優雅で感傷的な日本競馬-傍観罪で終身刑 オマエはいつも後出しじゃねーか、という謗りは(その通りなので)甘んじて受けるとして、やはり「競馬とそれを語るコトバ」というのは自分がどうしても避けて通れないところなので。 そもそも競馬ファンが競馬にコミットすることにより”何か”が内面に芽生えたとして、それが「情緒的」あるいは「感傷的」であることは、ある意味自明であると自分は思う。なぜなら競馬という仕組み自体がさまざまな人間の価値観の集合体であり、換言すれば感情/情緒/感傷/非合理といった要素によって成り立っているものに他ならないからである。 したがって、たとえ論理と理知を纏った見識であっても、その根底には”競馬こうあるべし”という各自の主観・価値観が横たわっている以上は「感傷的で情緒的」という場所からは決して離れてはいない。ブルコン問題に関連してダート路線の位置づけを冷静に検証していても、そういう意
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