2008年4月25日のブックマーク (9件)

  • 麻耶雄嵩とエラリー・クイーン

    【解説】甲影会発行の同人誌「別冊シャレード/麻耶雄嵩特集3」(1997年12月)からの再録。最初の部分は手を入れています。クイーンとの関係が薄いため、EQFCの会誌には再録しなかったのですが、麻耶雄嵩ファンのアクセスを期待して、このコーナーに再録しました。 麻耶雄嵩とエラリー・クイーン By EQIII ミステリーファンクラブの老舗〈SRの会〉の会誌「SRマンスリー」1994年9月号に、関一雄氏の「『夏と冬の奏鳴曲』に関する7つの疑問」という文章が載っています。題名通りの内容で、麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』に対する疑問点を7つ、挙げたものでした。以下は、『夏と冬の奏鳴曲』に対する私の解釈を、その7つの疑問点に答える形でまとめたものです。従って、『夏と冬の奏鳴曲』の犯人等に言及していますので、未読の方は注意してください。あと、クイーンの「ドルリー・レーン四部作」を未読の方もご注意を。 まず、関

    samoku
    samoku 2008/04/25
  • 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 - macska dot org

    ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団だ。進化科学者のリチャード・ドーキンスが書いた『神は妄想である』はじめ、クリストファー・ヒッチェンス『God Is Not Great (神は偉大ではない)』、サム・ハリス『The End of Faith (信仰の終焉)』といった書籍が続々とベストセラーになるとともに、無神論を掲げるグループが全国で結成され、若い人を中心に多くの支持者を集めている。 論で「無神論」と訳されている言葉は atheism だが、この語の来の定義は「神が存在しないと信じる」ことではなく「神が存在するという信仰を持たない」ことであることを考えれば、「無神論」ではなく「無宗教」と訳した方がより正確かもしれない。そこをあえて「無神論」と表記するのは、ただ信仰がなく宗教に無関心といったニュアンスのある「無宗教」という言葉では、新しい無

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    samoku
    samoku 2008/04/25
    無神論原理主義
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    また作りたいレシピ 2024年5月第3週 「五月病」という言葉を忘れ去っていたことに気が付いた。もうすぐ5月も終わってしまう、なんということだ。ぐったり気味だった1週間の、また作ると確信したレシピです。 ・生ピーマンの肉みそ 去年、グルメ番組で見かけた生ピーマンと肉味噌の取り合わせが気になり…

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    samoku 2008/04/25
    精神病者であれば措置入院という形で自由が制限されます>id:pbh /そも理屈で言えば自由でないからこそ責任が問えないわけで責任のない者の自由を制限せよというのは話が逆
  • http://www.roll-soft.net/magipri_disc.htm

  • 国の借金は「実額」で減っている !? / SAFETY JAPAN [森永 卓郎氏] / 日経BP社

    第103回 国の借金は「実額」で減っている !? 経済アナリスト 森永 卓郎氏 2007年10月15日 いささか旧聞に属するが、今年8月25日、新聞各紙に次のような見出しが踊った。 「わが国の借金が史上最高を更新」 「国の借金は836兆円 6月末も過去最高に」 これは、前日に財務省から発表された、6月末時点での「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」を受けての報道である。 しかし、コラム「第94回:順調に進む財政再建」でも指摘したように、財政の状態は単に債務残高の額自体で比較してもあまり意味がない。一般家庭に例えれば、借金が増えてもそれを上回る収入があれば、借金の重さを相対的に減らすことができるわけだ。国の財政で言えば、借金は債務残高に、収入は名目成長率に当たる。つまり、債務残高の総額も大切ではあるが、それよりもGDP比率の値のほうが重要だというわけである。 実際に、債務

  • いじめ学の時代 - Demilog

    結構前にわざわざ著者の内藤朝雄さんから送って頂いたのにご紹介がそのままになっていました。内藤さんはじめ編集・出版に携わられた皆様、当に申し訳ございません。 このは「いじめの社会理論」「いじめと現代社会」に続く内藤さんの3冊目の単著になります。前者2冊は論文が元になっていたり、アカデミシャンや人文系の素養のある人向けの文章を集めたものでしたが、今回は語りおろしといった感じで「口語体の内藤いじめ論」になっています。そのため以前の2冊や内藤さんのサイトに掲載された文章などにとっつきにくさを感じる人にもお薦めできます。このの中ではいじめは「人類共通の病気」として風邪に例えられています。そして『「いじめをなくそう」という目標を立てるのは、「地球上から風邪を一掃する」と宣言するのと同じくらい無理がありますが、風邪にかかりにくい環境を作ることなら、それよりもずっと簡単にできるかもしれません。』と、

  • 今週の本棚:御厨貴・評 『日本政治…』=M・ラムザイヤー、F・ローゼンブルース著 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇『日政治と合理的選択 寡頭政治の制度的ダイナミクス1868-1932』 (勁草書房・3780円) ◇思わぬ発想で歴史に応答を求める 不思議なである。まずもって政治史のではない。政治史を政治理論で真正面から打(ぶ)ちかました、というのが正直なところか。普通、歴史と理論とはあたかも双曲線の如しで、決してクロスしない。それをとにかく交わらせるのだから、コトは大変である。かなりの荒技を必要とする。あえていえば、日歴史の精緻な文脈や微細なニュアンスに拘(こだわ)ることなき姿勢を貫かねばできない。 したがって日政治や比較政治を専門とする、二人のアメリカ人学者でなければ、到底これだけ丶論争的なは姿を現わさなかったであろう。ここでは無論日政治史を対象としながらも、時間軸、空間軸、制度、組織、人間のいずれについても、個性の丶あく抜きをした上で丶瞬間冷凍して丶パック化していると見える。かく

    samoku
    samoku 2008/04/25
  • ラムザイヤー、ローゼンブルース『日本政治と合理的選択』読了 - 西東京日記 IN はてな

    サマソニのタイムテーブルが発表されたけど、やっぱMUSEとDJ Shadowはかぶってる…。まあ、MUSEに全力投球でこんどこそ巨大風船を触ってくるとするかな。 マーク ラムザイヤー、フランシス・マコール ローゼンブルース『日政治と合理的選択』を読了。副題に「寡頭政治の制度的ダイナミクス 1868ー1932」とあるように、明治から昭和にかけての日政治について合理的選択論の視点から分析した。 著者らによると、この時期の日政治に関しては 1、19世紀終盤に政府の支配的地位にあった寡頭指導者が、国家利益の向上に多くを捧げてきた 2、日の官僚および判事が、自立した存在として行動した 3、寡頭指導者や官僚が、経済成長を効果的に促進する政策を導入した という3つの仮説が有力だが、実はそういった事実はなく、その多くは政権にあったものの合理的選択の結果でしかなかったという。 その議論については、

    ラムザイヤー、ローゼンブルース『日本政治と合理的選択』読了 - 西東京日記 IN はてな
    samoku
    samoku 2008/04/25
  • 誰がラッセンを求めていたか - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    ラッセンの絵は日的な癒しや郷愁とはかけ離れているかもしれないが、日人に一番多い((c)ナンシー関)とされるヤンキーの趣味には意外にも合致。むしろヤンキーにとっての癒しがラッセンに凝縮されている、と言ってもいいくらいの感じだ。アート業界周辺は、もともとヤンキー濃度が低い。若い層もどっちかというとオタク、サブカル系が多く、ヤンキー的なものとはソリが合わない。だが、ヤンキー・メンタリティは日人の中に薄く広く浸透している。それがボリュームゾーンなのである。ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2ラッセンの受容層がヤンキーというのは違うような気がします。ヒロ・ヤマガタ、ラッセンその他もろもろは当時、嘲笑を込めて「インテリア・アート」と呼ばれていた記憶があるけれど(「アールビバン系」でもいいんですが)、画家ごとにターゲットがセグメント化されていたかといえばそうでもなくて、じっさい