果たされない歌 矢子園知弓 舞台は1930年代のアメリカ合衆国。白人の人気歌手レジナルドのもとに、かつて彼が歌を教わった黒人のタイロンから手紙が届く。思い起こされる少年時代の秘密と約束。そして10年越しの再会が二人にもたらすものとは。
果たされない歌 矢子園知弓 舞台は1930年代のアメリカ合衆国。白人の人気歌手レジナルドのもとに、かつて彼が歌を教わった黒人のタイロンから手紙が届く。思い起こされる少年時代の秘密と約束。そして10年越しの再会が二人にもたらすものとは。
5月、ある訃報がもたらされた。NHKの子ども向け工作番組「できるかな」などで人気を博した高見のっぽさんだ。のっぽさんは子どもを「小さい人」「おチビさん」と呼び、「小さい人はとても賢い」と言っていた。のっぽさんへのインタビューを振り返ると、その理由の一つに、自身の戦争体験が横たわっていたのが見えてきた。【江畑佳明】 生前最後の取材で語ったこと のっぽさんは昨年9月10日、心不全により88歳で亡くなったが、公表は今年5月10日。本人の「半年は伏せてほしい」いう遺志があった。私たちは昨年7月21日、のっぽさんにインタビュー取材をしていた。亡くなる約50日前のことだ。後で聞いたところでは、これが最後の取材になったという(紙面掲載は2022年8月22日夕刊)。 取材の目的は「戦争の記憶」を聞きたかったから。終戦時に11歳だったが、その体験を語り出したのはつい最近のこと。2015年に出版された「私の『
例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。 俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。 俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。 長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。 話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。 もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出され
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 初めてインターネットに接続したのはとにかく誰よりも早くコンシューマーゲームのチートがやりたかったからで、私が初めて閲覧したウェブサイトは、ゲームのチート情報サイトだった。 私の家にはなぜかバックアップ活用テクニックやゲームラボが山のように置いてあったから、私はそれを読んで、父親にねだってプロアクションリプレイというゲームをチートするための機材を買ってもらってチートしていた。 しかし月刊誌とゲームの発売日は噛み合わない。私は誰よりも早くチートしたかった。地方の田舎で、本屋もゲームショップもほとんどないような土地なのだから、私の周りにゲームをチートしている人間なんていなかった。そもそも誰もゲームすらやってない。ザリガニを爆破するのがなによりの娯楽だ。だから私はたったひとりの最速チーターだったのだけど、それでもまだ足りていなかった。 父親はゲ
ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さんが29日までに、81歳で亡くなった。京都大名誉教授、京都産業大名誉教授。益川さんは科学者の立場から軍事研究への荷担に反対してきた。その背景には戦争の体験があった。2017年の京都新聞インタビューに、研究者の倫理や平和への希求を、京大で先輩教員にあたる湯川秀樹博士への複雑な思いを語っていた。 「終戦は5歳ぐらいで記憶はない。名古屋市内の神社の近くに住んでいたが、3月の大空襲は鮮明に覚えている。B29は高度1万メートルを飛ぶが、日本の高射砲は7千メートルまでしか届かない。歓迎の花火を打ち上げているようなものだった。焼夷弾が自宅の屋根を突き破り、目の前に転がった。不発弾で助かったけれども周囲は焼け野原。リヤカーに家具や布団を積んで火の海の中を両親と逃げ惑った」 -防衛省は科学者に研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」を本年度、110億円規模に一気に増額し
emuaeda 仏教を研究しても仏教からは何も学べなかったのかな。個人的な感覚だけど、上座部仏教を学ぶ人は本当の仏教だと主張が激しく攻撃的かつ排他的な人が多い気がする。実際、大乗仏教と比べて紛争なども絶えないし。 2021/01/30 上座部仏教と大乗仏教なら確かに前者が後者に対し批判的になりがちだと思う。 (そういう対立が出る場合はということであって、その二者が同席したって99%そんな論争なんかしないが) なんでかというと上座部の方が今となっては教理があるから。 大乗仏教って何をやるんですかっていうと、お葬式やって、ふにゃふにゃしたお説教して、いい加減なもんでしょ。 だから地元檀家が減ったり葬式ビジネスが揺らいだりした途端に大乗仏教のお坊さんには売るものが無くなっちゃった。 だから上座部のお坊さんが売ってるような瞑想を急ごしらえで真似る大乗のお坊さんとかが増えてきた。 このあいだ増田でバ
◆◆◆ 「状況は相変わらず厳しいです。ただ、まだまだ終わらせませんよ。『俺の旅』は、俺の人生。『俺の旅』=生駒明なんです。一昨年、休刊という死刑宣告を受けましたが、夫唱婦随。やつが死ぬなら俺も死ぬ。俺も一緒に海に入るつもりでした。そう。天に召されたのち、一緒に生まれ変わろう……あの時は、そんなことを考えていたと思います」 2019年4月10日、一冊のエロ本がその役目を終えた。 「俺の旅」(大洋図書) 2003年7月の創刊から15年9ヵ月。現場の体験ルポをこだわりとし、日本全国の風俗・裏風俗を慈しむように行脚してきた異端の風俗雑誌。その編集長を14年もの間務めてきたのが、“イコマ師匠”こと生駒明氏である。 生駒明氏 エロ本業界で、彼が“師匠”と呼び親しまれる所以は、おそらく日本一ともいえるその風俗取材に基づく情報量だろう。筆者は旧くからイコマを知っているが、彼ほど傷だらけになりながらも、風俗
※きわめて個人的な感想です。ネタバレ(最終回について触れています)に溢れていますので、「鬼滅の刃」を未読の方には非推奨です。ぜひ原作を読了されてからご覧ください。また、参考文献から、残酷な描写を引用していますのでその点もご留意ください。 ※「鬼滅」と「日本残酷物語」を関連づけたものについては、自分で調べた範囲では見つけられなかったのですが、もし既出のものがあればぜひご教示ください。間違いのご指摘も是非。 「鬼滅」と『日本残酷物語』『鬼滅の刃』(以下、「鬼滅」)を読了した。「言葉」にすごく力があるなとか、伏線が回収されるスピードがすごいとか、煉獄さんと炭治郎のエピソードもっと長くてもいいんじゃないかとか、宇随さんは前髪下ろしてるほうがイイとか、いろいろ思うことはたくさんあるものの、印象に残ったのは登場人物の背負う運命の過酷さである。「鬼滅」は、家族の絆や愛情が物語の軸になっているが、同時に家
精神的に安定してる人と結婚したつもりで、後から「その人はまだ人生で不安定になる辛いことがなかっただけ」とわかり、人生初の苦境で発狂する相手を前に途方に暮れる結末はよくあります。— トイアンナ (@10anj10) June 15, 2020 トイアンナ氏のこの発言を読んで、癌で死んだ母のことを思い出した。 母はめちゃくちゃ精神が安定していた。どんなことがあっても落ち着きはらっていた。 死に至る病を宣告された日の日記は、「わたしはがんだそうだ。いやだなあ」この一言で終わり。 中卒で本といえば料理と裁縫くらいしか読まない母の語彙力では書き表せない思いもあったのだろうが、 しかし私の記憶の中にある母は笑顔でいるかそうでなければ私を叱っていて、 彼女の死ぬ直前の時期の記憶もあるのだが、まったく普段通りだった。 死ぬ前日も三食母の手料理を食べて、翌朝は母が医者に行くということで父方の祖母に預けられ、
2020年04月13日10:12 カテゴリ 夢枕 獏「静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの」 静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの 夢枕獏 心の中に湧きあがってくるものがあるのである。 原稿を書いていても、窓から外を眺めていても、それは湧きあがってきて、消えない。怒りと言えば怒りなのであるが、その半分は哀しみのようなものだ。 それは、うまく表現できないのだが、 「馬鹿だなぁ、人間は……」 という思いのようでもある。 「愚かだなぁ、人類は……」 というあきらめのようでもある。 もちろん、この“馬鹿”と“愚か”の中には、ぼく自身も入っている。 人は馬鹿で、愚かで、つい保身に走りたくなる。自分が可愛い、そういうものでできている。だから、できるだけ、人の愚かさを愛そうと努めてきた。許そうと努めてきた。当然ここには下心もある。 だから、ぼくの馬鹿や愚かも許してねという下心である。
・戦争に反対する唯一の手段は…… 戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。 吉田健一『長崎』 一月の末、夜中にtwitterを見ていたら、「ちゃんと生活したい。キーマカレーおいしく作れました。」という投稿が流れてきた。なんとなくその発言のツリーを見ると、こんな会話が続いていた。 「おいしそう!ちゃんと料理しててえらい!」 「ありがとう。吉田健一の言葉、『戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである』を忘れないで暮らしていきたいです。*1」 この手の引用は、「戦争に反対する唯一の手段は……」が引っ張り出される典型的な文脈で、特に珍しいものではない。個人が慎ましく暮らす生活のワンシーンに寄り添うイメージだ。 だがわたしはもう何年も、この言葉の使われ方に違和感を覚え、SNSでも言及してきた。そろそろ違和感の正体をはっきり言語化
僕の嫁はアルゼンチン人、その父も当然アルゼンチン人。口数は少ないが、面倒見の良さで多くの尊敬を集めている。しかし、僕が移住した当初、彼と付き合いの長い老人が「あいつは墓荒らしだった」と話してくれたことがあり、その真相がずっと気になっていた。 思いきって聞いてみると、半生が壮絶すぎた。 ※この記事は、 世界のカルチャーショックを集めたサイト「海外ZINE」の記事をデイリーポータルZ向けにリライトしたものです。 海外ZINEは、世界各地のカルチャーショックを現地在住ライターが紹介する読み物サイトです。 / 1992年生まれ、福岡県古賀市育ち。美人アルゼンチン人嫁と結婚するために、大学卒業後の2015年にアルゼンチンへ移住。毎日マテ茶を飲むほどのマテ茶好き。 > 個人サイト 海外ZINE 奥川駿平 物心つく前から移民だった義父 南米大陸の最も南に位置するアルゼンチン。「ラテンな国」と言われるため
「母が息子を送り出した時と出迎えた時」リサ・ウィッティントン・2012年(en) エメット・ルイス・ティル (Emmett Louis “Bobo” Till、1941年7月25日 - 1955年8月28日)は、白人女性に口笛を吹いたことで殺されたアフリカ系アメリカ人の少年。愛称ボボ。 概要[編集] 14歳の時、イリノイ州シカゴの実家からミシシッピ州デルタ地区の親類を尋ねていた折、食品雑貨店店主、ロイ・ブライアントの妻キャロライン・ブライアント(21歳)に口笛を吹いたと、ロイと兄弟J. W. ミランから因縁をつけられた。二人は、後日ティルの大叔父の家からティルを無理やり連れ出し、納屋に連れ込んでリンチを加え、目玉を一個えぐりだした。その後銃で頭を撃ち抜き、有刺鉄線で70-ポンド (32 kg)の回転式綿搾り機を首に縛りつけて重りにし、死体をタラハシー川(英語版)に捨てた。ティルの死体は3日
Thank you for being patient. We are doing some work on the site and will be back shortly.
ちょっととりとめもない話をさせて欲しい。 バーの二階に住んでいたことがある。まだ高校時代、名古屋にいた頃だから、20年くらい前の話だ。 6畳の和室、狭い部屋だった。風呂なし、シャワーなし、トイレはバーのトイレと共用だが、夜バーが開いている間は使えないので、わざわざ近所の公園のトイレを使わなくてはいけなかった。 シャワーについては、学校のシャワー室に私用のシャンプーを持ち込んでそこで済ませていた。稀に銭湯に行くこともあった。 当時の私は、ちょっとした事情で、親元から離れて暮らしていた。 下手をすると学生の分際でホームレスになりかねないところだったのだが、友人からの人づてでそのバーのマスターを紹介してもらっていて、バーの2階に転がり込ませてもらった。 元々はバーの仮眠所だか、店員の部屋だかだったらしいのだが、光熱費に毛の生えた程度の家賃で住ませてもらっていた。 当時の私は、草の根BBSからのツ
2017年07月15日08:00 【引きこもり】白黒写真をカラーにするプロだけど、なんか質問ある?【世界に羽ばたく】 カテゴリ一般人- 特殊な職業 AMA!!!管理人 Comment(10) 「私は家で、部屋に『閉じこもって』6年を過ごした。友達は一人もいなかったし、今もいない。今の私はすべてが必然だったと強く信じてる」── 引きこもり時代に白黒写真のカラー化という夢を見つけ、今や世界中で引っ張りだこのブラジル人アーティストによるAMA! 元スレ:IamA professional digital colorist. I restore and colorize black and white photographs, working with several museums, TV stations, publishers, and institutions from all over
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く