が公開されます。 自宅に戻って、すぐに自己採点しました。 学科は7割以上できていたようです。 実技ですが
こんにちは、暖淡堂です。 暑いですね。 まだしばらく暑い日は続くようです。 身体には負担がかかってしまいます。 せめて気分は軽く過ごしていきましょう。 スカッとする映画を観たいものです。 で、なんとなくYoutubeあたりをウロウロしていたら。 見つけました。 Battleship おまけに、バックで流れているのが AC/DC の Thunderstruck カッコいいです。 スカッとします。 全編観たくなります。 この夏は、あまりお休みがない(日々、なんだか時間に追われています)のですが、そのうちになんとかしたいと思っております。 www.youtube.com www.youtube.com *☺☺☺☺☺* イントロのギターリフ、カッコいいです。 20世紀のロックでは、僕の心の中ではリッチー・ブラックモアの名曲の次くらいにランキンされています。 「Thunderstruck」 AC/D
こんにちは、暖淡堂です。 昭和の頃のことを考えていて、ふと思ったのが、「学生帽」のこと。 そういえば、最近見かけません。 僕が小学生の頃は、入学した時から学生帽をかぶっていました。 黄色い帽子はありませんでしたね。 北海道だったからでしょうか。 小学生の頃、外出する時には、学生帽をかぶることになっていたような気がします。 社会科見学や修学旅行の時も、基本はかぶることになっていたかと。 それは、中学校でも同じでした。 それで、修学旅行の時の写真は、だいたい学生帽をかぶって写っています。 ジーパン(今風にいうとデニムのパンツ)にジージャンを着ていて、その頭には学生帽を乗せいているという姿の写真があります。 なかなかその組み合わせは、自分では思いつかないですね。 学生帽をかぶるべし、というルールがあったからだと思います。 学生帽、もう今は、どこの学校でもかぶっていないのでしょうかね。 そういえば
こんにちは、暖淡堂です。 ゴールデンウィークが終わり、早速夏休みまでのカウントダウンを始めた人も多いかと🤭 僕は出向準備中で、気持ち的に落ち着かなかったのですが、それでもお休みの日数は多めに取りました。 今年のゴールデンウィークの前半にやったのが、「臨済録<現代語訳>」のKindle出版。 原稿はほぼできていたので、体裁を整えて、表紙を作って、データをアップロードして、すぐに作業は終わりました。 時間がかかったのがペーパーバック版の出版。 ページのマージンを調整して、改ページの位置を確認して。 表紙も作り直して。 ペーパーバック版は、本文データも表紙データも、どちらもPDFで作らないといけません。 で、Kindleのサーバーにアップロードして、出来上がりを確認して。 気がついたら数日経過していて。 出来上がったのが5月6日でした。 まあ、連休中に終わったからいいかなとも思っています。 無
姿勢がよい 姿のよいひとは、姿勢がよい。両足で、真っ直ぐに立っている。それでいて強張った感じはしない。 壁や什器などに寄りかからない。エレベーターに乗ったときは、壁から少し離れて立つ。 椅子に座るときは深く腰掛け、足を大きく広げたりはしない。足も組まない。 貧乏ゆすりなどはもちろんしない。 歩く時は、前を見ている。風景を見ることもあるが、人混みの中では他の人にぶつからないような配慮をする。 急足になることもあるし、遅くなることもある。周囲に他の人がいるときには足並みをそろえる。 手にした電子機器に気を取られて、他の人とぶつかりそうになることもない。 道の真ん中を不用意に歩かない。車が来てから慌ててどけるようなことはない。 真っ直ぐに立ち、前を見て歩くためには、健康であることを心がけている。 不摂生をしがちで、身体に疲労が溜まっているひとは、真っ直ぐに立つことで無理をしている。 姿のよいひと
小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そして、普段やっていることがとても似てきました。 夕方、テレビを観ながら晩酌というのは、祖父の習慣でもありました。 僕も晩酌をするようになっています。 テレビに向かって時々話しかけたりもします。 そのあたりもとても似てきました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十二) 祖父が亡くなった。私が小学校に入学した頃から体調を崩しがちになり、入退院を繰り返していた。入院している間は祖母が泊まり込みで看病していた。 長い間、町の中にある大きな化学工場で電気配線工事の下請け仕事を続けていたが、それを数年前に辞め、自宅で田圃や畑の世話をして過ごしていた。 夕方にな
こんにちは、暖淡堂です。 2024年7月1日付で出向しています。 定年は出向先で迎える予定です。 で、勤務先が変わったので通勤ルートが少し変わりました。 行き先が違うので、当然ですね。 これまでの勤務先への通勤ルートでは、新宿駅で乗り換え。 新しい勤務先へは代々木上原駅(小田急小田原線)で乗り換えます。 それで気づいた新宿駅と代々木上原駅の雰囲気の違いなどを書いておきたいと思います。 利用客の様子が大きく違う 新宿駅は、朝も夕方も、日中も、人が多いですね。 利用客数は日本一らしいです。 通勤時間帯は、人が多いので、自分の行きたいホームに辿り着くためには、スキルが必要です。 僕の人混みの中を歩き抜ける方法のコツは、移動する人たちの足を見る、です。 顔や身体が向かっている方向を参考にしてその人の歩く方向を判断すると、かなりの確率でフェイントにかかります。 一方、足の向かっている方向はほぼその通
iPhone故障時の対応は慎重に こんにちは、暖淡堂です。 今週は娘のiPhoneが故障してしまい、その修理を初体験しました。 電話故障の顛末 娘の電話が使えなくなったのが、ちょうど娘の大学の卒業式で、袴姿に着替えるために娘が先に出かけた後。 着替えをする業者の仮設ブースに着いた頃のことだったようです。 で、娘は慌てて友人の電話からそのことを伝えてきたのですが、娘自身は僕や妻の携帯電話番号を覚えていなくて、メモも持っていません。 で、自宅の固定電話に電話をしてきました。 僕や妻も卒業式に行く予定だったので、「会場に着いたら友人の電話宛に連絡する」と言って電話を切りました。 僕と妻が会場に着いた時に、娘の友人の電話番号に連絡したのですが、残念ながら通じません。 卒業式が始まるので、会場に入って、そのまま式に参加していましたが、娘に会う方法を考えていて、落ち着きませんでした。 会場の出口で、娘
バスや鉄道運転士の残業規制が4月から強化され、運転士不足をさらに加速させると見られる。地方自治体が目指すコンパクトシティの実現もピンチに陥りそうだ。 バスや鉄道運転士の残業規制が4月から強化され、運転士不足をさらに加速させると見られる。地方自治体が目指すコンパクトシティ(交通、商業、医療、教育、行政などの機能を都市中心部に集中させる概念)の実現もピンチに陥りそうだ。愛媛県の松山市駅を発車した伊予鉄道高浜線の電車が3両編成で松山市内を走る。ビルに囲まれた市中心部を抜けると、沿線の風景が住宅街に変わってきた。やがて山口県行きのフェリーが発着する三津浜港と三津駅が見えてくる。松山市北西部の拠点となる地域だ。 この辺りは古くから港町として栄え、明治時代に書かれた夏目漱石の小説「坊っちゃん」にも登場する。当時は独立した三津浜町だったが、太平洋戦争直前の1940(昭和15)年、松山市に編入された。以来
こんにちは、暖淡堂です。 年末年始、奥歯が一本欠けた状態で過ごしていました。 慣れると、それはそれで特にどうということもなかったのですが、そのままだと他の歯がずれたりしそうなので、予定通り、本日歯科医に行って治療してきました。 今日は、麻酔を使っての治療です。 時々強い痛みを感じたので、その都度麻酔を追加しました。 しばらくは顔の片側がぼーっとした感覚が残っていました。 1時間ほど、口を開けたり閉じたり、歯をカチカチ噛み合わせたり、うがいをしたり。 で、仮歯が入りました。 しばらく食事をしないように、とのことだったので、昼食は遅め。 それもあまり噛まないでよいようなものにしました。 麻酔が切れると沁みるかもしれない、と言われたので、ちょっとドキドキしながら食べました。 この後、型を取って、それが入るまでまだ数回治療に行かないといけません。 まあ、始まったものはいつかは終わるので、それまでの
百人一首第82番目の歌の作者は道因法師どういんほうしです。 俗名は藤原敦頼ふじわらのあつより。 90歳になっても歌合に参加していたという人です。 今回は道因法師について紹介します。 道因法師とは 生年は1090年、没年は1182年。 藤原北家に連なる人ですが、官位は高くなく、晩年は出家しました。 出家した頃は80歳を越えていたようですが、歌道への執着は強く、もっといい歌が詠めるようにと、大坂の住吉大社まで毎月詣でていたようです。 百人一首に選ばれている歌も、恋の歌として読むことはできますが、道因法師自身の歌道への思いとも読み取ることもできますね。 時代背景 青空文庫に尾崎士郎による現代語訳があります。 原文を逐語的に現代語に訳したのではなく、現代人の視点で書き直しています。 平家物語の時代を整理するには格好の文献です。 青空文庫、無料で膨大な過去の作品を読むことができます。 その運営を、応
こんにちは、暖淡堂です。 子供の頃にはいろんな夢をみていた気がします。小学生の頃、中学生の頃、高校や大学で、それぞれ想像できる範囲で自分の将来や希望などを思い浮かべていたかと。 で、ライフプランを考えるのに参考になるテキストをパラパラとめくっていると、子供の頃の夢をまとめるシートがありました。 面白そうなので、この機会に思い出せる範囲で書き出しておこうかなと思います。 小学生くらいの頃の夢 漫画家になろうと思っていた時期があります。ノートにボールペンでたくさん絵を描いていました。 好きだったのがロボットが登場するもの。マジンガーZが大好きだったので、マジンガーZの絵をいっぱい描いていましたね。 今でも描けます。細かいところまで覚えているのですが、最近のマジンガーZはディテールに変更があるみたいです。 学校の先生にもなってみたいと思っていました。しっかりと自分で勉強して、それで理解したことを
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