南風に吹かれて はらはらと落ちてくる葉っぱ達。 枯れ草の上に 茶色のどんぐりの葉っぱ 黄色の楢や 漆の赤い葉っぱ。 明るい空から降り注ぐ陽の光に 山が黄金色に輝いている。 秋の終わりから冬の入り口へ なんと豪華な贈り物だろう。
ソローの「メインの森」 4フィートの長さの木が何本も焚かれている 牛を一頭丸ごと丸焼きに出来る程の大きな暖炉。 カバ ブナ カエデの薪。 19世紀 アメリカ メイン州奥の 森の中の農場で出された豊かな食事に 私は舌なめずりをした。 まずはホヤホヤの熱い小麦粉のパンケーキ。 農場の産物のハム、玉子、じゃがいも 牛乳、チーズ。 たらと鮭、糖蜜で甘くした茶 甘いケーキ。 ヤマコケモモをとろ火で煮て甘くしたもの。 「贅沢貧乏」森茉莉 冷蔵庫を持たない森茉莉は 氷を入れたジャーに トマトを冷やしていた。 缶詰のハムとスライスしたトマト。 玉子をことの外愛した森茉莉。 キノコ入りオムレツ 刻みパセリ入りオムレツ。 「大草原の小さな家」 たっぷりのバターで黄金色に炒めたじゃがいも。 そば粉のパンケーキ。 まだ青いカボチャをリンゴの代わりに使ったパイ。 カボチャの上に少しの酢を回しかけた。 「スペンサー」
菊芋の花 ヒマワリみたいな葉っぱが出て来て 日に日に茎が伸びて。 なんの植物だろう? 2メートル近くになった頃 台風の強い風に倒れてしまった。 それでも伸び続ける強い植物。 黄色い花のこの植物は 菊芋だって。 花が枯れる頃 土を掘ってみよう。 さくさくとした食感の 体にいいと言われている ちょっと無骨な塊が出てくるはずだ。 黄色の可愛い顔をしているが とても生命力が強い。 風に乗って種子が運ばれ うちに根付いたんだ。 その縁を喜ぼう。
随分前だ。 アイルランドの詩人 ジョン モンタギューの事を知った。 朝日新聞の記事だった。 興味がわき調べてみたが 日本ではまだ翻訳されていない。 ニューヨークに行った時 街の小さな本屋に入った。 そこはまるで 映画「ユー ゴット メール」で メグ ライアンが経営する 小さな本屋そのものだった。 その店の母娘が 「うちにはないが、ここならきっとあるだろう」と 住所と店の名前をメモしたものをくれた。 マンハッタンの北の端にある美術館の帰り バスを降りて教えてもらった本屋に行った。 コロンビア大学の南 倉庫の様な本屋の名前はラビリンス。 結局ここにもモンタギューは存在しなかった。 「仕方ない、もういいか・・・」 とホテルの近くを歩いていると 大きな本屋が現れた。 入るとすぐに男性店員がやって来て 私の探しているモンタギューを見つけ 嬉しそうに私に差し出した。 376ページの分厚い詩集。 昨日の
スーパーの駐車場 午後3時に家を出て 湖西のスーパーにやって来た。 1週間分の食材を購入。 塩豆大福も買う。 もやしが18円。 生産者の苦労を思う。 帰り道 図書館に寄り雑誌を受け取る。 「天然生活」 特に気に入っている本ではないが 食器を見る為予約購読している。 その本の中に 私が大切にしていた本が 幾つも載っていた。 増える本を何回か処分したり 友達に貸して返ってこなかったり。 懐かしい。 どうして処分してしまったの? どうして友達に「もう読んだ・・・?」 と、言えないの? それらの本が載っているページを開けるのが 悔しい様な 辛い様な 残念な様な。 たかが本ではないか。 分かってはいるんだけどね・・・
この暑さで何をするのも嫌だ と言うトミコさんから貰った 一抱えもある紫蘇。 これは 紫蘇ジュースを作って欲しいと言う トミコさんの無言のお願い。 だって 空のペットボトルまで 渡すんだもん。 紫蘇の葉をちぎり取り 「おお、いい香り」 そして洗って グラグラと沸いた湯の中に放り込む。 紫の葉っぱが緑に変われば取り出すんだ。 たっぷりの砂糖を加え クエン酸も加えると さっと深紅の液に変わる。 ゆっくりとしゃもじで混ぜれば出来上がり。 6リットルの深い紅の原液。 これを何倍にも薄めて飲むのはご存知の通り。 氷を入れたグラスに原液ジュース。 蛇口から溢れる出る伏流水で薄めると グラスの中で氷がカラカラと鳴る。 「トミコさん、出来ましたよ」
チャックの小屋に泊まっている スイス人のカミル。 先日 うちで天ぷらをたらふく食べて帰る時 お礼に餃子を作りたいと言った。 火曜日の夜 合挽きミンチを1350グラム ネギ、ニラ、生姜、ニンニク等々を持ちやって来た。 日本に来る前に中国を旅した。 その時に覚えた本場の餃子だそうだ。 勿論水餃子。 10人分を作るのかと思う程の材料。 包丁さばきも上々 次々と生姜、ネギ、ニラを切ってゆく。 口八丁手八丁だ。 強力粉に湯を加えて揉んでいく。 このあたりから テーブルの上や下は粉だらけ。 一緒にやって来た アメリカ人のショーンとカミルが皮を延ばす。 私が皮に具を包む。 夫は流しでひたすら後片付け。 出来上がった餃子を グラグラと沸いている湯の中に 次々を放り込み湯がいていく。 キャベツ、キュウリ、タマネギの コールスロー風に ミニトマトを加えたサラダ。 冷凍庫に眠っていたオレンジママレード。 それを
Made in Switzerland 19才の誕生日。 もう遠い昔だ。 私は松本駅で降り ユースホステル近く迄行くバスに乗り遅れて 山の中の道を息をきらして歩いていた。 道に面した小さな家からおばあさんが出て来て 「お茶でも飲んで行きなさい」と言った。 リュックを下ろして玄関に座り 出されたお茶を2杯飲み干した。 セロハンに包まれた色とりどりのゼリー。 「どこから来たの?」とおじいさんが尋ねる。 「大阪です」と答えると 「自分達も大阪に住んでいたんだ」と言う。 別れ際にゼリーを紙に包んで持たせてくれた。 そのゼリーの色を何十年も経った今でも忘れていない。 19才の私がおじいさん、おばあさんと思った夫婦は 今の私よりずっと若かったのではないか。 チャックの小屋に泊まり 畑仕事を手伝っている 旅の途中のスイス人のカミル。 何回か顔を会わす内に うちの前で立ち話をするようになった。 薄暗くなっ
10センチ程の小さなアジ。 三つに切って鉢に盛る。 発酵したご飯も忘れずに。 なれ鮨になっても 海の中を泳いでいた 銀色の姿はそのままで。 熱々のご飯の上に アジと発酵米をのせる。 ぴりっとした鷹の爪と 山椒の葉の刺激。 「これを食べて夏バテを乗り切ろう」 と、なれ鮨に添えられていた言葉。 石川県の海辺の街から届いた 小さな魚屋さんのなれ鮨。 タエコさん ありがたく頂きます。
手に持った小さな太鼓を バチで叩きながら ゆったりとした動作で しかし 力強く踊る。 六斎念仏は 太鼓を持った踊り子3名 鉦(かね)二人 笛二人で 踊り、奏でて仏様に奉納する。 空也が開祖だと言われているので 平安時代からこの念仏はあったのだろう。 若狭から京に通じる鯖街道は 鯖だけでなく文化や芸能まで この土地に運んで来たと言う所か。 限界集落のモデル地区みたいなこの土地では 歴史も由緒もある六斎念仏を踊る人たちが 年々減ってくる。 そこに街から若い人たちがやって来て この念仏が生き返った。 14日 市から送迎バス迄出て 沢山の人がやって来た。 そして 村の人達と一緒に 念仏奉納を見る事が出来た。 六斎念仏のリーフレットの写真から。2016年の踊り。 感想? 「やっぱりライブはいい!」
久しぶりにポットに種を蒔き それを大事に植えたコスモスが咲いた。 台風や豪雨で それらが倒れた。 惨めな姿。 千日紅もダリアも・・・ キクイモも薊も・・・ ミニトマトが鳥に悪さされるから ネットを掛けないと。 面倒な事だな。 「そんな事で心を煩わすな。 台風で一瞬にして 家族をなくしたり 家をなくしたりした人達がいると言うのに」 と、私は私自身を叱った。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く