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ブックマーク / 9bit.99ing.net (41)

  • 続『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit

    以下のエントリーの補足。とくに注1に関して。 『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit このエントリーでは、指示と述定という言語哲学的な考え方がモデルと対象システムの関係にも適用できるという発想のもとでを書いていたということを述べた。それに近いことを言っている論者もいたはずと思って、その後SEPで関連項目をいくつか読んでいたが、私がぼんやり思っていることをほぼそのまま洗練されたかたちで主張しているものがあったので、簡単に紹介しておく。 Scientific Representation (Stanford Encyclopedia of Philosophy) この項目の7.2にあるRoman FriggとJames Nguyenによる「DEKI説」が、私の発想にかなり近い考え方を提案している。この説は、グッドマンの「トシテ表象」と「例示」という概念を援用して、

    続『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/07
    “Roman FriggとJames Nguyenによる「DEKI説」が、私の発想にかなり近い考え方を提案している。この説は、グッドマンの「トシテ表象」と「例示」という概念を援用して、科学におけるモデルの働きを説明しようというもの”
  • 『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit

    murashitさんによる以下の『ビデオゲームの美学』紹介記事への反応です。 わたしたちが『ビデオゲームの美学』を読むこと - 青色3号 Twitterで書いたように、書評も含めてこれまで見たものの中でもっとも正確かつ詳細に、それも著者の意図を十分に汲みつつ、当のをまとめている文章だと思う。大変ありがたいです。 記事の最後で第12章の「シミュレーション」についていまいちわからない点があるという指摘がされている。自分でもきちんと書けていなかったところだという自覚があるので、こういうつもりで書いたというのを少し補足しておきたい。正直あまり自信がないので、補足を踏まえてもやっぱりちょっとおかしいんじゃないかというつっこみはあるかもしれない。 前提 murashitさんの記事を読めばポイントはおおむねわかるが、あらためて第12章の前半で「シミュレーション」がどんな概念として導入され、特徴づけられ

    『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit
    sakstyle
    sakstyle 2023/12/28
    murashitさんへの応答記事。対象システムとモデルの表象内容は、指示と述定を想定
  • 井奥『近代美学入門』の感想 - 9bit

    井奥陽子『近代美学入門』筑摩書房、2023年 ご恵投いただいたもの。いいなので宣伝も兼ねてレビューする。 全体の感想 当の初学者(たとえば学部一年生)でも十分に理解できる程度の易しさで書かれている。構成がわかりやすく、言葉づかいや文体もするっと読めて、それでいて重要なポイントがどこかがはっきりわかるようになっている。出てくる例もわかりやすい。 概して帯文はオーバーだったり嘘をついていたりするものだが、このの「難しいと思っていた美学が、よくわかる」は偽りのない宣伝文句だと思う。 書には、「読者はこういう理解をしているかもしれないけど、そうじゃなくてこうだよ」というかたちで、想定される誤読をあらかじめていねいに防いでいる箇所がけっこう多い。これはたとえば佐々木『美学への招待』などと比べたときの、書の際立った美点のように思う。 美学(あるいは哲学全般)は、問題意識や議論の内容が初学者に

    井奥『近代美学入門』の感想 - 9bit
  • ゲームにおける3つの「フィクション」 - 9bit

    「フィクション」という語には複数の使われ方があるという話。よく聞かれることなので、整理もかねてまとめておきます(以下の内容は『ビデオゲームの美学』におおむね書いていますが、読むのが大変だと思うので)。以下「ゲーム」は、ビデオゲームとそれ以外のゲームの両方を含みます。 A. 虚構世界を表すもの いわゆるフィクション作品のこと。映画、演劇、小説、マンガといった芸術形式の作品の大半はこの意味でのフィクション(以下フィクション(A))であり、フィクションの哲学が論じているのもこれである。 フィクション(A)は、「虚構世界を表すもの」として特徴づけてもいいかもしれない。この特徴づけはあまり正確ではないと思うが(たとえば、世界を持たないフィクション(A)はどうするのか、虚構世界とは何か、フィクショナルキャラクターの指示の話はまた別なのか、といった疑問がありえる)、だいたいの意味と外延は伝わるという意味

    ゲームにおける3つの「フィクション」 - 9bit
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    sakstyle 2021/10/28
    虚構世界、制度、日常世界からの分離
  • 倍速の美学 - 9bit

    Twitterに書こうと思ったが、長くなったのでこちらで。以下の銭さんによる映画の倍速視聴擁護の記事と、森さんによる倍速視聴批判の記事を読んで思ったこと*。 映画を倍速で見ることのなにがわるいのか|obakeweb|note 映像作品の倍速視聴は何を取りこぼすのか、銭さんへのリプライ - 昆虫亀 一般的な話として、作者の意図に沿わない/失礼な/正当でない鑑賞を「回復可能性」で擁護するという銭さんの筋は説得的だった。汎用性があるので別の話題でも使えると思う。 一方で、映画の倍速視聴(少なくとも何倍速か以上)に関してそれが言えるという主張にはあまり同意できない(まったく同意できないわけでもないが)。森さんが書いているように、作品鑑賞にとってクリティカルな面の少なからずが回復できないケースが多いと思う。エモーショナルな面はとくにそうだろう*。 これは「取りこぼす」というのとはおそらくちょっと違う

    倍速の美学 - 9bit
    sakstyle
    sakstyle 2021/03/30
    「倍速否定派が持ち出すべき論点は「倍速で泣ける/怖がれる/ドキドキできるのか?」よりもむしろ「倍速で生まれる変な質が気にならないのか? その質が好きというならわかるがそうなのか?」」
  • VRの哲学 - 9bit

    ※ちょっと調べただけです。ちゃんと勉強してません。 「バーチャルなもの」の存在論はゲームスタディーズでも前からあるが(e.g. Aarseth 2007)、2017年にデイヴィッド・チャーマーズが「The Virtual and the Real」という論文を出して以降、哲学者が格的に参入している感じがある。VRデバイス/コンテンツの浸透も関係なくはないのかもしれない。 チャーマーズの論文は、ナンバさんとシノハラさんがそれぞれブログでまとめてますね。 ヴァーチャルリアリティはリアルか?:VRの定義、存在論、価値 - Lichtung デイヴィド・チャーマーズ「ヴァーチャルとリアル」 - logical cypher scape2 PhilPapersやGoogle Scholarでチャーマーズの論文の被引用を見ると、最近いろいろな論文が出ているのがわかる。とくに2019年にオンラインの哲

    VRの哲学 - 9bit
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    sakstyle 2020/09/05
    「自分の立場はいまのところ明確で(...)使い方によって現実的表象にも虚構的表象にもなるという以上の話ではない」「いわゆるプレゼンスの経験(...)は存在論の問題ではなくリアリズム(写実性)の質と程度の観点」
  • 様式とは何か - 9bit

    必要があって様式(style)という概念について多少勉強したのでメモ代わりにまとめておきます。「様式」(文学だと「文体」)という言葉を問題にしたいわけではなく、芸術学まわりで頻出するあの概念の中身を問題にします*。具体的には、「ロマネスク様式」や「定朝様」や「8bitスタイル」などと言われる場合のそれです。 学部生時分の自分が読んだらためになったであろう内容を意図して書いてます。注は詳しく知りたい人向け。 文献 目を通した文献は以下*。 Elkins, J. 2003. “Style.” Grove Art Online. https://doi.org/10.1093/gao/9781884446054.article.T082129. Gombrich, E. H. (1968) 2009. “Style.” In The Art of Art History, 2nd ed., ed

    様式とは何か - 9bit
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    sakstyle 2020/01/07
    何これ、むちゃくちゃお役立ちまとめなんですけどー!
  • フランク・シブリー美学論文集のまとめ - 9bit

    フランク・シブリー(Frank Sibley, 1923–1996)という美学者がいる。美学を専門にする人であれば誰もが名前を知っている(かどうかはあやしいが、少なくとも全員知っているべき)偉大な美学者である。20世紀の英米の美学者の中では、ダントーやグッドマンがなぜか日ではよく知られているっぽいが、少なくとも美学の領域での貢献度でいえば、シブリーのほうが圧倒的に上だと思う*。以下も参照。 シブリーが挙げる美的用語の一覧 - 9bit シブリーの何がえらいかというと、美学の中心テーマである「美的なもの」(美的判断、美的概念、美的性質など)*が持つ独特の特徴を明確に示し、分析美学における美的なものについての議論のスタンダードを確立したところだ。異論も含めて、美的なものについての現代美学の議論はすべてシブリーの仕事をスタート地点にしていると言っても過言ではない。 従来、美学専攻の学生が自分の

    フランク・シブリー美学論文集のまとめ - 9bit
    sakstyle
    sakstyle 2019/06/08
    シブリーは、偉大な美学者であり、美学を学ぶならば初学者には『判断力批判』よりも読みやすいが、日本での知名度も低く邦訳も少ない。そこで論文集の章ごとの要約を紹介する、という記事
  • 草野原々「デジタルゲームのむなしさと人生のむなしさ」について - 9bit

    限界研編『プレイヤーはどこへ行くのか―デジタルゲームへの批評的接近』(南雲堂)をご恵投いただきました。所収の論考をいくつか読みましたが、まさに現在進行形の作品・ジャンル・事象が取り上げられていて、「2010年代のゲーム批評の結節点」という帯の文句にたがわぬ内容だと思います。 そのうちのひとつ、草野原々「デジタルゲームのむなしさと人生のむなしさ」は明晰で論点も面白くてすばらしい論考だと思いますが、重要なところ(かつ自分の専門に近いところ)で気になる点がいくつかあったので、以下コメントします(アカデミックなスタイルで書かれた原稿だと思うので、そういうつもりでコメントします)。 (a) 2節でビデオゲームには現実的ストーリーと虚構的ストーリーがあると主張し、それを前提として3節でビデオゲームのむなしさが両者の「競合」「矛盾」から生じると主張しているが、単純にこれだと抽象的なゲーム(フィクション要

    草野原々「デジタルゲームのむなしさと人生のむなしさ」について - 9bit
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    sakstyle 2019/01/05
    「ユールの「半分現実」の二面性(ルールとフィクション)の議論は、ウォルトン的な二面性(プロップと虚構的対象)とは全然別の話」「二項モデルで考える議論は多いのだが、それだとどうしても別の論点が混同」
  • 『ビデオゲームの美学』はこんな本 - 9bit

    おかげさまで『ビデオゲームの美学』(慶應義塾大学出版会)が今週末に刊行されます。目次は以下。 『ビデオゲームの美学』の細かい目次 - 9bit 表紙デザインは小椋海里さんにお願いしました。相談しながら作ったんですが、〈へろへろでありつつパンチがある〉という理想的なものができてよかったです。 以下、内容について。 はじめ、章ごと・トピックごとの詳しい内容紹介とか「こういうのに興味があるならこの章がおすすめ!」とか「この章のここは力が入ってます(抜けてます)」みたいな裏話を書こうかと思っていたんですが、そういうのもある種のネタバレでよくないかなと思い直したのでやめておきます。は読む人のもの。 おおよそどんなかは、あとがきに書いています。 書は、2015年の春に東京藝術大学に提出した博士論文「ビデオゲームにおける意味作用」がもとになっている。それからいままでのあいだに、二つの翻訳書の仕事

    『ビデオゲームの美学』はこんな本 - 9bit
  • 俳優、着ぐるみ、VTuber - 9bit

    以下の論考について。読んだ人向けなので要約は省略します。 ナンバユウキ「バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ」Lichtung Criticism, May 19, 2018. Twitterでナンバさんとも少しやりとりしたが、この論考からはVTuberと他の文化形式の関係がいまひとつわからなかったので、ちょっと考えていた。具体的には、この論考で言われている「三層」がどこまで他の文化形式に言えるのか/言えないのかがいまいちはっきりしない。 以下、俳優、コスプレイヤー、着ぐるみ、アバターVTuberがそれぞれどういう「層」を形作っているのかを試しに整理する。その過程で、何かを「演じる」という言い方に複数の意味があるかもしれないことを示す。 なお基的に具体例は出さないので適当に補完してください。 前提 ナンバ(2018)および松永(2016)にしたがって以下の

    俳優、着ぐるみ、VTuber - 9bit
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    sakstyle 2018/05/22
    この早さで、ナンバ論文をさらに補足・整理する論が出てきた。図示がめっちゃわかりやすい。「中の人である」関係と「代わりにふるまう」関係かー
  • 描写内容の理論 - 9bit

    画像の内容についての諸理論を整理します。もともと美学会の発表に組み込む予定だったのですが、筋にあんまり関わらないということで、発表内容からは除外しました。かわりにブログに載せておきます*。この手の話に興味がある人には、きっとそれなりに有益なはず。 1. 用語 画像(picture):絵や写真。 描写(depiction):画像がそれ特有の仕方で何かを表象すること(pictorial representation)*。 描写内容(depicted content):画像が描写するもの(what a picture depicts)。画像は描写内容以外にもさまざまな内容を持ちうる(たとえば、図像学的内容、寓意的内容、表出的内容)。描写内容以外の内容はここでは扱わない。 2. 描写内容の先行諸理論 以下、先行理論のそれぞれについて、①どんな理論概念を提示したか、②その概念をどんな事例に適用して

    描写内容の理論 - 9bit
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    sakstyle 2017/10/01
    これは!
  • ウォルトン・リターンズ - 9bit

    ウォルトンの「想像/表象の対象」話の続きです。これまでの流れは以下の通り。 ウォルトンにおける想像の対象 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 田村均「事物と私たちの想像論的なかかわりについて : ケンダル・ウォルトンの「想像活動のオブジェクト」の概念をめぐって」『名古屋大学哲学論集』13: 1–21 (2017). ウォルトンの「想像の対象」と「表象の対象」 – 9bit ウォルトンにおける想像のobjectについて - logical cypher scape 訳者@Mimesis_as_MakeB(@MimesisasMakeB1)さん | Twitter 「想像の対象」と「表象の対象」再訪 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 一番下の高田さんの記事には基的に同意している。論点の定式化(K1~W4)についても、田村さんや私の主張の定式化についても異論はない*。とても明快で的確

    ウォルトン・リターンズ - 9bit
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    sakstyle 2017/05/14
    “「ケヴィン・コスナーは馬に乗る」と「ワイアット・アープは馬に乗る」は別々の虚構的真理ではない。”
  • ウォルトンの「想像の対象」と「表象の対象」 - 9bit

    以下の論文を読んだ。Mimesis as Make-Believe(以下MM、ページ数は原書)を読んでいていまいちよく飲み込めていなかったところをあらためて考えさせていただいた。 田村均「事物と私たちの想像論的なかかわりについて : ケンダル・ウォルトンの「想像活動のオブジェクト」の概念をめぐって」『名古屋大学哲学論集』13: 1–21 (2017). この論文は主に以下の高田ブログによる批判に対する応答になっている。個人ブログの批判を正面から取り上げる真摯さとフットワークの軽さがとてもよい。生産的。 ウォルトンにおける想像の対象 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 以下、田村論文の主張に対する自分の考え。田村・高田の主張はともにオンラインで見れるので(かつともに明晰なので)、ここで細かく説明することはしない。ウォルトンの基的な枠組みについても説明を省く。 私の見解をまとめると以下の

    ウォルトンの「想像の対象」と「表象の対象」 - 9bit
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    sakstyle 2017/04/08
    そもそも虚構的真理の解釈に違いがあり、想像のobjectを区別する必要はないという、松永さんの主張
  • グッドマン『芸術の言語』裏あとがき - 9bit

    ネルソン・グッドマン『芸術の言語』の邦訳がおかげさまでようやく出版されます。『ハーフリアル』に引き続き名著の翻訳にたずさわることができて、非常にありがたいやら勉強になるやらです。感謝。 体に入れるスペースがなかったので、ここにあとがき的なものを書いておきます。内容の解説ではありません。章ごとの内容は、書付録の「概要」を読んでいただければおおまかにわかると思います。 内容や訳についてのご質問やご指摘はTwitterかask.fmにお願いします。誤字・誤表記・誤訳などは以下に追加していきます。 『芸術の言語』1版1刷正誤表 『芸術の言語』1版2刷正誤表 『芸術の言語』1版3刷正誤表 簡単な紹介から。『芸術の言語』は、初版が1968年、2版が1976年に出たで、まちがいなく20世紀美学の古典のひとつ。プロパーな美学者だけでなく、文学や音楽学や美術史といった関連領域の研究者のあいだでも重要な

    グッドマン『芸術の言語』裏あとがき - 9bit
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    sakstyle 2017/02/14
    あとがきとfurther reading/韻を踏んだり繰り返しが多くて訳が大変。隠喩を隠喩で説明してるなど。
  • バグとフラグの話 - 9bit

    おととい、大岩雄典さんの卒業作品展示にお呼びいただいて、バグとフラグを美術にからめるトークをしてきました。内容はそのうち書き起こしがアップされるようです。 追記(2017.03.12) アップされました。トークイベント「バグる美術」 トークや質疑やそのあとの雑談でちゃんと考えないとなということがいくつかあったので*、ちょっとメモしておきます。 バグと意図 トーク内でも一貫していたのだが、バグは、少なくとも第一義的には、正常なもの(来あるべきもの)と実際に出てくるものとのくいちがいを含意する概念だろう*。正常さはたいてい作り手の意図によって決まる。作り手が意図したものが正常なものであり、意図しなかったものは異常なものだ。そういうわけで、バグはたいてい作り手の意図と実際に出来上がったもののくいちがい(つまり失敗)を含意する*。 とはいえ、これだと「意図したバグ」とか「作り手の意図とは関係なく

    バグとフラグの話 - 9bit
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    sakstyle 2017/02/02
    本来の意味での「バグ」「フラグ」と派生的なものとしての「バグ」「フラグ」(本来のバグ(フラグ)ではないが「バグ(フラグ)らしさ」を備えたもの)
  • ARとマジックサークル - 9bit

    時事ネタついでに「マジックサークル」概念についてまえから思っていることを書く。 サレンとジマーマンの『ルールズ・オブ・プレイ』に「マジックサークル」(邦訳では「魔法円」)という有名な概念がある(Salen & Zimmerman 2004: ch.9)。簡単に言えば、ゲームの内外を境界づけているなにかのことであり、この概念によって「ゲームに参加する/ゲームをやめる」という事態が説明される。 ホイジンガ由来の概念と言われる場合もあるが(そして実際サレンとジマーマンはホイジンガから借りたと書いているが)、ホイジンガはなんらかの理論的概念として持ち出しているわけではない。そういうわけで、実質的にはサレンとジマーマンのオリジナル概念だ。 「マジックサークル」の2つの意味 しかし、サレンとジマーマンの記述にしたがうかぎりは、この概念はかなり曖昧だ。少なくとも、明確に区別できる(そしてすべき)2つの意

    ARとマジックサークル - 9bit
  • シノハラユウキ「フィクションは重なり合う」について - 9bit

    シノハラユウキ『フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ』(logical cypher books, 2016)(目次と概要)をご恵投いただきました。電子版を買う気まんまんでいたところだったので、たいへんありがたいです。以下、所収の以下の論文についてレビュー。 シノハラユウキ「フィクションは重なり合う: 分離された虚構世界とは何か」『フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ』所収, 5–113. logical cypher books. 2016. 分析美学的な議論の良さと面白さがはっきり出ている論文だった。個人的に非常に面白く読めたが、それ以上に人に薦めたい論文だった。いいところは少なくとも4つ挙げられる。 描写の哲学とフィクションの哲学の入門として 先行議論のレビューとして 分析美学的な枠組みを使った批評として オリジナルの枠組みとして 1. 描写の哲学とフ

    シノハラユウキ「フィクションは重なり合う」について - 9bit
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    sakstyle 2016/05/14
    こちらの企図を汲んでくださったレビューで、また問題点も指摘してもらえて、ありがとうこざいます。
  • モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」 - 9bit

    『分析美学基論文集』所収のビアズリー「視覚芸術における再現」のまとめです。 明晰で整理された内容のわりに、文章は読みづらかったというか、長くてしんどかったので、まとめる意義もそれなりにあろうかと思います。 モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」相澤照明訳、西村清和編・監訳『分析美学基論文集』所収、173–243、2015(Monroe C. Beardsley, "Representation in the Visual Arts," in Aesthetics: Problems in the Philosophy of Criticism, 267–317, New York: Harcourt, Brace & World, 1958.) 絵についてなにか言うときの諸概念や焦点が整理・分類されている章です。たとえば美術史の人が絵の構造を記述・分析するときの基的な概念的枠組

    モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」 - 9bit
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    sakstyle 2015/09/28
    ありがてーありがてー/この論文に出てくる諸概念の整理/訳語についての注釈もある
  • 「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム」について - 9bit

    榊祐一「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム――『バイオハザード』を例として」 押野武志編『日サブカルチャーを読む――銀河鉄道の夜からAKB48まで』所収, 北海道大学出版会, 2015, pp.253-286. 榊さんは、「〔ビデオ〕ゲームを自律した文化領域として論じるための方法論をいかにして獲得するか」という問題意識のもとに、「①ゲームをその固有性を尊重しつつ論ずることを可能にするような理論的枠組みの提示と、②その枠組みによるゲーム分析の実践例の提示」(榊 2015: 254)をすることを試みている。 ようするに、ビデオゲームの特殊性を論じるための理論的枠組みを定義したうえで、それを具体的なケース(『バイオハザード』)に適用するというものである。わたしの博論もほとんど同じ問題設定なので、モチベーションと方法にとても共感できる。 切り口としては「ゲームと物語」という古典的な

    「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム」について - 9bit
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    sakstyle 2015/06/09
    非物語的水準としてテレプレゼンスという特徴をもったプレイ経験を論じる榊論文、テレプレゼンスとまで言わずともよいとする松永コメント