「最下位だから」ではない理由 現在ネット上に最も多いのは、ジャニーズ事務所の関連記事で間違いないだろう。 それに次いで目立つのが、NPB・中日ドラゴンズの関連記事。単に数が多いだけでなく、複数のウェブメディアがさまざまな角度から記事をアップし、ランキング上位となるケースが珍しくない。 さらに特筆すべきは、「令和の米騒動」「脱浪の乱」「晒し投げ」「バンテリン人脈」「延命工作」「清原入閣」などと、イジるような見出しの記事が競うようにアップされていること。「ドラゴンズがネットのおもちゃにされている」という声も挙がっているが、なぜ全12球団の1つでしかないはずのドラゴンズにこのような状況が起きているのか。 その背景には単に「最下位だから」でない理由がある。
【球界平成裏面史(17):中日・落合舌禍事件(1)】長野県下伊那郡・昼神温泉。この地を舞台に発生したのが“落合舌禍事件”だった。時は平成になって間もない1989年1月17日。中日・落合博満内野手の自主トレ初日に、事は起きた。 トレーニング終了後、報道陣に対してまず落合は「自主トレは一人の方が楽。これが合同自主トレだったら、最初から散歩なんてできないだろう。絶対、走らなければならないもんな。要するに昔(ロッテ時代)に戻ったってことだ。オレ流? まぁ、そういえるでしょうね」と今回の単独自主トレの意義を説明。中日移籍3年目のシーズンに向けて“オレ流”全開を宣言した形でもあった。 その流れで飛び出したのが、次からの発言だ。「(ベスト体重より)1キロオーバーについて罰金10万円なんだって…。なんでかね。球団社長が罰金取るならわかるけど、取るのはトレーニングコーチでしょ。体重計に俺は乗らないよ」。さら
野球評論家の落合博満氏(64)が、スポーツ界の暴力やパワハラ問題について言及した。 自身の中日監督時代も振り返り、「暴力を一掃するまで5年かかった」と内情を明かした。 落合氏は2日放送のNHK「サンデースポーツ」に生出演。このところスポーツ界で取り沙汰されている暴力やパワハラの問題について意見を問われると、中日の監督時代に指導者として暴力は許さない立場を取っていた落合氏は「2003年の秋に監督に就任したときに、全員を集めて『何があっても、暴力をふるった時点でユニホームを脱がせるからな』ということを確認事項とした」と言明。「監督だろうが、選手だろうが、コーチだろうが、球団スタッフだろうが、そういう者が出てきた時点で一発でアウト」と伝えたことを明かした。 そうした厳しいやり方をとった上で、チーム内から暴力が一掃されるまでどのくらいの時間がかかったかを問われると、落合氏は「丸5年かかりました。こ
落合監督は中日での8年間、Aクラスから落ちたことが一度もなかった。リーグ優勝は実に4度。名将と呼んでいいだろう。その落合監督の横には常にひとりの男が立っていた。彼こそが名将の「参謀」である。 チームの情報を漏らせばクビ 落合監督はコーチに対して、いつも相当な努力を求めてきた。コーチ同士でも一軍担当か二軍担当か競争をさせる。チームはそういう緊張感にあふれていた。 たとえば、 「内角球のインパクトのポイントを後ろにするために、内角球をバットの芯でライトに運ぶ練習をしておけ!」 といったメニューの指示が、監督から私に出たとしよう。 当然、監督の話はバッティングコーチに伝えてそのコーチが選手と練習をするのだが、ときどき監督が見に来て、その打者の練習について注文がつく。 「あれで、メニューこなしたのか?練習やっているのか?」 もちろん監督はいつも打撃練習に付きっきりではなく、打者も基本的にコーチに任
トップ > 中日スポーツ > ドラゴンズ > ドラニュース一覧 > 12月の記事一覧 > 記事 【ドラニュース】 井端、テレ朝・河野アナと結婚 きょう婚姻届 2008年12月22日 紙面から 中日の井端弘和内野手(33)とテレビ朝日の河野明子アナウンサー(30)が結婚することが21日、明らかになった。22日に婚姻届を提出し、公表する。日本屈指の名手と全国ネットの局アナとのビッグカップルの誕生だ。 井端のハートを射止め、井端がハートを射抜いたのは、テレ朝・河野明子アナウンサーだった。報道ステーションの総合キャスターを務める“夜10時の顔”にして、放送業界屈指のスポーツ通としても知られている。 高校まではバスケットボール、大学ではラクロス部に所属。とくにラクロスは日本代表メンバーとしてワールドカップ(W杯)への出場経験もあるほどの実力派だ。プレーするだけでなく、スポーツ観戦も玄人は
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