隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年〈大正12年〉9月30日[2] - 1989年〈平成元年〉11月4日)は、日本の脚本家、小説家(時代小説作家)。本名は池田 一朗(いけだ いちろう)。本名で脚本、隆慶一郎のペンネームで小説を執筆していた。 東京市赤坂区生まれ[2]。旧制同志社中学、第三高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒。 来歴[編集] 戦時中は学徒出陣で出征、陸軍士官として中国大陸を転戦した。この時期に陣中に持って行った『葉隠』が、作家として『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなった。終戦後、復学して1948年 東京大学卒業、大学時代に師事していた小林秀雄が参画していた創元社(のちの東京創元社)に入社する。短期だが大学講師でも勤務した。1950年頃、立教大学講師、中央大学助教授としてフランス語を、1959年まで教えていた。 1957年、脚本家としての活動を開始する。当初は