すいようび👻 @smokinbilly3 犬を亡くして10年経つけど今でも私は『犬が死んだ後の人生』の中にいる これからもずっと、犬の不在を思うたびに、逆にそれが彼がいたことの証明だと思って生きる 犬を亡くしてから初めて散歩ルートを歩いた時、空の広さに驚いた ずっと犬ばっかり見て歩いてたから もう会えないけどずっと愛してる x.com/riko_murai/sta… 2024-06-06 15:23:15
![犬を亡くし10年経つが今でも私は『犬が死んだ後の人生』の中にいる。犬の不在を思うたび、逆にそれがいたことの証明だと思って生きる](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bab0709eeb8aa73ea638a43f1a9ca4e754c92650/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fff8778adb1af3a6107885669d86b5494-1200x630.png)
昨年末、チャンピオンソフト(アリスソフト)の創業者である白木善喜氏がこの世を去りましたご冥福をお祈りいたします。 白木善喜氏の経歴 43歳の時にチャンピオンソフトを設立 当時、一部上場の大手企業で将来を約束されていた身だったのだが パソコンゲームの将来性にかけて企業 64歳、社長を引退する とんでもない苦労を重ねて会社を起動に乗せた後 当時の若者(私たち)に裁量と権限を譲り渡し身を引かれる 84歳、死去 引退後は個人の資産範囲で支援事業とかされていました そして周囲に迷惑かける事なく静かに逝かれました 人生、どこかで大きなチャレンジが必要ですが多くの人は失う事が恐ろしくて尻込みします 白木さんは、そのチャレンジ(起業)をされて見事成し遂げ、さらに引き際も完璧という素晴らしい生涯だったと思います 私にとっては恩師と呼べる方でした白木さんに出会い、導いてもらって今の私があります 叱ってもらった
JASRAC許諾第9009285055Y45038号 JASRAC許諾第9009285050Y45038号 JASRAC許諾第9009285049Y43128号 許諾番号 ID000002929 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。
新入生の皆さん、そしてご家族、ご親族の皆さま、おめでとうございます。 私自身も東大の卒業生ですので、入学時の受験戦争からの解放感、新しい学生生活を始めるわくわく感は、今もよく覚えています。 長い受験勉強が終わって、ついに自由。たくさん遊んで、恋人作って、ガンガンやっていいと思います。 同時に、大学の4年間は、「自分で創り、自分で切り拓く、自分の人生」のスタート地点です。そしてこれからの皆さんの人生の中で、一番自由に、自分の器を広げ、自分の夢を探して突き進める時期でもあります。 私は東大卒業後、発展途上国を日本の立場から支援する国際協力機構JICA、民間の経営コンサルティング会社のマッキンゼーの日本オフィスと南アフリカオフィス、世界銀行、それからビル・ゲイツがマイクロソフトを辞めて、途上国の保健医療の問題を解決するために作ったゲイツ財団で、世界の貧困や感染症に立ち向かう仕事をやってきました。
昨日、ウチの飼い犬(柴犬)が息を引き取りました(下の写真は9歳くらいのときのもの)。 ……と、まあ一言で言ってしまえばそれだけの話なんですが、彼(オスです)の存在はこのブログにとっても印象深い存在だったので、ちょっとだけ語らせてください。 彼を飼い始めたのは18年前(2005年)の6月ころだったと思いますが、これってこのブログを開設して3ヶ月目くらいのことでした。これは偶然というわけでもなくって、このブログを開設したきっかけともちょっとリンクしていたりもします。とはいえ、ブログを開設した理由自体は、空き時間が結構あるから暇つぶしに……というものだったりするんですが。 なんで空き時間があったかといえば、その頃の私が無職だったからというのがあるんですが、なんで無職だったかといえば当時勤めていた仕事を辞めたからです(当たり前っちゃ当たり前)。その頃私は東京で働いていたんですが、父親が患っていたガ
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。 そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。 経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。 私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。 元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。 学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。 私には、生きるのに理由が必要だった。 趣味でも、仕事でも、誰か大事な
20年勤めていた中華麺・餃子の皮を製造する製麺会社を辞めました……一年前に! 退職エントリのお約束といえばnoteですけど、この話は一番に、いつもかーずSPを見ていただいている皆さんにお伝えしたかったので、こちらに書きます。 ■辞めた理由 40歳を過ぎた頃から、何年間もずっと考えていたことがあります。80まで生きるとしても、残りは半分以下。健康寿命はもっと短いでしょう。 もっというと、歳を取るごとに時間が早く感じるジャネーの法則により、体感での寿命は、良くて残り1/3ほど。 毎日一回は「余命カウントダウンタイマー」を確認して「メメント・モリ」とつぶやく日々。 なので残りの人生は、好きなオタクコンテンツだけに関わって死にたい。それが人生の舵を切った理由です。 ■30代の時に決めた人生の目標 30代半ばに腹をくくった、人生の大目標がありまして、 一つでも多くのアニメ、マンガ、ゲーム、小説、映画
ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは1996年から東京大学駒場キャンパスでゼミを開講し、多くの教え子を各界に送り出してきました。その後、「立花ゼミ」は形を変えながら続けられましたが、2010年3月には立花さんが東京大学を退官。それから3ヶ月後の6月26日、立花さんは“最後のゼミ生”に向けて、実に6時間にも及ぶ最終講義を行っていました。 当時70歳だった立花さんが、次の世代に向けて残したメッセージとは――。講義の内容を収めた『二十歳の君へ』(文藝春秋)より、その一部を抜粋して紹介します。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ 知の巨人、振り返る 『二十歳の君へ』は、もともと駒場祭の企画の延長として生まれたものですが、駒場祭のころはこの発想それ自体に、僕自身そんなに深くコミットしていたわけではありませんでした。二十歳前後の君たちへ何かを話した
こんにちは。ヨッピーです(写真右)。 「沼メディア」こと「ソレドコ」のお時間です。 「ソレドコ」では自転車沼に筋肉沼に旅行沼など、沼、つまりは趣味にハマった人々をご紹介して来ましたが、本日ご紹介したいのがこちらの方です! じゃん! 元アナウンサーの鈴木史朗さんやー! 鈴木史朗……1938年京都府出身の現82歳。早稲田大学に在学中は放送研究部に所属。その後TBSに入社、アナウンス室に。土曜日夜のニュースや「JNNニュースの森」「さんまのスーパーからくりTV」などで活躍。定年退職後はフリーのアナウンサーに。「バイオハザード4」に収録されている「THE MERCENARIES(ザ・マーセナリーズ)」のスコアアタックで驚異的な記録を持つなどゲーマーとしても知られる。 今回は鈴木さんの趣味の1つ「バイオハザード」についてインタビューしたわけですが、バイオ沼の先にはさらに深過ぎる鈴木さんの人生沼が待っ
どんな夫婦にも、やがて離別の日はやってくるもの。球界屈指の愛妻家だったこの人も、その現実に直面した一人だ。妻の一周忌を目の前に、いま何を思い、どう生きているのか。ありのままを語る。 何もできない男が独り 妻・沙知代が虚血性心不全で倒れ、85歳でこの世を去ってから、早いものでもうすぐ1年になる。 だだっ広い家で独り過ごしていると、ふとした瞬間に、あの日のことを思い出す。 忘れもしない昨年の12月8日、寒い日だった。 「大変です。奥様の様子が……」 昼過ぎにリビングでテレビを見ていたら、お手伝いさんが飛んできた。慌ててダイニングに行くと、食事中の彼女が、座ったまま頭をテーブルにつけている。 「どうした?」と聞いて背中をさすってやると、一言、「大丈夫よ」と言ったきり動かない。彼女はどんなときも前向きで弱音を一切吐かない人だったけれど、まさかあれが最期の言葉になるとは思わなかった。 慌てて119番
noteで「緩やかな始まりの終わり」という漫画を不定期で連載しているのですが、三話で更新が止まっています。 更新を待ってくれている方々申し訳ありません。 三話分を一挙掲載いたします。 そして漫画の後更新が止まっている言い訳がましさを時間がある方だけ読んでいただけたら幸いです。 描けないのである。 続きが・・・・。 この漫画を描いていると昔を思い出し、どうしようもない気持ちと共に、これまでに感じた事のない自己嫌悪に陥り涙が止まらなくなってしまいます。 Twitterの漫画もなるべく祖母のことを描かないようにしています。 かわりに思考が停止してしまうような、くだらん漫画ばかり描いています。 これは防衛本能なのでしょうか。 祖母が亡くなり、もう何年も月日が経とうとしているにも関わらず未だ気持ちの整理が全くついていない状況で過去に囚われまくっています。 大切な人を亡くした時、一体どうやって立ち直れ
いつかは別れがやってくることはわかっていたけど、ばあちゃんが死んだ。年明けに具合が悪くなって「一週間ばかり」のつもりで入院したら、末期の肝硬変であることがわかり、入院して3週間で亡くなった。91歳になったばかりだった。 自分にとってばあちゃんは特別な存在だった。親が共働きだったので保育園の迎えにはばあちゃんが来てくれていたし、夏休み冬休み春休みはばあちゃんと過ごす時間が長かった。中学生くらいまでばあちゃんの部屋に布団を敷いて寝てた。 大学を出て病気になり、治療のために実家に帰ってきてからは、ばあちゃんととにかくよく出かけた。竹田の岡城跡の桜、知覧の特攻記念館、久住の紅葉などなど、後期高齢者をいろんなところに連れて回った。ばあちゃんは親と友達の中間のような存在だった。 Flickr にはばあちゃんの写真がいっぱい上がっている。 入院後は休みの度に看病をしに帰省した。写真を見せてやろうと、これ
おじさんになると、自分が社会人だから、社会人を主体とした話をしがちになる。社会に出てからが人生の本番であって学生時代はその準備期間にすぎないとでも言いたげになる。学生時代にそんなふうだと社会に出てから苦労する〜みたいな論調になる。 そういうロジックの人は、幼稚園児には小学校が本番だっていうし、小学生には中学校で勉強に遅れるぞみたいにいうし、高校では大学受験を正当化するためにいろんな不合理を押し付けると思う。 東大に入るのを人生のゴールにしないで、そこで何をしたいかを目標にしろみたいにも言いがちだと思う。 東大に入るのが夢でも問題ないとおもう、その先に何をするのかを目標にしろつっても、早かれ遅かれ目標達成したら次の目標立てなきゃならんだけだし、人生は連続していていつか死ぬ— Issei Naruta (@mirakui) August 19, 2011 東大、行ったことないけど、東大に入るの
他の記事にもチラッと書いたのですが、父親の容態が芳しくなかったのでなかなかゲームをする気になりませんでした(これを書いている3月1日時点では回復傾向にあるのでひとまず安心しています。御心配してくださった方々、どうもありがとうございます)。 ちょうど『ファイアーエムブレム 紋章の謎』のノーリセットプレイを再開していたところでしたが、とてもじゃないけどこういうゲームはする気になれないと再び放置していました。 ゲームって「問題」をわざわざ抱え込むものだと思うんですよ。 『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』は、「お姫様がさらわれたので助けに行かなければならない」とか「世界を滅ぼそうとしている魔王を倒さなければならない」とか。 『脳トレ』や『Wii Fit』は、「脳を鍛えなければならない」とか「下半身から鍛えなければならない」とか。 『どうぶつの森』だって「バリバリ働いて借金を返せだな
金子勇さんが亡くなられた。 アクセスアップの便乗のような形で書くのは本意ではないので、少し時間が経った今、この記事を投稿する。 金子勇さんについて書こうと思っても、俺は直接面識が無いのであまり存じ上げない。 彼のWebサイトに辿り着き、 http://homepage1.nifty.com/kaneko/index.htm そこで当時珍しかったAnimeBodyという作品を見て驚いた、という程度しか記憶にない。 http://homepage1.nifty.com/kaneko/anibody.htm AnimeBodyも含め、彼の書き込みや作品を見て、漠然とこんな事を思っていた程度だ。 こういうプログラマーが本当の天才なのだろう。 俺は凡才の中ではよく出来る程度なのだろう。 1の死 金子さんの死というものは、日本のIT業界において途方も無く大きいものだと思う。 もう俺もITというかSE業
家の苗字と猫の名前と電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。 契約内容は、こんな感じ。 わたしたち家族は、猫に対し適切な居住空間とご飯と愛情を提供すること。期限は、神様の定める時間まで。 猫は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。 昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。 そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。 寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。 そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど 立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。 そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期に もう
猫が死にました。 あっけなく短い期間で見る間に衰えていき死にました。 去年の夏、うちの猫たちは夏やせをしました。 ダイエット目的の餌から腎臓ケアのカリカリに変えて太っていたので、痩せてちょうどよかったのだと思いました。 でも、獣医さんに痩せすぎだと言われたので、色んなキャットフードを試して、猫達の体重を増やしました。 だから、その子のお腹が丸くなっていくのはいいことだと思っていたんです。 でも、その丸みが異常に思えて来ました。あまりに張りが強いのです。 太っているにしても何かおかしい。 いや、でも、元気だ。家に帰ると真っ先に迎えに出てくる。ご飯も普段の量食べている。病気な風ではなかっただった。 ほんの一ヶ月前にやった血液検査も正常の範囲内だった。 でも、おかしい。 病院に連れて行きました。 レントゲンを撮りました。 腹水が貯まっていました。 1キロもの腹水が抽出されました。 その時になって
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く