マルチネガールズウェーブ(説明文)
作者の意図と作品の解釈の関係にかんする以下の論文がサーベイとして優秀だったので内容をまとめておきます。 Irvin, Sherri (2006). "Authors, Intentions, and Literary Meaning." Philosophy Compass 1(2): 114-128. [pdf] 分析美学では、文学作品の解釈とはどういうものか(あるいはどうあるべきか)の議論は、ニュークリティシズムの代表者であるWimsatt & Beardsley(1946)による意図主義批判とそれに対する意図主義者Hirsch(1967)からの反論から始まったこともあって、作者の意図と作品の解釈の関係をどう考えるかという論点を中心に展開してきた。 この論文では、この論点に対する諸説が以下のようにまとめられている。 極端な実際的意図主義(Extreme Actual Intention
内容に触れているので、未見の方は注意 コーマック・マッカーシーの小説『ブラッド・メリディアン』(早川書房)でもっとも印象に残っているのは、男たちが砂漠をひたすら移動しつづけるくだりだ。暴力的な描写の多い作品だが、もっとも身に沁みて過酷であると感じたのは、直接的な暴力よりも砂漠の移動場面だった。貴重な飲み水が尽き、飢えと乾きに苦しめられながら、砂ばかりの土地を移動するほかない男たちの姿を想像するにつれて、読んでいるこちらまで喉がからからになるような感覚がもたらされるのだ。水が飲めないことの恐怖が迫ってくるようだった。むろん、これは作者の筆力に拠る部分が大きい。このような感覚を、文章を通じて読者に与えることのできる書き手は限られるだろう。読了後、蛇口をひねれば清潔な水が出てくる自分自身の環境が、何か信じられないことのようにおもえたのを覚えている。 感覚に強く訴えるタイプの作品は記憶に残る。僕に
宣伝です。立命館大学の田邉くんから研究会のお知らせが回ってきたので、こちらでも宣伝しておきます*1。 「分析哲学と芸術」研究会の公開研究会第2弾として、河田学さんと藤川直也さんをお招きして「フィクションの哲学の最前線」を開催いたします。 河田学さんは京都造形芸術大学准教授で、文学理論を専門とされています。主たる業績として、『フィクション論へのいざない‐文学・歴史・遊び・人間』(共著、世界思想社、2013)やレーモン・クノー『文体練習』(共訳、水声社、2013年)があります。 藤川直也さんは京都大学非常勤講師で、言語哲学を専門とされています。主たる業績として、『存在しないものに向かって‐志向性の論理と形而上学』(共訳、勁草書房、2011)や「固有名と記述」(日本哲学会若手奨励賞受賞、2006)があります。 どうぞふるってご参加ください。 【開催日時等】 タイトル:フィクションの哲学の最前線
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