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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (8)

  • 上野千鶴子の「マルクス主義フェミニズム」について(未定稿) - shinichiroinaba's blog

    2年前に某企画から依頼があって書いたっきり放っておかれて塩漬けになっている原稿をこの際だからお蔵出しします。もしが出る予定が具体的になったらひっこめるでしょう。 ================================ 上野千鶴子さんの「マルクス主義フェミニズム」に対して読者はいろいろな疑問を持つでしょうが、上野さんのお仕事全体を見通したとき特に重大な疑問となるのは「上野フェミニズムにとってマルクス主義は当に必要か?」「上野フェミニズムの全体系の中でマルクス主義は整合的に位置づいているのか?」「そもそも上野フェミニズムにとってマルクス主義とは何か?」でしょう。 上野さんは『家父長制と資制』において「なぜマルクス主義フェミニズムであってリベラルフェミニズムではないのか?」と自問し、「リベラルフェミニズムは解放の思想ではあってもそこには解放の理論はない」と答えます。つまるところリ

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  • 『社会学入門・中級編』の予告を兼ねて - shinichiroinaba's blog

    shinichiroinaba.hatenablog.com の続きとして。 『社会学はどこから来てどこへ行くのか』は「「社会学は地味な学問なんだから地味にやろうよ」というメッセージを派手にやっているという変な」である、と先に述べた。「地味なことが大事だ」と主張する派手な、というのは要するに言行不一致の恐れがあるわけで、その分隙があれば責められるのは仕方がない。その辺を考えたうえで、書の背景というかコンテクストについて、個人的な感想を述べておこう。 『どこどこ』は基的には岸と北田のイチャイチャであり、筒井と稲葉はゲストという以上のものではない(にもかかわらず応分の印税をいただいていることには感謝の言葉もない)のだが、そのことによって書についての責任をまぬかれようというわけではもちろんない。というのは、書に至る二人の議論の形成において拙著『社会学入門』もそれなりの影響を与えてい

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  • 本日の講義(社会学史)をもとに - shinichiroinaba's blog

    岸政彦・北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎『社会学はどこから来てどこへ行くのか』というは日の社会学の現状についてのよもやま話であり、「社会学は地味な学問なんだから地味にやろうよ」というメッセージを派手にやっているという変なですが、その背景について少し考えてみましょう。 ひとつにはこれが著者たちをデフォルメしたファンシーなイラストを表紙にしたうえに、缶バッジなどのノベルティまで展開する下品な販促を仕掛けている、という事実の含意です。書の版元である有斐閣は元来、法律書を中心に人文社会科学の学術書を手広く展開する老舗出版社であり、ひどくお堅いイメージがありますが、近年では重心が法律書、学術書からより広い分野の教科書、入門書へとシフトし、合わせて全体としてライト化、ポップ化の印象があります。よく知られているところでは西洋貴族の紋章風の、獅子と鷲をあしらった社章を「シッシーとワッシー」とゆるキャ

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  • 政治poliltics・統治government・行政administration - shinichiroinaba's blog

    もう採点は終わってしまったのだけど、東大教育学部での講義のまとめのために、メモ。 今日の日語では「政治」という包括的な上位概念のもとに、理論政治学(システム論)・政治過程論風の言い回しを用いれば「入力input」にあたる狭義の「政治」=公共的意思決定と、「出力output」にあたる「行政」とが包摂される、という風になっている。さらにこのような「政治」の大枠は「憲法constitution」という形で与えられ、「政治」は「行政」はもちろんのこと狭義の「政治」においても、主としてそれが「立法」という形で手続きを踏んでなされねばならない、という形で、「法の支配rule of law」に服している。とはいえ「憲法」自体も不変ではなく、狭義の「政治」にはその変更可能性までもが射程に入れられている。 あるいはこの「政治」の制度的な枠組みのことを「統治government」とも呼ぶ。日を含めた多くの

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  • フーコーの二つのリベラリズムと憲法学 - shinichiroinaba's blog

    労使関係論サーベイをおっぽって読んでいたAghion & Howitt(500ページだけどAcemogluを見たあとでは短くてやさしく見える! ふしぎ!)を更におっぽって無謀にも石川健治=駒村圭吾=亘理格「論点講座 憲法の解釈」(『法学教室』連載)を延々自分でコピーして(そろそろカネより時間を惜しむ年頃なんですがなんせ不景気で)読んでいる(しかし「憲法訴訟」とか「三段階審査」とかかじる前にやることがいくらでもあるだろうがと自分でも思う。いやでもいいですよこの連載。行政法学の勉強にもなるし)と石川大先生が最終座談会で超不穏な発言を。 私がそういう議論をする下敷きとして念頭に置いているのは、ミシェル・フーコーの1979年辺りの講義録です。その頃の講義において、フーコーは、どういうわけか西ドイツのオルドー・リベラリズムと格闘しており、ミイラ取りがミイラになってしまったみたいな感じになってしまって

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  • シノドス・セミナー「社会学の居場所」 - shinichiroinaba's blog

    こちらでご報告した、2009年12月13日に行われたシノドス・セミナーの記録です。『アルファ・シノドス ―“α-synodos”』vol.46(2010/02/15)、vol.47(2010/3/1)から転載。 ================ 「社会学の居場所」稲葉振一郎 今日お話ししようと思っていたことが何点かあります。『社会学入門』(NHK出版)を読んでくださった方の多くは、このには穴があることに気づいておられて、その穴が今後どのように埋められるかと思ってらっしゃると思います。日はちょっとそれを意識しながらやっていこうと思っています。一つには、ある程度書き込んだけれども、入門書にはふさわしくないのではないかと、削った話題が一つあります。第12講で、科学的アプローチと工学的アプローチという対比を行いましたが、来はあそこで、より具体的に説明するために力学系モデルの話をしていたんです

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  • shinichiroinaba's blog

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    rodori
    rodori 2012/10/19
  • 都立青山高校模擬授業「社会学入門の入門」 - shinichiroinaba's blog

    またしても用意したレジュメと全然関係ないことをしゃべったよ。即興でしゃべったことを基にここに書いておくよ。 ========== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する文学や人文学と共通するところが大きいのです。 文学部では文学、歴史学、哲学、心

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