貝の生産・流通・消費の変遷:自己紹介 42歳になる私は、愛知県豊橋市で3世代に渡って貝の卸売業を生業にしていたものです。全長70km足らずの急峻な豊川河口に広がる六条潟の恩恵を、生活のあらゆる場面で実感できた最後の世代でもあります。物心付いたころから、取扱商品はめまぐるしく変化しました。 小学校低学年(1970年くらい)までは六条潟西浜(豊川西岸)でハマグリが採れて、船から河岸に塩かますに入れられたハマグリが威勢よく降ろされる光景を、磯の香りとともに鮮明に思い出すことができます。当時の漁業者は漁業補償後残っている漁業関係者と違って、寡黙でありながらも物質循環における漁業の役割を確実に認知していたように感じました。 ばあちゃんがハマグリ・シジミを背負って東海道本線に乗り売り歩いたいわゆる「カツギ屋」も、本格的な業として若い衆を雇い、トラックの定期便を走らせ、主力商品もハマグリ・シジミからアサ