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ブックマーク / tdaidouji.hatenablog.com (7)

  • 触発されたので書いてみたよ。 - 旧tototo

    これな。 http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/03/03/213830 うわあオッサン権力とか言い出したよ、という時点でかなりアウツだと思ったんだけどさ。 だって、いつもどおりに(俺がちょくちょくやってるように、彼に批判を送ってる連中はチラホラ見かけるが、オッサンは大概スルーする)無視すりゃいいのに、わざわざさ、こいつ組し易しと見て反応して、そんで権力とかレッテル貼りですよ。相手もまた単なる「書きたいから書いてる」というだけだというのに、自分は権利で相手には権力ですよ。屑じゃないの、て思うだろ、普通。 まあさておいてだ。 公共という概念でアレを非難するのは妥当だと思うんだけど、なんかgdgdな展開っぽいから、そっちはさておいて、適当に突っ込んでみよう。 まずまあ、「書きたいから」てのと、「書いたからにはより多くの人に読んでほしい

    触発されたので書いてみたよ。 - 旧tototo
    retlet
    retlet 2013/03/06
  • 昨日の続きいってみよう。 - 旧tototo

    これね。 http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20130305#p1 元ネタ。 http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/03/03/213830 さて、彼を攻撃してるらしい名無しさんの書く権利は守られるべきであり、彼は書くことを制限されるべきである、と書いた。 なぜかといえば、彼と彼の書いてるものは個人という逃げ道を打っただけで個人の権利を主張する何物も持ちえない代物だが、彼を攻撃してるどっかの名無しの書いてるものは個人の主張だからだ。 彼は公共を理解しない、知らない、という。しかし彼は大衆を否定しない。彼は大衆に混ざる。 彼の文章に個人の主張なんぞない。彼の大衆受けすることを選んだ文体が、個の主張をすることを許さないからだ。彼は自分の考えたこと自分の書いたことであると思い込んでいるだろうが、そういうふう

    昨日の続きいってみよう。 - 旧tototo
    retlet
    retlet 2013/03/06
  • 「ノベルゲームの枠組みを変えるノベルゲーム。」自転車創業:それなりにネタバレ - 旧tototo

    わりと問答無用にネタバレしますので、ご容赦を。 とりあえず思ったのは、ゲームゲーム画面の外側に拡張してくという発想は、スマホのGPSの位置情報や軸センサの筐体の姿勢情報等々を使った、機械の外側にゲームのプレイスペースを拡張してるタイプのゲームにインスパイアされて作ったんじゃないかな、というものでした。その意味で、このゲームは今だから作られたのだろうと思います。 一方で、それほどに現時点ならではのゲームでありながら、シナリオ内でプレイヤーについてメタ的に言及してるあたりのシナリオについて、少なからぬ違和感を感じました。いったい、そのような呼びかけの対象となるような「プレイヤー」を現在の「ノベルゲームの枠組み」に求めることに、どれだけ妥当性があるのだろうかと。 ゲームというのは、もちろん常にプレイヤーが存在します。また、どんな形であれ個人がゲームとして楽しんでいるのであれば、それは、その個人

    「ノベルゲームの枠組みを変えるノベルゲーム。」自転車創業:それなりにネタバレ - 旧tototo
  • クジラックス「ろりとぼくらの。」TENMA COMICS LO - 旧tototo

    retlet
    retlet 2012/11/29
  • 2011-02-08

    立ち絵の変化は表情や動きを表しますが、近年のエロゲでは立ち絵の変化に「話者を示す」という役割が付与されているのが大きい気がする。 http://d.hatena.ne.jp/mp_f_pp/20110204/1296791431 形式と意味の関係について先に述べておくと、必然性から形式が選択されるのと同程度には、形式が先行していて、その形式について後付け的に意味を持たせる例がある。 現状のノベル形式のエロゲの場合、多くが背景画像の中に立ち絵を配置するという形式を外すに外せなくなっていて、そこに意味づけもたらされている気がするのだけれど、上リンク先の話もその例の一部ではないだろうか。 ここのところ、コンシューマーでは、文章表示されるテキストと、そこに付随する音声とが、相互にズレている例が散見される。わざとアドリブ的に表示テキストと異なる発話をしてみせる演出といえばSS/PS期の『ネクストキン

    2011-02-08
    retlet
    retlet 2011/03/08
  • 回数と日付 - 旧tototo

    『ロマンシング・サガ』で時間を刻むのは戦闘回数で、RPGの時間経過のうちイベントをこなしてストーリー進行してくのをWIZやUltima以来のRPGの道からすれば邪道なりと主張するならばRPGに残されるのは戦闘回数の刻みしかない。例えばロマサガ3での会社経営イベントでの時間経過がメインのゲーム世界の時間経過と全くリンクしていないことへの戸惑いや不満を思い出してみれば、この戦闘回数カウントによって成立していた「リアル」な時間経過、ロマサガ世界のそれぞれの登場人物たちがPCのイベントクリアの都合と関係なく彼らの時を刻んでいたこと、への思い入れは僕も含めロマサガを記憶している人にとってそれなりに大切なことだったはずであるし、また戦闘というRPGの根幹に根ざすものによってしかゲーム世界に同時性という概念を持ち込むことができずゲーム世界全体を律する時間をもたらすことが出来なかったことを会社経営イベン

    回数と日付 - 旧tototo
  • がんすり - 旧tototo

    世界系とか言ってるのうざいです。 この種の新語、造語を使うと反論が封じられるというのがまずある。<教養小説>であるとか<シュールレアリスム>であるとかなら、面倒見のいいツッコミ役が「来の意味」なり「評論用語としての文脈」なりを参照してツッコミを入れてくれる可能性もあるけれど、造語は「俺の中でこうだから」で完結してしまう。あるいは、ネットの言葉を鵜呑みにしてどっか別の飲みの席で「○○は教養小説として…」と思わず言ってしまっても「いや、それ意味わかんねえし。教養小説って○○って意味じゃねえの?」といったストッパーがあることも期待できるが、造語は期待できない。 次。定義が雑。 社会てナニ。近代国家? 脱近代? ならそう書けって。 手法の稚拙さを指摘したそうに見えるわりには、どの作品のどの手法のどの部分がどう稚拙なのかを具体的に指摘しない。数学の問題を解くときに法学は参照しないし、逆もまた然り。

    がんすり - 旧tototo
    retlet
    retlet 2006/08/22
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