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2010年2月3日のブックマーク (5件)

  • 正露丸の問題について

    薬害オンブズパースンは、1月31日に、「正露丸等クレオソート製剤の販売中止などを求める要望書」を厚生省及び製造・犯罪会社に送付しました。 また、2月6日には、名古屋市の栄ガスビルで「薬害オンブズパースン公開会議in名古屋」を開催し、この問題について一般市民に知らせる機会としました。当日は、約100人が参加して、正露丸の危険性についてのオンブズパースンの議論を学習するとともに、この薬の使用をなくするためにどんな方法が考えられるかについて議論が行われました。 薬害オンブズパースンは、個別クレオソート製剤の危険性のみならず、一般用医薬品の「承認基準」について問題があると提起しています。 以下に、この「要望書」と「公開会議」の内容について、簡単にご紹介します。なお、この文章の責任は、筆者にあります。 1.結論 要約すると、「正露丸等のクレオソート剤は、クレオソートの毒性が強く、安全域がせまく(常用

    ryusso
    ryusso 2010/02/03
  • 危険な正露丸の服用|論文・研究発表|大分健生病院

    大分健生病院・外科・今里真 医師 14歳の男の子が重症の腸炎で入院しました。軽い中毒様症状があったので、自宅にあった正露丸でやり過ごしているうちに3日経ち発熱、腹痛を我慢できなくなり、当院受診後入院となったものです。 当院では、中毒の起炎菌推定,重症度把握、菌体の洗浄回収のため、大腸内視鏡を通常行っていますが、今回は興味深い所見を確認しました。内視鏡所見は、キャンピロバクター腸炎ですが、その炎症所見が極めて強く、腐様の変化もありました。そして、大腸内に6ミリ大の黒色球状物を認め、その一つをサンプルとして回収したところ、正露丸独特の刺激臭を認めました。正露丸で麻痺した腸管内にキャンピロバクターが異常繁殖し、正露丸の粘膜腐作用と共に腸炎を悪化させたようです。その証拠に内視鏡で大腸洗浄し正露丸を除去しただけで、翌日から自他覚所見は改善しました。 正露丸の作用は、その毒性の発現用量で現れま

    ryusso
    ryusso 2010/02/03
  • 世界一周してきたから写真うpする:ハムスター速報

    世界一周してきたから写真うpする カテゴリ旅行写真 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/02(火) 23:49:15.24 ID:GM3qWhzG0 暇なので写真あげてこうと思う。眠くなるまで。 ストーンヘンジ。思ったほどじゃなかった。 アビーロード。渡る方向逆。 キレイなお姉さん。※撮影許可もらったよ 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/02(火) 23:50:49.67 ID:ln9nonS00 これは期待 >>1のスペックetc教えて スペック。 旅当時25歳。大手メーカーを辞めて旅へ。 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/02(火) 23:51:08.62 ID:JOXY5SYc0 写真取るの上手いな 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2

  • CIA対日工作の歴史から見る小沢氏資金問題 - 植草一秀の『知られざる真実』

    第2次大戦後、GHQの対日占領政策は1947年から1949年にかけて劇的な転換を示した。いわゆる「逆コース」と呼ばれる転換である。 背景に米ソ冷戦の勃発があった。 1947年3月 トルーマン・ドクトリン発表 1947年7月 ジョージ・ケナン 『ソ連の行動の源泉』 国家安全保障法成立 トルーマンが署名して成立した国家安全保障法により、国防総省(ペンタゴン)が設置され、中央情報局(CIA)が発足した。 春名幹男名古屋大教授の力作 『秘密のファイル-CIAの対日工作-』 によると、 CIAは、機関発足8日後にまとめた第1号秘密分析文書「世界情勢見直し」に、 「日はソ連極東部と対抗する“勢力圏”として発展する能力がある」 「米国の影響下で日を復興させることができれば、極東でソ連に対抗できる」 との記述を示している。 米国はCIAを活用して、戦後の対日占領政策をどのように進展させたのか。CIAは

    CIA対日工作の歴史から見る小沢氏資金問題 - 植草一秀の『知られざる真実』
  • 心が折れそうなとき、壁で前が見えなくなったときに何度も見ると良い動画、ランディ・パウシュの「最後の授業」

    非常に有名になった動画なのでご存知の方も多いと思います。でもこの動画って心のサプリみたいなもんで、回りが見えなくなったとき、心が折れそうなとき、目の前の壁の高さに前に進めない状態のときにもう一度見ることで、心の扉が開放された気分になれるのです。 ラドルフ・パウシュはアメリカ、ペンシルベニア州カーネギーメロン大学の終身教授でした。余命3ヶ月と宣告されながら母校、カーネギーメロン大学講堂で文字通り「最後の授業」を行ったのです。その講義は、最後まで「人を楽しませること」=「自分の喜び」いう生き方をしていたパウシュそのもので、自分の人生をこんなにも素晴らしいものにしてくれた人々への感謝で溢れていました。見るたびに心に響くポイントが少しずつ違ってきて、遠くからそう、まるで子ども時代にタイムスリップして今の自分を見るような、心に余裕が生まれてくるのです。 【25歳になる自分が改めて「最後の授業」から学

    心が折れそうなとき、壁で前が見えなくなったときに何度も見ると良い動画、ランディ・パウシュの「最後の授業」
    ryusso
    ryusso 2010/02/03
    ザイーガ・カラパイアはエロやキワモノネタが多いが、編集者パルモの賢さが所々に出ている。