タグ

文学に関するquasimoto_sanのブックマーク (3)

  • 河出書房新社 — 町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)

    伊藤比呂美/福永武彦/町田康訳『日霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』(池澤夏樹=個人編集 日文学全集)収録 これも前の話だが、右の頬に大きな瘤のあるお爺さんがいた。その大きさは大型の蜜柑ほどもあって見た目が非常に気色悪く、がために迫害・差別されて就職もできなかったので、人のいない山中で薪を採り、これを売りさばくことによってかろうじて生計を立てていた。 その日もお爺さんはいつものように山に入って薪を採っていた。いい感じで薪を採って、さあ、そろそろ帰ろうかな。でも、あと、六くらい採ろうかな、など思ううちに雨が降ってきた。ああ、雨か。視界の悪い雨の山道を歩いて、ひょっ、と滑って谷底に転落とかしたら厭だから、ちょっと小やみになってから帰ろうかな、と暫く待ったのだけれども、風雨はどんどん激しくなっていって、帰るに帰れなくなってしまった。 そこでやむなく山中で夜を明かすことにして、広場のよ

    河出書房新社 — 町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)
  • なぜ私小説は勝利したか?-3分でわかる身も蓋もない近代日本文学史

    信じられない話ですが、日では一時期、文学といえば私小説のことでした。 笑い事ではなく、その災禍はいまも希薄化しながら続いているとも言えます。 たとえば作家を〈自由業〉だと考える習慣は、この希薄化した災禍の一部です。 私小説に反対した後続の作家たちの作品も、読者にはほとんど私小説であるかのように、その生活の反映であるかのように読まれました。 では何故、私小説はそんなにも成功を収めたのでしょうか? それを知るには、日の近代文学の歴史を簡単におさらいする必要があります。 1.戯作者上がりの新聞記者 江戸時代を通じて、執筆専業でえたのは滝沢馬琴ひとりでした。 幕末~明治初期にかけて活躍した仮名垣魯文も、戯作者の兼業としては伝統的な売薬を営み、維新後は商品広告である「引札」の執筆で禄をはんでいました。 やがて日でも新聞という新しいメディアがはじまり、その会社員となり定収を得ることで魯文ははじ

    なぜ私小説は勝利したか?-3分でわかる身も蓋もない近代日本文学史
  • 【ラノベ】作家を馬鹿にしているガキどもちょっと来い【文学史】 : BIPブログ

    スレ建て自粛しようかと思っていたが、別スレを見て感化されたので建てる。 https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1395877204/l50 このスレの目的は大きく2つだ。 【その1】ライトノベルが純文学の系譜に属すること。 【その2】だがそもそも純文学がオワコンであること。 以上を物的証拠で示す。 最近、「ライトノベル小説ではない」という意味不明の論調が目立つが、それは大いなる誤解だ。 なお、オワコンという言葉は死語なので使いたくないのだが、他にちょうどいい煽り文句がないので使わせてもらうとする。 これからお前らの認識を変える。 レスがなくても淡々と書いていくことにする。

    【ラノベ】作家を馬鹿にしているガキどもちょっと来い【文学史】 : BIPブログ
  • 1