タグ

ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (12)

  • 994夜『ライプニッツ著作集』ウィルヘルム・ライプニッツ|松岡正剛の千夜千冊

    ライプニッツ著作集 ヴィルヘルム・ライプニッツ 工作舎 1988~2018 Gottfried Wilhelm Leibniz Opera Omnia 1666~1715 [訳]下村寅太郎・山信ほか  翻訳=原亨吉・佐々木能章・佐々木力ほか 数学には記号がつきものだと思われている。そんなことはない。数学記号がないころから数学はさかんだったし、数式が言明しているメッセージ内容には必ずしも記号は躍っていない。 数学的能力と記号的能力も、まったくべつものである。記号の力を借りない数学的思考はいくらでも可能だし、既存の数学に対応していない記号的思考はいくらでもある。急に引き合いに出すけれど、三浦梅園やウンベルト・エーコには記号的能力はあろうが、数学的能力はほとんどないだろうし、ニュートンやホイヘンスは記号言語力に頼る必要がないほどに数学的能力に長けていた。 しかしいったん記号が定着し、それがしだ

    994夜『ライプニッツ著作集』ウィルヘルム・ライプニッツ|松岡正剛の千夜千冊
  • 1020 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    レトリック オリヴィエ・ルブール 白水社 2000 Olivier Reboul La Rhetorique 1984 [訳]佐野泰雄 日人はレトリックの来を軽視しているか誤解している。レトリカルな話とかレトリックに長けているというと、飾った言葉ばかりつかって、中身が薄いとか内容が深まっていないという意味だと勘違いしている。そうではない。逆なのだ。レトリックが中身をつくったのである。来のレトリックは修辞学であり弁論術であって、かつ記憶法であり推論のための構成技法であった。そればかりかレトリックは「情報を見いだす方法」のルーツにあたる。 ロラン・バルトがこだわったレトリック史によれば、古代ギリシアの当初にコラクスとティシアスの1冊の『弁論術』があった。かなり初期の両刀論法とでもいうもので、紀元前460年ころのことだ。もっともこれは忘れてもいい。実際の弁論術はもうすこしあとの法廷弁論家ア

    1020 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊 『人間の条件』ハンナ・アレント

    人間の条件 ハンナ・アレント 中央公論社 1973 Hannah Arendt The Human Condition 1958 [訳]志水速雄 ヴィタ・アクティーヴァ。ハンナ・アレントが書で提供するコンセプトである。「活動的生活」と訳す。 アレントは人間のもっている活動力を一つと見なかった。少なくとも3つ、広げれば4つの活動があると見た。労働(labor)、仕事(work)、活動(action)、それに思考(thought)である。こんな分類をしてアレントがどうしたかったというと、真の政治参加を呼びかけた。この政治参加は選挙に行くとかオンブズマンになるということではない。サルトルが重視したアンガージュマンでもない。かつて古代ギリシアに展開されていた"公共の生活"というものを新たに再生したいというのである。 これが難しい。何が難しいかというと、古代ギリシアにおける公共概念がわかりにくい。

    松岡正剛の千夜千冊 『人間の条件』ハンナ・アレント
  • 1164 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    意志と表象としての世界 アルトゥール・ショーペンハウアー 中央公論新社 2004 Arthur Schopenhauer Die Welt als Wille und Vorstellung 1819 [訳]西尾幹二 ヘーゲルと闘った。 共感と共苦を哲学した。 ゲーテとワーグナーとニーチェを 揺さぶった。 このミットライトの意志哲学を、 いま、仏教徒はどう読むか。 デカンショというのは「デカルト、カント、ショーペンハウアー」の「デ・カン・ショ」である。旧制高校時代にハヤった唄で、寮生活している猛者たちがデカルト・カント・ショーペンハウアーを読み暮らして、あとはままよと学生生活を謳歌した。来のデカンショ節は、丹波篠山地方の杜氏歌あるいは盆踊り歌で、それを大正の旧制高校の連中がデカルト・カント・ショーペンハウアーにこじつけた。もとは「出稼ぎしょ」だったようだ。 旧制高校生たちがデカルト、カン

    1164 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1332 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    グローバル資主義の危機 「開かれた社会」を求めて ジョージ・ソロス 日経済新聞社 1999 George Soros The Crisis of Global Capitalism - Open Society Endangered 1998 [訳]大原進 ヘッジファンドで儲けまくった投資家ソロス。 早くからランダムウォーク投資理論を はるかに上回る成績を収めていたソロス。 一方で、慈善家・社会改革者として名を馳せるソロス。 これらのソロスは一致しているのだろうか。 再帰的相互作用性(リフレクシビティ)を含めて予測すること、 人間の判断の誤謬性(ファリビリティ)を勘定に入れること、 それを「開かれた社会」(オープン・ソサエティ)に向けて 発信管理すること、 この3つにおいて、ソロスは一致した。 そんなこと、ありうるのだろうか。 ジョージ・ソロスはヘッジファンドで儲けまくった。早くからラ

    1332 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0777 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ここには、いくつかの“常識”をくつがえす視点がまわりくどく提案されている。その骨格になっているのは、中世仏教は顕密体制だったのではないかということだ。 ふつうの宗教史では、こうは見なかった。中世仏教は鎌倉新仏教を中心に語るのが“常識”で、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮が主語となっていた。しかし著者の黒田はそれよりも、密教を中心に神道的なるものを含むすべての宗教がいったん顕密体制と寺社体制の中に組み入れられ、これが拡張していったのが中世だったのではないかと見たのである。ここで密教とは台密・真密の両方をいう。いやもっと広い密教OSをいう。 中世仏教では、名目上は八宗が併存している。しかしながら実際にはいくつもの派の教義や作法を兼学する者が多く、しかも全宗派に共通して承認されていた教理があった。それがここでいう密教あるいは密教的中世社会というものだ。中世社会における「分母としての密教」といってよい

    0777 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊
    rodori
    rodori 2013/06/14
    台は南北朝の動乱期、14世紀にさしかかった日本が大きな変化をおこすところに設定されている。  最初は文字の話である。  14世紀後半、日本の各地に惣村というものがあらわ
  • 1369 - 松岡正剛の千夜千冊

    貨幣の哲学 ゲオルク・ジンメル 白水社 1999 Georg Simmel Philosophie Des Geldes 1900 [訳]居安正 装幀:代田奨 貨幣についての最初で、かつ最も巨大な著作。 それがジンメルの『貨幣の哲学』だ。 構成は、Ⅰ分析篇が、1価値と貨幣・2貨幣の実体価値・ 3目的系列における貨幣で、 Ⅱ総合篇に、4個人的な自由・5個人的な価値の貨幣等価物・ そして、6生活の様式というふうに結ばれていく。 なぜジンメルは貨幣を社会学したのだろうか。 なぜ、その後のすべての貨幣論は ジンメルの「生の哲学」に始まることになったのか。 社会学はむろん社会を相手にする学問だが、19世紀末から20世紀初頭の確立期にすでに相手にする仕方によって、二つの立場に分かれていた。わかりやすくいうと、ひとつは「方法論的個人主義」で、個人を起点に社会を考える。もうひとつは「方法論的集団主義」と呼

    1369 - 松岡正剛の千夜千冊
    rodori
    rodori 2013/05/13
    社会を三人以上の主体の相互関係として考察するジンメルの意義について。確かにそれはウェーバーともデュルケムとも異なる行き方だと思う
  • 0654 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    幻想の感染 スラヴォイ・ジジェク 青土社 1999 Slavoj Zizek The Plague of Fantasies 1997 [訳]松浦俊輔 イシス編集学校ではしばしば師範代と学衆たちがそういう遊びをしているのだが、スロヴェニアの切れ者の現代思想家が似たような編集術遊びをしているのを読むとは思わなかった。これがスラヴォイ・ジジェクを最初に読んだときの、むずむずと笑いがこみあげるような印象だ。 そのは『斜めから見る』(青土社)という。カイヨワの「ナナメ」や「オブリック」を思い合わせたくなるが、カイヨワのような綜合力は使わない。ジジェクはここで、もっぱらヒッチコックやスティーヴン・キングやフィルム・ノワールをとりあげ、これらをことごとくジャック・ラカンの理論的モチーフで解読するというアクロバティックな芸当を見せていた。逆からみれば、ラカン理論をことごとく大衆文化の現象の淵にのせて次

    0654 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0391 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    のちに高宗武丁となった子昭に、幼児のころから言語障害があったという伝承のあることが気になっていた。武丁は甲骨文字の時代の王である。 アジスキタカヒコネやアメノワカヒコにもそういう伝承がある。言葉が喋れないそうした幼い王子は、しばしば池や川や海に小舟に乗せられ、菰などを被せて流された。いわゆる流され王、あるいは貴種流離子である。日の伝承では、その水上の王子が流されているときに、ふと白い鳥が天空を走り、それを見た王子が「アギ!」といった呪音を発したというふうになっている話が多い。 子昭もそうした伝承のもとにいたのだとしたら、それはわれわれが甲骨文字の歴史を考古学的に教えられてきたことと、どのように関係するのか。喋れないことと文字の発明とは、どう関係しているのか。かつて白川静さんや中野美代子さんとそんな話題をときどき交わしたことがあったものの、ぼくはこの興味深い問題をそのままほったらかしにして

    0391 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0987 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    若き日の白川さんは読書をして一生を送り切りたいと決断した人である。その読書も「猶ほ浅きを嫌ふ」という覚悟で臨んだ。そして、それを成し遂げた。 その白川さんについて、ナムジュン・パイク(白南準)は「日の人は白川静を読まなくてはダメよ」とぼくに言っていた。当時、世界のビデオアートの先頭を切っていたパイクは、『遊』創刊号にいちはやくエールをおくってくれた人である。 そのころ日のアーティストはおろか、知識人でも白川静を読んでいる者など、ほとんどいなかった。白川静をもちだして話に乗ってきてくれたのは、ぼくの周辺では武田泰淳・中野美代子・杉浦康平くらいだったろうか。いま、ぼくの手元には、その武田泰淳の赤坂書庫からせしめた『漢字』初版が残っている。赤鉛筆と青鉛筆の泰淳マーキングがついていて、懐かしい。 ナムジュン・パイクが白川静を読むべきだと言ったのが、さて、何年のことだったかは、はっきりしない。1

    0987 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    rodori
    rodori 2013/01/25
    哲学の根本問題
  • 1