譙周(しょうしゅう) 覚える特殊能力 武将パラメーター 譙周(しょうしゅう) 譙 周(しょう しゅう、? – 270年) 西晋の学者・政治家。 譙周伝によると、建興年間(223年 – 237年)に諸葛亮に召し出され勧学従事に任命されたとある。一方先主伝では、220年の劉備に帝位に就くよう求める上奏文に勧学従事として名を連ねている。 諸葛亮の後を継いだ蔣琬は譙周を典学従事に任命した。 238年、劉禅の長男であった劉璿が立太子されると太子僕となり、やがて太子家令に遷った。 その後、中散大夫となったが、引き続き劉璿に近侍した。諸葛亮の死後、姜維は何度も北伐を行い、民は疲弊していた。譙周はその無謀さを諌めるため、陳祗との討論を元に『仇国論』を書いた。 後に光禄大夫に昇進した。政治に関わることはなかったが、何か問題が起こるたびに助言を求められた。263年、魏の軍勢が成都近くまで押し寄せると、南へ逃げ