坂爪真吾 一般社団法人ホワイトハンズ代表 @whitehands_jp 新しい「性の公共」をつくるために活動している一般社団法人ホワイトハンズの代表です。 新刊『「許せない」がやめられない』(徳間書店)発売中 連絡先:info@white-hands.jp white-hands.jp
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ソフィアンズコンテスト(以下ソフィコン)に関する先の声明文には、 「現状のミス・ミスターコンが孕む外見主義的な判断基準という問題や、『ミス=女らしさ』『ミスター=男らしさ』という性の画一的な価値観の押し付けを助長するようなコンテスト名からしても、LGBTQや多様性という観点で批判を受けることは然るべきことであり」 とあります。 この声明からは、ルッキズム(「外見主義」)、「女らしさ/男らしさ」という「性の画一的な価値観の押し付け」、「LGBTQや多様性という観点」という3つの論点を、運営側が意識していることがわかります。 ミス/ミスターの枠をなくすという今回の制度改革は、ジェンダー論の観点からどのように捉えることができるのでしょうか。ここでは、上記の3つの論点をめぐって考えていこうと思います。 ルッキズムとは何か ミスコンが批判される際、最も頻繁に用いられる言葉の一つに「ルッキズム(外見主
Getty Imagesより 隣国・韓国ではBLACK PINK、MAMAMOOをはじめ「ガールクラッシュ」という男性目線の“女性らしさ”から逸脱した力強い女性グループのムーブメントが起こっていますが、多くはいまだ「偶像化・客体化された」アイドル像が残っています。ファンとしても、彼女たちを応援したい一方で、葛藤を抱える場面に出くわすことも。 これは、これからのアイドル文化を心地よく受容するために、フェミニズムの言葉や解釈を借りて、どのように推しを応援していけばよいのか、アイドルにとってどんな考えが味方になるのか、アイドル・フェミニズムの可能性を考える企画です。 お話を聞くのは、武蔵大学非常勤講師の高橋幸(たかはし・ゆき)さん。現代の「ポストフェミニズム」を専門に研究されています。 「アイドルとフェミニズムは矛盾しない」と、高橋さん。アイドルやファンに大切な気づきを教えてくださいました。 後
『東京ラブストーリー』(1991年)、『ロングバケーション』(1996年)、『やまとなでしこ』(2000年)……かつては年代ごとに、みんなが夢中になった恋愛ドラマがありました。そこには、そのときどきの恋愛観はもちろん、当時の世相や時代背景、そして女性が置かれた社会的状況も色濃く反映されています。 あのとき、私たちはどんな時代を生きていたのか。私たちは恋愛や結婚に何を求め、その理想像はどう変化してきたのか。ここでは、懐かしの恋愛コンテンツを振り返りながら日本人の恋愛観の移り変わりを読み解き、“令和の恋愛・結婚”のあり方を考えるヒントにしたいと思います。 お話を伺うのは、ポストフェミニズム研究が専門で、当時の大衆文化やポップカルチャーを題材に「ジェンダー平等な恋愛とは何か」を分析・研究されている高橋幸先生。私たちがあの頃、何を考えて恋していたのか、一緒に思い出の扉を開いていきましょう。(聞き手
恋愛が共通言語ではなくなっていく2010年代 ――さて、いよいよ2010年代ですが、この時期になると視聴者の興味・関心が細分化してテレビ全体の影響力が下がったこともあり、時代を代表するような恋愛ドラマを挙げるのが難しくなっていきます。そんな中、印象的だったのは『モテキ』(2010年)でしょうか。 30歳を目前に控え、ほとんど恋愛経験のないセカンド童貞の藤本幸世(森山未來)に、ある日突然“モテ期”が訪れますが、自分に自信がなく「どうせ俺なんか……」と自己完結するクセのせいで、かえって女性を遠ざけたり傷付けたりしてしまう、という話です。誰とも正式な交際に至らず、恋愛以前の自意識の問題を解決するのに全話を費やすというのが、これまでになかったドラマという印象を受けました。 高橋 草食系男子が「市民権」を得るようになったほか、LGBTQに対する認知度も徐々に高まっていくのが2010年代。これまで当た
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