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ブックマーク / j-theravada.com (7)

  • 悪魔に勝つために② - 日本テーラワーダ仏教協会

    人間の身体を清浄なものと思いこむことは、即ち悪魔(煩悩)につけ入る間隙を与える愚劣なる思考であるということは前号で解説したところですが、今回は人間の感覚器官の制御についての考察を試みてまいりましょう。人間の来を忘却させ感覚器官の制御を機能させないとする行為もまた悪魔のよく好むところなのですから。 人間は、眼、耳、鼻、舌、身、意の六感覚器官をつかって、色、音、香、味、触、法の六つを識別認識して活動しています。これは仏教の基的な用語となりますから、注意深く認識しておいてください。“私”と言う存在はこの六感覚器官を介しで私”以外の外界を認識していきます。外の世界に通じるために開かれた窓口のようなものです。さて、この眼耳鼻舌身意の六感覚器官のうち意をのぞけば、これら器官から人手できるのは極めて制限された情報ということになります。 ここにある物象があったとしましょう。眼は物象の形、色(光)しか判

  • 悪魔に勝つために① - 日本テーラワーダ仏教協会

    元来人間の精神は脆弱(ぜいじゃく)であると言いきっても差し支えないとおもいます。「もっと良い人間になりたい」「自分というものを高次に磨いていきたい」「崇高(すうこう)な目的に向かって邁進(まいしん)したい」などと言いますが、その大半は夢に終わります。「清浄無垢(しょうじょうむく)な心、怒りという感情を抛擲した心」を願って釈迦尊の教えを実践するときでも、自分では匍匐(ほふく)前進しているつもりでも実際は後退してしまうときが多く見られます。これを仏教では「悪魔に屈伏する」と讐えています。悪魔と呼称しても、仏教では「清冽なる心を作る、悟りを開きたい」とする努力をスポイルする存在としての人の心 —— 人の生きかたを指しています。 人間 —— 個を努力心や清浄心から逸脱させていく元凶ともいうべきこの心のうちに巣喰う“脆弱なる心”を惹起し、生育してしまう遠因はいったい奈辺に潜んでいるのでしょう。あ

  • 心の逃走 - 日本テーラワーダ仏教協会

    私たちは、この世に生を受けてからというもの常に悩みごとに見舞われています。物ごころのついたそれこそ子供のころからお小遣いが少ないとか、もっとおもちゃが欲しい、学校の成績が悪く勉強が好きになれない、また大人になっても器量が悪い、恋人ができない、仕事がうまくいかない、給料が低い、好きな人に気に入ってもらえない、裕福な暮らしができない、病気ばかりしている、夫婦の相性が悪い、友達がいない、老後が寂しい……何とまあ、人間の一生というものは悩みごとや苦しみの連続であることか! 人間は毎日、毎日その不平、不満をくり返すのです。 私たちはこの世に“生”を受けたと同時に、確実に“死”という現実に直面します。そしてこの “死”に対して人間の“生”とは何と弱いものなのでしょう。例えば、胎児は母親のお腹のなかにいるあいだ、母親のちょっとした不注意からすぐ流産してしまいます。科学の驚くべき進歩で宇宙を征服するような

  • 罰の罰 - 日本テーラワーダ仏教協会

    罰という概念は人間だれでも好むものではありません。 「私は罰せられることが好きですから、いつでもどうぞご遠慮なく罰をあたえてください」というひとはどこを探してもいないはずです。みんながこんなに毛嫌いするのですから、いっそのこと、人間社会から“罰を与える”と言う規範をなくしたほうがいいのではないかと思うのです。 この世からもし罰がなくなったとしたら、社会の秩序が乱れたりしてきて大変ではないかと心配する人も多いかと思います。人がまちがいを起こしたり、罪を犯したり、他人に迷惑をかけたり、決まりを守らなかったりしたらどうなるのでしょう? その点を、釈迦尊の教えに基づいて考え直してみることにいたしましょう。 罰にもいろいろあります。 体罰、罰金、減俸、謹慎、懲戒、免職、いじめ、嫌がらせ、批判、非難、否定、無視、暴力、喧嘩、脅迫、無視すること、褒め殺し……。これらの罰は、いずれを取っても受ける側の人に

  • 言葉は核燃料か - 日本テーラワーダ仏教協会

    人間の言葉は、核燃料だと思ってください。核燃料だといえば、いちいち説明しなくてもおわかりになるだろうと思います。現在、我々が必要としている膨大なエネルギーは、核燃料でも使わないとまかなえません。限りなく危険だと知りながらも使用しています。最先端で最高の技術を使用しているので、危険性はまったくないと言いますが、たびたび事故が起こります。7月12日、敦賀原子力発電所でも冷却水漏れ事故がありました。いくら注意しても、いくら気をつけても、事故は起こるものです。人間の知識・能力が完全なわけでもなく、人間が作っている機械も、希望通りに動いてくれる完璧なものではありません。人間は判断ミスを起こしやすいものだからと、昨今何でもコンピューターに任せる傾向がありますが、機械であるコンピュータ自体がおかしくなるケースもたびたびあります。要するに、「絶対安全」という言葉は、結局は使えないということです。 核燃料は

    ryusso
    ryusso 2010/02/12
    Dh133,134言葉に悪感情を入れないで話す。悪口を浴びせられても割れた鐘のように。
  • 心からは逃げられません - 日本テーラワーダ仏教協会

    悪事、不正などを行う人は、それらが露見しないようにいろいろと工夫します。しかしうまく隠し通したと安心できるのはつかの間です。悪事は必ず露見します。その不幸な報いから逃げることは決してできません。悪事を隠そうとずるがしこい努力をしますが、その努力が積み重なったところで、残念なことに逆に、悪事は世間に露見してしまうのです。悪事の報いからは、どうして逃げられないのでしょうか。それは、我々の行動を監視している超越的な誰かがいるからではありません。その悪事を行う人が、自分自身で公示するからなのです。生命は心があるから、さまざまな行為をするのです。その心が、欲、怒り、傲慢、憎しみなどの煩悩で汚れてしまうと、行為そのものも汚れてしまいます。それが悪事というものです。悪事を行う心をその人が持ち続けていますので、悪事の報いからうまく逃げられると思っても、それは大きな勘違いです。死んでまた生まれ変わっても、

  • 実る生き方② - 日本テーラワーダ仏教協会

    ある商人達のグループが、船で商売に出かける途中に遭難しました。そのなかの商人のひとりバーヒヤは板切れにつかまってスッパーラカという島に漂着しました。漂流中に衣類をなくし島に辿り着いたときには裸でしたので木の皮を剥いで腰にまきました。誰かが助けてくれるだろうと待っていると道行く人々が彼を見て、仙人が現れたと勘違いしました。 何か普通と違った特殊な行動や生き方をする人を、行者だ、仙人だ、神秘的な能力を持つ人だと思うのは、当時のインド文化ではごく当たり前のことでした。現代でも、普通の人がやらないようなことをする人を素晴らしい人だと見上げることがあるようなものです。そして、お供えものを持ってくるわ、お布施をするわ、拝みにくるわ、突然聖者が現れたということで、村は大騒ぎになってしまいました。 バーヒヤはどうすることもできませんでした。周りから勝手にイメージを作られてしまった彼は、みんなの気持ちを裏切

    ryusso
    ryusso 2010/01/20
    無益な語句の並ぶ詩をたびたび語るより、聞いて心の静まる有益な語句をひとつ聞く方が優れている。(Dhmapada-101)彼こそが仏教史上最短の時間で悟りを開いた方です
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