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哲学とレトリックに関するrodoriのブックマーク (13)

  • ソフィストに学ぶブロガーの精神(ホームページからの卒業) - アーキペラゴを探して

    今週のお題「卒業」 1990年代後半、28.8kbpのモデムでインターネットにダイヤルアップした。を見てホームページをつくった。タイトルは、Welcome to Nobujirou's Home Page 。ホームージは学級新聞だった。ここにコラムが欲しいなとか、あそこにはイラストが欲しいなとか、ひとり工夫しながら自作自演した。学術的なホームページもタイトルは、Welcome to ○○'s Home Page 。つまり、みんなで、ウェルカム、ウェルカムやっていた。ホメパゲと揶揄する人たちにもウェルカム、だれでもウェルカム、それがインターネットの精神だった。 2000年に入ると、未開でGIFアニメがチカチカする雰囲気は薄れ、どこかマネーとアドバータイズメントの匂いが漂いはじめた。2001年にはホームページをつくるのをほぼやめていたように思う。2014年にこのブログをはじめた。インターネッ

    ソフィストに学ぶブロガーの精神(ホームページからの卒業) - アーキペラゴを探して
    rodori
    rodori 2015/04/02
    実は今年に入ってからずっとプラトンの洞窟の比喩のことばかり考えていて、今回の記事はブログ論としても哲学/修辞学のガイダンスとしてもとにかく啓発される内容でした。
  • トピカ (アリストテレス) - Wikipedia

    『トピカ』(希: Τοπικά、羅: Topica、英: Topics)とは、アリストテレスの著作であり、『オルガノン』の中の一冊。『トポス論』とも[1]。 『分析論前書』『分析論後書』では、「論証」(希: αποδειξις、apodeiksis、アポデイクシス)について述べられるのに対して、この『トピカ』では、「弁証術」(希: διαλεκτική、dialektike、ディアレクティケー)について論じられる。 タイトルの「トピカ」(希: Τοπικά)は、名詞「トポス」(希: τόπος)の形容詞形であり、「トポスに関すること」の意。「トポス」(希: τόπος、複数形は「トポイ」(希: τόποι))とは、元来「場所」を意味するギリシャ語だが、書では、(通念(endoxa)に立脚する性格を持った)弁証術的推論における、各種の(正当・妥当な)「場合分け」「観点」「手順」「規則」「注

    rodori
    rodori 2014/07/09
    簡潔かつ充実した内容。
  • 知ってると「あ、こいつ語彙が豊富だな」と思われそうな言葉教えて : 哲学ニュースnwk

    2014年07月05日22:30 知ってると「あ、こいつ語彙が豊富だな」と思われそうな言葉教えて Tweet 1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/05(土) 15:11:14.43 ID:he4zIvCE0.net 横文字でもなんでもいい 転載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1404540674/ 実際ローマ帝国ってそんなにすごいか? http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4704418.html 10:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/05(土) 15:12:25.64 ID:+nqNKr4D0.net パラドックス 面白いパラドックス問題や論理問題についてみんなで考えてみよう! http://blog.livedoor.jp/nwk

    知ってると「あ、こいつ語彙が豊富だな」と思われそうな言葉教えて : 哲学ニュースnwk
  • 【報告】「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy

    2009年7月23日(木)、昨年度より継続の短期教育プログラム「歴史哲学の起源」の今年度第1回公開共同研究として、森田團氏(UTCP特任研究員、以下敬称略)の発表「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」が行われた。 発表の冒頭では、プログラム主催者である森田により、目下の問題意識に基いて今後の研究計画の概要が述べられた。 今年度の「歴史哲学の起源」研究において柱となるのは、テーマ1:歴史哲学とギリシア悲劇解釈の関係の究明と、テーマ2.歴史哲学と予型論(ないしはタイプ論)との関係の究明の二つである。 ペーター・ソンディが「悲劇に関する思索はドイツ固有のものである」と概括するように、観念論以降のドイツ哲学は主要な対象としてギリシア悲劇を扱ってきた。悲劇解釈の流れは、ヘーゲルをはじめ、シェリング、シュレーゲル、シェリングとシュレーゲルの弟子であったラソー、『存在と時間』第77節に

    【報告】「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
  • 「詩学」は原則本

    古典というより教典。小説、シナリオなど、創作にかかわる人は必読。 著者アリストテレスは、悲劇や叙事詩を念頭においているが、わたしはフィクション全般に読み替えた。フィクションを創造するにあたり、観客(読み手)に最も強力なインパクトを与え、感情を呼び起こすにはどうすればよいか?構成は?尺は?キャラクターは?描写は?「解」そのものがある。 これは、「現代にも通ずる古典」というのではない。二千年以上も前に答えは書かれていて、今に至るまでめんめんとコピーされてきたことに驚いた。書が古びていないのではなく、新しいものが創られていないんだね。 著者に言わせると、わたしたちヒトは、「再現」を好むのだという。この概念はミーメーシスといい、模倣とも再生とも翻訳される。現実そのものを見るのは不快で、その現実を模倣したもの――演劇だったり彫刻、絵画だったりする――を見るのを喜ぶのだという。彫刻や舞台を用いること

    「詩学」は原則本
  • 三木清 解釈学と修辞学

    ギリシア人の産出した文化の一つに修辞学がある。それはなかんずくアテナイ文化において――プラトンの伝えるようにアテナイ人は言葉を愛し、多く語ることを好んだ(φιλ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、380-上-9]λγ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、380-上-9] τ κα※[#重アクセント付きι、U+1F76、380-上-9] πολ※[#鋭アクセント付きυ、U+1F7B、380-上-9]λογο)――極めて重要な位置を占めていた。しかし今日、修辞学はほとんどまったく閑却されている。アリストテレスの諸著作のうちでも修辞学に関する書は恐らく最も研究されないものに属している。これに対して現代の哲学においてはなはだ大きな意義を獲得するに至ったのは解釈学である。解釈学はもと文献学の方法であるが、今日それは哲学の一般的方法にまで拡げられ高められている。解釈学もギリシアの啓蒙時代に修辞学

  • 折口信夫『言語情調論』に目を通す - 関内関外日記

    言語情調論 (中公文庫) 作者: 折口信夫出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2004/09メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 3回この商品を含むブログ (3件) を見る なにを言ってるかさっぱりわからんから「読んだ」とも言えんが、一応すべての文字と記号には目を通したような気がするのでメモ。 だいたいこのところ「さらばシベリア鉄道」を聴きながら山崎パンの「シベリア」をいつつトロツキーの自伝なぞを読んでいるおれが、いきなりこんなを手に取ったのはなんでだったか。そうだ、図書館で書庫からが出てくるのを待つあいだ、ふらふら文庫棚を見て目に付いたからだった。なんで目に付いたかといえば、吉隆明が「海外から見て評価されるのは和辻哲郎や鈴木大拙かもしらんが、ほんとうにすごいのは柳田國男と折口信夫だぜ」とか言ってて、折口は古代の歌を文字面だけじゃなくて、どんな音で表現してたかってとこま

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  • πίστις - Wiktionary, the free dictionary

  • 佐藤信夫『レトリック感覚』

    目次 序章1  レトリックが受けもっていた二重の役わり 序章2  レトリック、修辞、ことばのあや 第1章   直喩 第2章   隠喩 第3章   換喩 第4章   提喩 第5章   誇張法 第6章   列叙法 第7章   緩叙法 書のなかのおもなレトリック用語 おもな引用文献 あとがき 佐藤信夫 または言葉への信頼 -佐々木健一 序章1 レトリックが受けもっていた二重の役わり レトリックまたは修辞はことばの表現に特別な効果を発揮させる技巧という意味でつかわれている。文章に強弱のついたことばの模様が生まれる。たとえことばの模様が意識的に読まれることがなくとも、読者に快不快、退屈や反感を抱かせたり、あっけに取られることがあれば、白けもさせる。 レトリックのはたらきには弁論のための説得と魅力的な表現がある。修辞学は古代ギリシャ以来討論に勝つための弁論術として注目されてきた。そして多くの人々によ

  • ニーチェの文体と言語哲学はじめに

    古典文献学者として出発したニーチェのギリシャとの関わりは非常に強い。古典文献学といえば勿論ギリシャとローマ双方の古代世界の文献が対象になるはずだが、ニーチェが強い関心を注いだ対象はギリシャの文化であり、ニーチェと古典文献学と言えばもっぱらギリシャとの関係が問題にされるのが普通である。そもそも処女作『悲劇の誕生』からして古代ギリシャの悲劇の発生を論じた作品であるが、ここで提出されたアポロン的なるものとディオニュソス的なるものというギリシャの神々の名を冠した芸術分類上の二項対立は、今もってニーチェの思想のなかで最もよく知られた事項の一つであろう。ディオニュソス的なるものという概念は、その後ニーチェ哲学の核心的概念にまで発展していく。また若くして抜擢されたバーゼル大学教授としての就任講演のタイトルは、『ホメロスと古典文献学』であった。芸術の分野ばかりでなくニーチェがソクラテス以前の哲学者を高く評

  • 自由間接話法とは何か?

    巻末併録の「『失われた時のカフェで』とパトリック・モディアノの世界」でもページを割いてお断りしたように、『失われた時のカフェで』は自由間接話法の訳出に独自の工夫をしました。巻末解説、ということで、あまりテクニックなことは説明できなかったということもありますし、またそれ以上に、そもそも自由間接話法とは何なのか?(笑) 英語やフランス、ドイツ、欧米文学を勉強した、という人以外、名前はきいたことがあっても具体的に何のことかまではあまり考えたことがないかもしれません…;) そこで、今回は「自由間接話法とは何なのか?」ということで、大雑把なところをざくざくっと、しかし“現時点において”あまり大きな間違いのないところで、かつだれにでも納得できるように書いてみたい、と思います。 …目標としては、すぐ以下で見るとおり、これはけっこう高い、ともいえます;) 自由間接話法の歴史は意外に長いようですが、たとえば

    自由間接話法とは何か?
  • 叙述トリック分類|黄金の羊毛亭

    [A-2-1] 性別の誤認 登場人物の性別を誤認させるトリックは、当然ながら、女性を男性と誤認させるものと、男性を女性と誤認させるものとに分けられます(*2)。多くの作品では前者のトリックが使われており、後者のトリックが使われた作品はあまり見当たらないのが実状です(安眠練炭さん「女か虎か」及びきたろーさん「男女トリックの男女比」を参照)。 [A-2-1-1] 女性を男性と誤認させるもの 女性を男性と誤認させるためには少なくとも、呼称や言動を含めた描写の中性化を行う必要があります。少なくとも現代の日を舞台とした作品では、中性的な描写がなされた人物は概して男性と解される傾向があるので、とりあえずはそれで十分だと思われます。 さらに、職業や肩書、あるいは特定の行動(例えば女性との性行為)などに関する先入観を利用して誤認を補強する例もあります。 [A-2-1-2] 男性を女性と誤認させるもの 男

  • ララビアータ:安富歩氏の『原発危機と「東大話法」』(明石書店) - livedoor Blog(ブログ)

    初めはその題名を見ただけで、ちょっとあざとすぎるかと敬遠していたのだが、先日取り上げた『生きる技法』が思いのほか面白かったので、このも読んでみた。 書は、我が国のエリートたちが駆使する特有の話法を分析して批判するものであり、とくに原発危機をめぐる彼らの論理を「東大話法」として特徴づけている。その点についての氏の論述は期待通り的確なものであるが、ここではそれとは別に、期待以上に興味深かった近世以来の日社会についての氏の分析について、取り上げてみたい。 安冨氏は、近世以来の日社会を、果たすべき「役」(やく)と「立場」という観念で分析する。「役」の成立は「家」の成立と連動していると言われるから、役を果たすのは少なくとも当初は「家」であったことになろう。 近世以後の日社会は、「お上」または「公儀」から割り振られた「役」を果たす「立場」によって分割され、いわばそれを単位ブロックにして積み上

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