平安時代に途絶えた日本独自の「銅銭」を、実に700年ぶりに復活させたのは徳川家である。「寛永通宝」という名をご存じの方も多いのではないだろうか。徳川幕府の成立時に権威の象徴としてつくられたと思われがちだが、実は、その登場は三代将軍・家光の時代になってからである。 なぜ家康や秀忠がつくろうとしなかった日本独自の銅銭を、家光が復活させたのか? その理由の1つに、「海外への銅銭の大量輸出」が挙げられる。 日本は、戦国時代半ばまでは銅銭を輸入に頼っていたが、中国が銅銭をつくらなくなったことや、貿易の担い手だった倭寇の取り締まりが強化されたことで、十分に輸入できなくなった。一方、国内では鉱山開発が進んで銅が大量産出されたため、各地の大名や民間人によって、中国銭をマネた銅銭がつくられるようになった。その結果、江戸時代初期には、逆に日本が銅銭の輸出国になっていたのである。それも、品質が極めて高かったため