自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。 すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。 アニメオタクは何もアニメに貢献していない! 今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。 まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。 名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動
近藤喜文監督「耳をすませば」 »〈ふたり〉へ月島雫と天沢聖司―東京・多摩 駅へと連なるマンション群や家々が見渡せる丘の上。初めて訪れた場所だが、アニメ映画「耳をすませば」の既視感から、主人公の中学生・月島雫(しずく)と天沢聖司がいるのでは、という錯覚に陥る。丘はふたりが将来を約束する印象的なシーンの舞台だ。実際に自転車をこぐ若者に遭遇すると、聖司か、と目を凝らしてしまった。 聖蹟桜ケ丘駅を望む高台からの眺め。映画では月島雫と天沢聖司が、このような風景を見ている=東京都多摩市で 桜ケ丘地区の夏祭りでみこしをかつぐ子どもたち=東京都多摩市で 映画にも登場するロータリー(後方)の上に、夏雲がわく=東京都多摩市で 東京・新宿駅から西へ延びる京王線の特急電車に24分乗ると、聖蹟(せいせき)桜ケ丘駅(東京都多摩市)に到着する。駅前で、若い女性2人が映画のモデル地を示す看板を写真に収めていた。「耳をすま
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