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ブックマーク / khideaki.hatenadiary.org (8)

  • 歴史の本質を理解するための「よい先入観」 - 数学屋のメガネ

    図書館で小林良彰さんの『複眼の時代』(ソーテック社)というを借りた。これは昭和51年(西暦1976年)に出版されたものだが、今読んでも新鮮さを感じるすごいだと思った。この時代にこれだけのを書いていたのに、板倉さんが小林さんを知ったのは1985年のことだった。ここにかかれている小林さんの主張も、ほぼ板倉さんのものと重なるように思えるのに、板倉さんの目にとまることがなかったのだ。 小林さんの知名度はそのくらいこの当時は低かったのではないかと思う。小林さんは、時代の先を行き過ぎていたのではないかと感じる。この当時に正当な評価を得るには、その主張があまりにラジカルでありすぎたのではないだろうか。そして、今でもそれほど有名になっているようには見えない。小林さんの主張がごく当たり前のようになっているとは思えないのだ。 しかし僕には、小林さんが言うことのほうが当だという確信のようなものを感じる。

    歴史の本質を理解するための「よい先入観」 - 数学屋のメガネ
    rajendra
    rajendra 2007/01/30
    首肯できる。>歴史においてはいくつかのつじつまを合わせることが難しい出来事がある。そのような時、それをどう受け止めるかが歴史観という「先入観」によって決まる。
  • 「よい先入観」とは - 数学屋のメガネ

    仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんに『近現代史の考え方』(仮説社)というがある。この中に「明治維新とフランス革命」という文章がある。ここで主張されているのは、「明治維新とフランス革命とは基的に同一の革命であって、フランス革命は完全だったが明治維新は不完全だなどとはいえない。もし明治維新がブルジョア革命として不完全だというなら、フランス革命もそうだ」というものだ。 板倉さんは、世界史の授業を科学的に考えるにはフランス革命を教えるといいと考えていたそうだ。しかし、フランス革命について「フランス革命の結果、フランスの社会はどう変わったか」ということがはっきりと書いてあるがなかったそうだ。フランス革命は、民主主義へ至る革命として知られているが、恐怖政治をもたらしたり、その後王政復古があったりと、何が革命なのか、何がその成果なのかがわかりにくいというのだ。 それに比べると明治維新は、日の出来

    「よい先入観」とは - 数学屋のメガネ
  • 著作権はどこまで守られるべきなのか - 数学屋のメガネ

    まだブログが主流になる前に楽天では日記形式のホームページサービスをしていた。僕がそれをはじめたのが2002年の1月だった。かれこれ5年程がたっただろうか。その楽天がまだ日記だったころ、自分のページに貼り付けていた画像などについて著作権法違反を指摘して回ることが流行したことがあった。 これに対して僕はずっと違和感を感じていた。確かにディズニーなどの有名な画像をどこかでダウンロードして自分のページに貼り付けるということは、著作権法の違反になるには違いない。だが、当時は個人のページを持つということに関して草創期であり、よく知らなかったために間違えたという人が多かったのではないかと思う。それを、凶悪な犯罪を犯したかのように糾弾して回る姿にとても違和感を感じたものだ。 もともと著作権法というのは、著作権を侵された当人が告発しなければ有効にはならないそうだ。当人に代わって代行する会社もあるそうだが、ま

    著作権はどこまで守られるべきなのか - 数学屋のメガネ
  • ナショナリズムの一般的意味と日本における特殊性 - 数学屋のメガネ

    宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送でナショナリズムについても語っていた。暮れの最後の放送で語っていたのだが、これも「目から鱗が落ちる」という体験をさせてくれるもので、それまで持っていた先入観に揺さぶりをかけて、もっと役に立つ「よい先入観」を与えてくれるものに感じた。 ナショナリズムは一般論として考えれば、それは必ずしも悪いものではなく、むしろ良いものとして受け止められるものだと宮台氏は語る。それはよく考えてみればそのとおりだということが分かる。ナショナリズムは愛国心とつながるものだが、自分が生まれた国というのは自分で選ぶことが出来ない。それは自分の親を自分で選べないのと同じだ。 自分が誰の子供として生まれるかは生まれてみないと分からない。そうであれば、親を愛するというのは、自分を生んでくれたという事実からそのような感情が生まれると理解しなければ、何か他

    ナショナリズムの一般的意味と日本における特殊性 - 数学屋のメガネ
    rajendra
    rajendra 2007/01/23
    "ゆがんだナショナリズムが再び間違った道を歩まないようにこれを正しく批判していかなければならないのだがこの日本の特殊性ゆえにナショナリズムそのものを否定するという行き過ぎた批判の方向へ向かう恐れもある"
  • 歴史観という先入観(価値観を伴った思い込み) - 数学屋のメガネ

    戦争の記憶を語るときに、日政府の見解が中国韓国から批判されることがある。これは、被害を受けた人々の見方は、加害の立場での見方とは違うということを物語っているのだが、その際に「歴史認識」とか「歴史観」という言葉で語られている内容はよく考えると難しいものだと思う。 歴史というのは、もともとが過去の出来事をどう解釈するかということがその内容になる。つまり、解釈という点においてはさまざまな解釈が可能になる。正しい歴史解釈などというものは、究極的にはありえない。だから歴史は物語に過ぎないという理解も出てくるのだが、一方では、それぞれが勝手に思い込んだ歴史ではなく、大多数の人が賛成する客観性の程度の高い歴史解釈もある。 事実を確定することの難しさは、裁判などで物的証拠が見つからないという難しい場面で想像することが出来る。しかし、一方ではそのような難しい裁判はごくわずかで、たいていの裁判は簡単に結論

    歴史観という先入観(価値観を伴った思い込み) - 数学屋のメガネ
    rajendra
    rajendra 2007/01/22
    強く同意する。>われわれはものを考えるときに先入観から逃れることは出来ないといえるだろう。逃れることが出来ないなら、これを自覚的に捉えないと、気づかないうちに間違いに陥る可能性があると思う。
  • ホワイトカラー・エグゼンプションにおける日本固有の問題 - 数学屋のメガネ

    宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは?」ということを語っている。これを聞いて、僕は、ホワイトカラー・エグゼンプションというものの当の意味をようやく理解することが出来た。 ホワイトカラー・エグゼンプションというものが、今の日では、残業代を払わなくてすむことを合法化するようなお話にならないものだということは、多くの批判者が語っていることだ。そしてそれは、宮台氏も正しいと語っている。 今の日企業における残業の実態は、仕事の能力が低いために時間内に収めることが出来なくて残業が発生するというものではない。基的に仕事量が多すぎて、それなりの能力で労働時間内の努力をしても、その時間内でこなせる量ではないために残業を必要としているものだと考えられる。 ホワイトカラー・エグゼンプションを実現するのなら、まずそのよう

    ホワイトカラー・エグゼンプションにおける日本固有の問題 - 数学屋のメガネ
  • 個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ

    『自由とは何か』(佐伯啓思・著、講談社現代新書)というに大変興味深い記述があった。そこでは3年前のイラク人質事件に関連して、自らの自由意志でイラクに行った彼らの責任が、意志の「自由」というもので論理的に導出できるかと問いかけていた。 佐伯さんは、彼らがたとえ自分の意志で、国家の勧告に反して行ったとしても、どのような事件に巻き込まれようと自業自得で放っておいてもいいのだということにはならないという。近代国家には国民を守るべき責任があるというのだ。彼らがある意味では勝手に行ったのであろうとも、彼らの危機に対して国家はそれを救うのに全力を尽くさなければならない責任があるという。近代国家(民主主義国家ということだろうか)はそうでなければならないということだ。これは僕もそう思う。 これは感情面で同意できるというだけではなく、民主主義というものは、そのような原則を基礎にしなければ国家の安定が得られな

    個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ
  • 左翼(学校)の全体主義 - 数学屋のメガネ

    いじめ問題を扱ったマル激の議論の中で、ゲストの内藤朝雄さんが言った「右翼も左翼も全体主義が好きだ」という言葉が印象に残った。この場合の「右翼」と「左翼」は定義が曖昧な言葉だが、多くの人からそう見られている集団という程度に受け止めればいいのではないかと思う。 右翼の全体主義というのは分かりやすい。軍国主義の歴史というものがあるからだ。かつての日では、軍国主義的思想からはずれるような人間を「非国民」と呼んで迫害した。全体からの思想の押しつけの圧力の強さは、少し歴史を振り返ってみればすぐに分かる。また、この歴史は日固有のものではなく、ファシズムの歴史を持っている国ではいずれも同じような全体主義が支配した時代があった。 右翼的な全体主義はナショナリズムから導かれてくるもののように見える。そしてある種の事実がそのナショナリズムから見て自明の前提とされるようになると、それが数学的な公理のようになり

    左翼(学校)の全体主義 - 数学屋のメガネ
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