人間の「考える」行為は、ほかの何よりもお手軽にできるもの。 道具を必要とせず、他人やモノといった、働き変える対象も必要ない。手足などの身体の一部を動かすことも要求されず、意識さえあれば、金縛り状態でも行使することが可能。「(やべえ体動かねえんだけどどうすっぺこれ)」と考えたところで、どうにかなるもんでもないけど。 あまりに自然な行為すぎて、普段は意識することもない「考える」作業。今、パンツ一丁でパソコンに向かってキーボードをポチポチしながらも、次の文章を “考え” ているわけですが、「あー、ぼく、いま、ちょーかんがえてるわー」なんて意識はございません。それより、扇風機先生、がんば。 「考える」って、なんじゃろう。考えてみよう。 「考える」と「カンガルー」は似ている 「ことば」について記事にするときのお約束。まずは、いつものように辞典サイトを参照しませう。……し、思考停止じゃないよ! こここ