最近「改革」という言葉に過剰な拒否反応を示すブロガーを多く散見する。もちろんここ数年はエセ改革者がチープな改革論を振りかざして、散々日本を荒らしたのは事実だ。ただ「改革」と名のつくものはすべて悪なのであろうか?これは「バラマキはすべて悪である。」と信じて止まない改革論者同様、言葉ジリの俘虜に成り下がった人々の断末魔に見えてならない。 特に目に付くのが「改革」という言葉に過剰に拒否反応を示す左派ブロガーの存在である。保守主義者で、例えば西部邁のように「進歩」や「改革」「革新」という態度そのものを批判するのであれば、それはそれでスジが通る。日常的に左翼やリベラル派に共闘を呼びかけるような立場を取りながら、極端な改革否定に走るような態度は理解に苦しむ。元々、左派は「生活を改善したい」というような改良主義を基盤にしており、「改革」を否定した段階で左翼であることを辞めるべきだと思う。平和や人権を大事