昭和32年(1957)夏、一級上の竹下徹先輩、橋本康生先輩を引き込み、バディの原田進、一級下の浅見国治、遠藤徹、生田 などとともに、東京水産大学潜水部を作った。大学潜水クラブの第一号である。顧問は、潜水実習の教官であった宇野寛先生である。先生に僕は生きることの全てを教えられた。潜る事、水中写真を撮ること、調査して報告書を書くこと、僕が、潜水生活を送るために必要だった全てである。 「須賀君、スキューバは、セルフコントロールなんだよ。」 self contained ですと言おうとしたが、後で辞書をひいてみたら、コンティンドは、コントロールの意味もあった。 「須賀君、潜水はサイエンスなんだよ。」とも教えられた。ダイビングをサイエンスとしなさいということなのか、サイエンスのための道具なのか、多分、ダイビングは科学であり、科学としてアプローチしなければいけないと教えられたのだと思う。 先生を顧
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