【ソウル共同】韓国・ソウル市の中区が6日、日韓政府間の対立を背景に日本製品の不買運動を呼び掛ける旗を日本人観光客が多く訪れる繁華街の街頭に掲げたところ「韓国が好きで来ている日本人に不快感を与える」との批判が殺到し、撤去と謝罪に追い込まれた。
![ソウルで反日の旗に批判殺到 | 共同通信](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ca4e754ff507e65de054612bde3b9534b82ea0ba/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnordot-res.cloudinary.com%2Fc_limit%2Cw_200%2Ch_200%2Cf_auto%2Cq_auto%3Aeco%2Fch%2Funits%2F39166665832988672%2Fprofile_7.png)
なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」である。1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねていた。国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも明らかになってきた。そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、社会から自由を失わせ軍の
志らく 展示中止の慰安婦象徴像「多くの人には反日像」「許さないという結果出た」 拡大 落語家・立川志らく(55)が5日、TBS系「ひるおび!」に出演。批判が殺到して中止となった、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画「表現の不自由展・その後」に展示されていた従軍慰安婦を象徴した少女像について「これを「平和の少女像』という人がいることが、不思議でしょうがない」と述べ、「日本人にとってはこれは多くの人が反日像だと思ってるわけでしょ」と指摘した。 今回の問題について、志らくは「こういうことをやると日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果は出た」とした。 そのうえで「これを『平和の少女像』という人がいることが、私は不思議でしょうがない」と首をかしげ「平和の少女像というなら、日本人の誰もがみても平和だなと思えればいいが、日本人にとってはこれは多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ」
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