飯舘村は福島原発から40キロほど離れています。まさか我々に放射能被害が及ぶとは思ってもみませんでしたから、本当になぜなのよ、という思いがあります。 水素爆発が起きた時に、ちょうどこちらの方に風が吹いていた。しかも高冷地で、あの日は雪が10センチくらい降った。それで放射性物質が山にぶつかって落ちてきてしまったんですね。 当時はそんなこと知りませんから、震災後10日間くらいは避難者を1200人ほど一生懸命受け入れていたんです。まさに濃度が高い時でしたので、我々も避難者も、その影響は本当に心配です。 今は計画的避難を進めています。 ただ、完全に村から去るのではなく、例えば老人ホームのお年寄りは残れるようにし、事業所も継続操業できるようにしました。国と交渉し、年間20ミリシーベルトという要件を守りながら、避難先から職員が村に通うことを認めてもらいました。 国と戦い、村民の生活を極力守る「計画的避難