前回のあらすじ 熊本県から大分県に舞台を移し、リリーとゴン太がまずやってきた場所は、歩道専用としては日本一の高さを誇る「九重”夢”大吊橋」。 そこから展望できる山々を彩る紅葉や、「振動の滝」の迫力を目の当たりにした彼らは、いつものように人目を憚らずに騒ぎ散らかした。 そんな彼らに苦言を呈してきた“カルメン”という一人の女性。 彼らの理不尽な対応が原因で罵りあいに発展したが、リリーが彼女を追い払うような形でその場を去っていった。 聖地巡礼のはずがゴーストハント!?【旧豊後森機関庫】
Author:東雲みょん どうもこんにちは。東雲みょんといます。 このブログは日本の産業遺産や戦争遺跡といった廃墟を紹介しています。 日頃廃墟に旅に出ている自分です。 【掲載廃墟一覧】 【戦争遺跡一覧】 今までに旅に出た廃墟と戦跡の一覧です。 リンクフリーです!同じ趣味を持った人、そうじゃない人もどんどんリンクしちゃってください。 【Twitter始めました!】 廃墟の情報交換や意見交換などから、雑談まで、お話ししたいことがあったらどんどんお越しください! 検索 @tisyaki 最新記事 【戦争遺跡】津堅島の戦跡 (03/14) 【戦争遺跡】高島の海軍戦争遺跡 (03/12) 【戦争遺跡一覧】全国・全世界の今までに探索した戦跡一覧! (03/11) 【産業遺産】若松鉱山 (04/28) 【不思議系廃墟】『華麗なる一族』への追憶 (10/14) カテゴリ
大分県の玖珠郡(くすぐん)には、戦争に関する史跡は、ほとんどないと思っていましたが、玖珠町の豊後森駅と、九重町の千町無田(せんちょうむた)という場所に残っていることがわかりました。今回ご紹介する史跡は『九州遺産 近現代遺産編101(文・写真 砂田光紀)』P.70-71に掲載されている『豊後森機関庫』です。 2022年の初日をあびる機関庫外周部 場所:大分県玖珠郡玖珠町帆足 座標値:33.281105,131.158563 厳密にいうと豊後森機関庫は”戦争史跡”ではないと思うのですが、戦時中に米軍の攻撃を受けた痕があるということで、戦争に関する史跡としてご紹介します。 豊後森機関庫は、転車台*1を中心にして、扇形に機関車を格納する形となっています。この形態の機関庫を「ラウンドハウス(扇形庫(せんけいこ))」といいます。扇形庫は、九州では唯一ここ玖珠(くす)に残されています。 北九州市若松区の
豊後森機関庫(ぶんごもりきかんこ)は、大分県玖珠郡玖珠町の国鉄(現JR九州)久大本線豊後森駅の東側にあった機関庫である。 2009年(平成21年)2月6日に機関庫及び転車台が「旧豊後森機関区の関連遺産」として近代化産業遺産に認定され、2012年(平成24年)8月13日に機関庫及び転車台がそれぞれ「旧豊後森機関庫」及び「旧豊後森機関庫転車台」として国の登録有形文化財に登録された。 大分県玖珠郡玖珠町の豊後森駅の東側に、1934年(昭和9年)の久大線全線開通とともに完成。同時に、豊後森機関区も発足した。鉄筋コンクリート造で1,785m2の面積を有し、最盛時には蒸気機関車21台が所属する大規模な扇形機関庫であった。 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)8月4日には、米軍機の機銃掃射によって助役1名と職員2名が死亡する被害を受け、機関庫の壁面にはその際の弾痕が残り、豊後森機関庫ミュージアムでは付
会員たちの草刈り作業。後方は旧豊後森機関庫。屋上は今年度、防水工事が施される=大分県玖珠町 大分県玖珠町は今年度、約3千万円をかけて町内のJR豊後森駅そばの旧豊後森機関庫の屋上コンクリートや樋(とい)の防水工事をする。同機関庫活用推進協議会(穴井裕康会長、163人)が4月30日、現地で行った約50人の草刈りに参加した朝倉浩平町長が明らかにした。 機関庫は、蒸気機関車を方向転換する転車台から12組のレールが放射線状に延びており、扇形建物。1934(昭和9)年11月に落成し、同線にディーゼル車が導入された70年9月、役目を終えた。町が2006年、機関庫を含む広さ約1万2千平方メートルを買い取り、09年2月に機関庫と転車台が経済産業省の近代化産業遺産に認定された。 協議会は機関庫を地域活性化につなげようと一昨年11月に結成。草刈りなどを続ける一方、町に屋上の雨漏り対策などを要請していた。そ
玖珠町のJR久大線豊後森駅東側にあり、劣化が進んでいる「旧豊後森機関庫」で15日、保存委員会など計9団体が協力し、補修方法や費用などを探る現地調査が行われた。所有者の町に対して補修工事を促し、さらに11年度からの第5次町総合計画に盛り込む「豊後森鉄道記念公園」(仮称)実現に向け、弾みがつきそうだ。 01年から保存運動を展開している民間組織の保存委員会(河野博文会長)、県玖珠土木事務所、建築士会、防水工事業協組、外壁補修工事業協組など約50人が参加。高所作業車2台を使って外壁、内壁、天井の劣化状況や屋上の防水状況などを徹底調査した。 河野委員長は「やっとここまできた、というのが実感。町に調査報告書や維持改修計画書を提出し、2~3年以内に補修工事を訴えたい」と感慨深げ。 旧機関庫は転車台を軸に扇形に広がる鉄筋コンクリート造り(1785平方メートル)。1934(昭和9)の久大線全線開通と同時に完
(cf.バックナンバー→その558:観海寺温泉ホテルキャッスル【鶏肉大分1/8】 - 廃墟ガールの廃ログ、その559:リフト&ロープウェイ【鶏肉大分2/8】 - 廃墟ガールの廃ログ、その560:テニスコート【鶏肉大分6/8】 - 廃墟ガールの廃ログ、その561:沈堕発電所【鶏肉大分5/8】 - 廃墟ガールの廃ログ、その562:【昭和レトロ1/2】旅館とみた【鶏肉大分4/8】 - 廃墟ガールの廃ログ、その563:会館跡【鶏肉大分7/8】 - 廃墟ガールの廃ログ) 副音声はほどほどに。悪天候と予報されていた今年のゴールデンウィーク、そこまで雨に降られずに過ごすことができました。しかしこのときは雨。 まあるく円になった機関庫跡です。沈墜発電所しかり、かなりのスケール! 消失点が例のアレの写真。 機関車の方向転換する機構がかっくいいです。 上と下、それぞれわたしと同行者さんとで撮った同じアングル。
今年2月に国の近代化産業遺産に指定された玖珠町帆足の旧国鉄「豊後森機関庫」と「転車台」で15日、施設の保存・整備計画策定に向けた現地調査があった。 調査は県玖珠土木事務所、地元住民らでつくる「豊後森機関庫保存委員会」が実施。委員会の7団体から建築士や防水の専門家50人が柱や鉄筋、屋根の破損状況などをチェックした。調査に当たった建築士事務所協会玖珠支部の尾方秀則支部長は「造りもしっかりしていて、コンクリートの変質もなかった」と保存と活用に向け、太鼓判を押した。 同機関庫は久大線が全線開通した1934年から蒸気機関車(SL)が廃止された71年まで、機関車の車庫、方向転換施設として使われた。現在も扇形の原型を残しているが、ガラスが割れ、一部の柱から鉄筋が露出するなど老朽化も進んでいる。2006年に町が機関庫と周辺の土地1万2000平方メートルをJR九州から買い取った。 現在、公園として整備した上
近代化産業遺産 豊後森機関庫 保存、活用策 官民にズレ 2009年11月20日 09:34 カテゴリー:九州 > 大分 旧国鉄豊後森機関庫(玖珠町帆足)の保存、活用をめぐり玖珠町と町民の意見が分かれている。町民側は26日に「豊後森機関庫活用推進協議会」を発足させ、傷みの激しい機関庫の一刻も早い改修などを議論する。一方、機関庫を所有する玖珠町側は、長期計画による整備を視野に早期改修には消極的だ。今年2月、国の近代化産業遺産指定に伴い、観光資源として期待を集める機関庫にまつわる地元の動きを追った。■町民側・早期改修へ26日推進協 玖珠町・長期計画を視野に慎重コンクリートの破損状況などを調べる調査実行委のメンバー 機関庫を町づくりに生かそうとの町民の思いは強い。2000年ごろ「JR九州が解体処分するかもしれない」との話がきっかけとなり、町民主体の保存運動が盛り上がった。翌年11月には豊後森機関
豊後森機関庫は、大分県玖珠郡玖珠町 JR豊後森駅構内にある機関庫。 いわゆる蒸気機関車の車庫で、立体駐車場のようなSL用ターンテーブルが併設している。
豊後森機関庫の周辺は「豊後森機関庫ミュージアム」として整備され、2015(平成27)年11月にオープンしました。ただし、本稿はそれ以前の執筆であり情報が古いことを予めご了承ください。 珍しい扇形機関庫の遺構 大分県玖珠(くす)町の豊後森(ぶんごもり)駅は、久留米駅(福岡県)と大分駅をむすぶ久大本線の駅です。その構内に今では珍しい扇形の機関庫(扇形庫)が廃墟状態で残っています。 電気・ディーゼル機関車と異なり、前後の区別がある蒸気機関車は方向転換に転車台という設備を必要とします。機関車を収容する機関庫を転車台を中心に扇形にすれば効率的なので、蒸気機関車の時代には各地に扇形庫が建設されました。 蒸気機関車の廃止後は扇形庫も次第に解体され、国内にはもはや数カ所しか残っていません。また、現存する扇形庫はだいたい現役で使われており、豊後森機関庫のように廃墟のまま解体されずに残っているのはかなり珍しい
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