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ブックマーク / note.com/wakusei2nduno (4)

  • 「ひとり」で遊ぶことを忘れてしまった大人たちへ|宇野常寛

    宇野です。しばらく有料マガジンの更新ばっかりになってしまってごめんなさい。心を入れ替えて、このnoteも更新していこうと今日、思いました。 そしていきなりの告知で申し訳ないですけれど、日4月26日に僕の新刊『ひとりあそびの教科書』が河出書房新社から発売になりました。これは「14歳の世渡りシリーズ」という中高生向けのレーベルの中の一冊です。僕にとってははじめての中高生向けのになります。 どんなかというと……ランニングとか、虫取りとか、模型とか、僕の趣味の世界を紹介して、中高生を「沼」に落とすことを目的にしたです。 僕のランニングコースのひとつ。青山の銀杏並木。紅葉の季節よりこの季節の緑が好き。都内某所(新宿区)で見つけたカブトムシの♂。意外と都心にもいるので探してみよう。僕が「シュライヒ」の動物フイギュアで作ったジオラマ「宇野ファーム」3世紀の中国(三国時代)に天才軍師となって大暴れ

    「ひとり」で遊ぶことを忘れてしまった大人たちへ|宇野常寛
  • 『街とその不確かな壁』と「老い」の問題ーー村上春樹はなぜ「コミット」しなくなったのか(4月22日追記)|宇野常寛

    村上春樹の新作長編『街とその不確かな壁』を、発売当日に電子書籍で購入してKindleで一気に読み通した。結論から述べるとこの作品は近年の、というか『1Q84』の〈BOOK3〉以降の自己模倣と内容の希薄化の延長にある作品で、彼の長編の中でももっとも記憶に残らない薄弱な作品の一つになってしまっていると言わざるを得ないだろう。 僕は半年前に出版した『砂漠と異人たち』で、この村上春樹について20世紀後半を代表するパーソナリティとして扱い総括的な批評を試みた。そしてこの『街とその不確かな壁』という小説は僕の『砂漠と異人たち』での村上についての総括から、半歩も踏み出していないように思う。それは、とても残念なことだ。 FacebookやTwitterで実績はないけれど自分を知的に見せたくて仕方がない人たちとは異なり、批評家とは天の邪鬼な生き物で常に作家に、正確には作品に「敗北」したがる生き物だ(そもそも

    『街とその不確かな壁』と「老い」の問題ーー村上春樹はなぜ「コミット」しなくなったのか(4月22日追記)|宇野常寛
  • 『すずめの戸締まり』と「震災」の問題|宇野常寛

    「国民的作家」であることの自覚?新海誠の新作『すずめの戸締まり』を、最速上映で見てきた。この作品については11月16日配信の番組でしっかりと議論する予定なのだが、その準備も兼ねて、ここでは現時点での考えをまとめておこうと思う。ちなみに、何段落か後からネタバレ全開で書いていくので、それが嫌な人は実際に映画館に足を運んでから読むようにして欲しい。 結論から述べると、この作品で新海誠は明らかに宮崎駿や、村上春樹が背負ってきた(そして村上は良くも悪くもそこから逃げ出してしまった)「国民的作家」であることを引き受けようとしている。その姿勢は批判することを目的にあら捜しをすればいくらでも攻撃できるだろうが、少なくともそういった誰かにダメ出しすることで自分を支えている人たちよりは圧倒的に真摯で、これまで彼の作品を嫌悪してきた人たちからの信頼を獲得することもある程度できるだろう。しかし、そのために作は前

    『すずめの戸締まり』と「震災」の問題|宇野常寛
  • 21世紀の〈グレート・ゲーム〉ーー疫病と戦争とプラットフォームの時代を、100年前の視点から考える|宇野常寛

    グレート・ゲームと『全体主義の起源』 ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』(1951)で「グレート・ゲーム」という概念について論じている。「グレート・ゲーム」とは19世紀における英露の植民地争奪戦のことで、『ジャングル・ブック』で知られるイギリスの作家ラドヤード・キップリングの小説『少年キム(英語版)』(1901年)により広く使われるようになり、なかば歴史用語として定着したものだという。 アーレントはこの「グレート・ゲーム」に注目する。 イギリスの帝国主義を駆動したものは、人種差別的なイデオロギーではなく官僚制だとアーレントは指摘する。官僚制のイデオロギーとは、自分たちのような優れた官僚組織によって管理されることではじめて、社会は成立すると考える。 植民地の官僚制と『少年キム』 アーレントはここでむしろ、こうしたイデオロギーから生じる責任感に注目する。自分たちは、この土地の人々に責任があ

    21世紀の〈グレート・ゲーム〉ーー疫病と戦争とプラットフォームの時代を、100年前の視点から考える|宇野常寛
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