なげなわぐも観察日記
下着ドロ(北海道) 2007/04/23(月) 10:21:35.60 ID:MS7IbfdC0 殴りに行こうかー 6 カエルの歌が♪(コネチカット州) 2007/04/23(月) 10:24:01.93 ID:LHH+mV8CO アッーアッーアッー! アッーアッーアッーアッー! 7 ソムリエ(樺太) 2007/04/23(月) 10:24:31.63 ID:7OEbAF8aO これはwwwwwwwww 9 私立探偵(ネブラスカ州) 2007/04/23(月) 10:26:01.65 ID:WFioWD56O 不覚にもワラタwwww 10 ほうとう屋(樺太) 2007/04/23(月) 10:26:09.62 ID:if0629giO これはwwwwwwwww 11 40歳無職(樺太) 2007/04/23(月) 10:26:32.03 ID:xuKUUzXdO ちょwwwwwwwwwww
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前回ご紹介した「P2Pとかその辺のお話し」というブログ経由で、A Jazz Anthology:Public Domainというサイトを知りました。パブリックドメインとなったジャズの楽曲を無料で視聴できるサイトです。昔の録音であっても、ジャズの場合は歴史的価値だけではなく充分に鑑賞に堪える演奏が多いので喜ばしいことであります。ただ、逐一、確認してるヒマはないのですが本当にパブリックドメインなの?と気になるトラックがあるのは確かです。録音が古くても、作曲者が長生きであれば著作権は存続してますので。 実は趣味関係でネットで自分の演奏を公開する時のために、ジャズのスタンダード曲の中で何がパブリックドメインなのかを調べたことがあります。まず、ジョージ・ガーシュインは1937年没なので、日本ではだいぶ前からガーシュインの曲はパブリックドメインとなっています。TV CMでガーシュインの曲(S' Won
左翼が平等主義で、右翼が格差を容認する方向にあるというのは、大方の意見が一致するところだろう。 ところで、「平等」と言っても、完全な平等などというものは現実にはありえない。単純に考えて、ご飯お茶碗一杯で満足できる人と、どんぶり一杯食べなければ空腹を満たせない人がいたとして、どちらも同じ給料を貰っていたとしたら、後者は他の消費に回せるお金が前者よりも少なくなってしまう。だからといって、後者に余分に給料を与えることは、それはそれで同じだけ働いたのに給料に格差がつくということだし、それじゃあということで、後者は茶碗一杯で満腹になるようにすればいいというのも、生まれつきということもあるし、元々前者はそんな我慢をする必要がないのだから不平等。だから、一口に平等を目指すと言っても、何を最優先にするかを選択しなければならない。 完全な平等がありえない以上、万人が納得できる平等は不可能。それでも、人種差別
ここんとこ硬い話題を硬い文体で書いてばかりいたので、いきなりだけどカジュアルに戻ります。takisawa(瀧澤)さんとterracaoさんのお題にお答えしていこうと思う。お二方とも、私から見てだけど、元の話とは別にすごく大事なこと言わんとされていると思うから。で、本稿はまず、メガネのおじさん(フーコーおじさん)ことterracaoさんのお題から。 http://d.hatena.ne.jp/terracao/20070421/1177181170 ↑これですけど、「サバイバーズギルト」って言葉は初めて知りました。「生き残ってしまった罪悪感」「助けられなかった自責感」のことですよね。この点については恵まれない人を見殺しにすると言うけれど - Backlash to 1984で私も触れました。殺人が話題になっているので殺人事件の場合で書いたわけです。そしてこれは、殺人事件以外の人災や天災にも広
J-CAST ニュース : ミクシィ飲酒運転告白 「冗談」でも勤務先解雇 解雇は行き過ぎ、という感想が目立つのはわかるけど、4月に採用されたばかりとのことだから、まだ仮採用期間だろうと思う。私の同期でも一人、本採用されなかった人がいる。まじめで有能だったが、健康に問題があったのだという。「冷たいな」と、そのときは思った。 入社2年目か3年目の出来事だったと思うけど、数年間の休職から復帰した人がいた。入社1年目に大リストラがあったが、希望退職を募るという方法だったから、退職を希望しなかったその人は会社に残ることができたわけだ。いったん本採用した人は、簡単には解雇できない。会社もたいへんだな、と思った。 いま、うちの職場の派遣さんが病気を抱えていて、休みがちになっている。職場全体で配慮して仕事量を減らし、じっと回復を待っている。幹部が一枚岩でこの方針を支えているから、みな派遣さんに優しい。けれ
学生時代も含めると、足掛け5年くらいいたことになる。商業サブカルチャーの発信基地としておなじみの、本と雑貨の店でバイト(結局のところずっとただのバイトだったのだ)していた僕は、貴重な時間をドブに捨てている実感もなく、気が遠くなる程の時間をそこで過ごしていた。 具体的な数字でいうと、僕の時給は600円台前半からスタートし、600円台後半までしかいけなかった。暗黙の了解として、各都道府県の最低賃金に設定されていることになっていたが、明らかにそれを下回っていることは明白だった。幸い、試用期間が終わると600円台半ばになったが、無論それも法律上アウトだった。合法である600円台後半にたどり着くまで3年近くかかり、そこがゴールだった。 単純計算で月200時間働いても額面13・4万という事実が重くのしかかる。そして200時間という労働時間はそこでは甘ちゃんであるということも。確かに、休みが週1日という
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