「若狭ルートが戦前に構想され、特許申請まで至っていたというのは興味深い」と話す的場茂専門員=大阪府公文書館 北陸新幹線敦賀以西ルート案として40年余り議論されてきた「若狭(小浜)ルート」の最短ルート案をたどり、若狭湾と大阪駅周辺を結ぶ鉄道の構想が80年以上前にあったことが大阪府公文書館に残されていた路線の特許申請書の調査で分かった。鉄道名は「日満急行電鉄」で、日本と満州国を結ぶことを視野に入れた壮大な構想。開通に向けた申請が1933(昭和8)年に提出されたが、計画の実現性が疑わしいことなどを理由に却下され“戦前の若狭ルート”は幻に終わっていた。 同館の的場茂専門員(66)=奈良市=が今年8月から関係書類を調べていた。申請書の名称は「日滿急行電鐵敷設並ニ運輸榮業特許申請書」。大阪府内の事業者から府に提出され、昭和8年10月1日の受付印が押されている。 申請は、大阪―本郷村(現在の福井県おおい
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