The Legend Interview不朽 1913年に創刊された週刊ダイヤモンドには、日本の産業史に名を残す大経営者が数多く登場してきた。その中から、今でも色褪せることのない至極のインタビュー記事を、当時の時代背景に関する解説記事を加えて再編集し、お届けする。 バックナンバー一覧 1953年12月、米アイゼンハワー大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」についての演説を機に、唯一の被爆国である日本の原子力政策が動き始めた。電力などの原子力の平和利用に関しては関連技術を同盟国に供与するという米国の方針に応え、わずか3カ月後の54年3月には戦後初の原子力予算が計上された。中心にいたのは改進党(現自由民主党)で予算委員会の筆頭理事だった中曽根康弘である。 ところが、米軍によるビキニ環礁での水素爆弾実験で、第五福竜丸が被爆するという事件が発生、反原子力の世論が高まる。そこで動いたのが、当時