はじめに 三輪から伊勢へ。#豊鍬入姫(とよすきいりひめ)と #倭姫(やまとひめ)。二人の #姫巫女 の #元伊勢の旅 を振り返ります。#八咫鏡 #御杖代 #大和姫命世記 目次 豊鍬入姫(とよすきいりひめ)元伊勢の旅 倭姫(やまとひめ)元伊勢の旅 アラハバキ解39)見えてくる弥生稲作・太陽祭祀の東遷 本文 豊鍬入姫(とよすきいりひめ)元伊勢の旅 崇神天皇の代まで、同床共殿(どうしょうきょうでん)といって、宮中にアマテラスとオオクニヌシを祀っており、主に姫巫女(ひめみこ)が奉祀する伝統でした。 しかし崇神天皇(第10代)はこれを畏れ、皇女の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)にはアマテラスが新しく鎮まる場所を探すよう命じます(日本書紀・崇神六年) 祭政一致の時代、神威によってヤマトを統治していた天皇にとっては切実な問題で、若き豊鍬入姫は、重い責任と御神体の八咫鏡(やたのかがみ)を負って長い旅に出ます。