箱屋 @Glanfild 「何がでたんだ!」→「伊号168と58」→「どんななんだ!」→「スク水セーラー服」→「脱げるのか!」→「まあ破ける程度に…」→(ガッツポーズ) 長生きするわあの爺さん… 2013-08-04 07:52:20 箱屋 @Glanfild 私の周辺が濃いのは確かだけど、実際ゲーマーなお年寄りは結構よく見る。孫から頭の体操にーってゲーム渡されてハマって「やだ…なにこのランカー…」みたいな事になってるお方は多いねぇ 2013-08-04 07:55:27
箱屋 @Glanfild 「何がでたんだ!」→「伊号168と58」→「どんななんだ!」→「スク水セーラー服」→「脱げるのか!」→「まあ破ける程度に…」→(ガッツポーズ) 長生きするわあの爺さん… 2013-08-04 07:52:20 箱屋 @Glanfild 私の周辺が濃いのは確かだけど、実際ゲーマーなお年寄りは結構よく見る。孫から頭の体操にーってゲーム渡されてハマって「やだ…なにこのランカー…」みたいな事になってるお方は多いねぇ 2013-08-04 07:55:27
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1325 上記はシューティングゲームの学習しやすさ・遊びやすさについての記事で、medtoolzさんが『怒首領蜂大復活』をプレイしてみた時の驚きが伝わってくる。けれどもシューティングゲームが初心者フレンドリーになったのは『怒首領蜂大復活』が最初というわけではなく、かなり昔からそういう潮流はあった。この記事では、そうした初心者親和性、特に弾幕シューティングゲームにおけるソレを中心に書き残してみる。 90年代前半のゲーセンには、初心者に優しいシューティングは少なかった 90年代に入ると、『グラディウス3』『R-TYPE-II』といった激難度シューティングゲームへの反省か、ビギナーでも遊びやすいシューティングゲームがそろそろ模索されるようになっていった。90年代前半はシューティングゲームの黄金時代と言われるけれども
初代プレイステーションを救ったのは『バーチャファイター』!? SCE創業メンバーたちがその成功の背景を語った 「勝てると思っていたわけではないし、負けると思っていたわけでもない。何が何でもやんなきゃいけないんだという、たったそれだけの話」(丸山氏) 2012年8月31日、エンターテインメント業界の各所で活躍してきた黒川文雄氏が主催するトークイベント“エンタテインメントの未来を考える会”(黒川塾 (弐))が都内で行われた。 音楽業界、映画業界、ゲーム業界など、エンターテインメント業界を幅広く渡り歩いてきた黒川氏が今回ゲストとして呼んだのは、丸山茂雄氏(247Music取締役会長)、赤川良二氏(ラルクス代表取締役)、藤澤孝史氏(T.C.FACTORY取締役)ら、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の創業メンバー。プレイステーションがいかにして生まれ、一大勢力へと成長したのかが語られ
1980年代、小学生からサラリーマンまでに絶大な人気を誇ったアクションゲーム『熱血硬派くにおくん』。第1作目は1986年にアーケード向けとして登場し、1987年にはファミコンに移植されて発売。その後、同作は『くにおくん』シリーズとしてシリーズ化され、『熱血高校ドッジボール部』(1987年)、『ダウンタウン熱血物語』(1989年)、『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』(1990年)などがそれぞれ発売されている。 今年(2011年)は、ちょうど『くにおくん』が誕生してから25周年にあたり、この記念すべき年に合わせてアークシステムワークスより『熱血硬派くにおくん すぺしゃる』が3DS用として12月15日に発売される。今回は、初代『熱血硬派くにおくん』の制作メンバーである岸本良久氏(企画)、緒方孝治氏(デザイナー)の2人、そして今作のディレクターを務めるアークシステムワークスの金子宝巨氏に
現在の場所:ホーム / News / 日本の異能 猪子寿之氏「茶道からマリオブラザーズへ。文化+テクノロジーこそ日本の歩むべき道」 【湯川】 [読了時間:3分] チームラボの猪子寿之さんとじっくり話する機会を得た。最後に彼とゆっくり話をしたのは、もう数年も前になる。そのときに比べると彼の主張はずいぶん進化したように感じた。以前は漠然としていた抽象概念が、理論的にも明確になってきたように思う。「手を動かしているからですよ。実際に手を動かさないと考えは進化しないから」と言う。 その「手を動かして」作った最近のプロジェクトを幾つか見せてもらった。 大衆演劇の人気俳優、早乙女太一さんの舞台を昨年から支援しているのだそうだ。動画は今年の新春公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵-だ。 ・ チームラボといえば、こうした文化的なプロジェクトが話題になることが多いが、実際には東京と上海のオフィスに勤める約300人の
以前、海外の大手ゲームサイト「1UP.com」が選んだ「ゲーマーなら知っておきたいゲーム音楽における10人の名作曲家」という記事をお伝えしました。ここに選出されていた土屋昇平さんが所属するタイトーのサウンドチーム「ZUNTATA」に、インタビューする機会ができたので、ゲームサウンドクリエイターのお仕事について、たっぷり聞いてきました。 今回インタビューするZUNTATAのメンバーは以下の3名。 株式会社タイトー ON!AIR事業部 開発部 サウンドクリエイター 石川勝久さん 小塩広和さん 土屋昇平さん ◆「ZUNTATA」のメンバーはこんな人たち GIGAZINE(以下、G): タイトーのサウンドチームが、ZUNTATAとして活動を開始するようになった経緯について教えてください。 ZUNTATA 石川勝久さん(以下、石川): 私は1990年入社なんですが、タイトーのサウンド開発専門部署とい
昔から存在したゲーム会社の中身はそれからどうなったのか ゲームゲームの歴史 Tweet 2011年08月02日 新しいとか若い業界と言われていたゲーム業界も、ファミリーコンピュータの発売(1983年)からは30年が経ち、大ブームを巻き起こした『スペースインベーダー』の発売(1978年)からはすでに40年近くになり、かなり成長した業界となりました。 さて、そんなふうにここ30年で広がりを見せていったゲーム。子供の頃、ファミコンやスーファミやメガドライブ、さらに若い人ならプレステやサターンで遊んだことのある人は多いと思われます(ちなみに子供の頃遊んだゲーム機を大学生~新社会人あたりの年齢の人に「PS2」と答えられるとジェネレーションギャップを感じる今日この頃)。そして、遊んだソフト、それを出したメーカーの名前も覚えているものもあるでしょう。 しかし現在振り返ってみると、それらゲームソフトを出し
会社帰りに本読んでたら止まらなくなって読み終わったらテンションあがりまくっていたのではてブでつけていた宿題エントリーをいきおいでかたづけてみる。若干お酒も入ってるので変なところあったらご指摘ください。 で、今回の宿題エントリーはこちら。 任天堂の復活はありえるか?何故任天堂はDeNAに敗れたのか。 http://www.assioma.jp/?p=1247 そもそも論として根拠としているデータの取り方から間違っているんだけど、ファミコンのボタンが四角いころからテレビゲーマーだった自分が見てきたゲームの歴史とも体感が違いすぎるので、反論というより「ゲーマーが見るゲームの歴史はこうだった」という回顧録としてお読みください。 いわゆるゲーム機ハード競争というのはスーパーファミコンまでは任天堂の圧倒的天下であり、シェアを抜き合うような競争が始まったのはプレイステーションからというのはゲームに興味な
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勝間和代の「桃鉄論」がガチすぎて引く Tweet 1:名無し募集中。。。:2011/01/04(火) 14:49:33.32 ID:0 http://twitter.com/kazuyo_k 子どもたちと夜中まで桃鉄やっていたので眠いです。もう一度寝ようかなぁ。 デットヒートの末、3億円差で勝ちました。お正月は、すごろく代わりに毎年桃鉄ですね。 人によって、桃鉄のPlayの仕方は違うと思いますが、私の最優先事項は 「貧乏神をつけない」です。マイナス駅を踏んでもいいから、貧乏神はつけない。 運転資金に余裕を持ち、それでもマイナスを踏んだときには、潔く売却。 なぜなら、マイナス駅はリスク・リミテッド。貧乏神は∞だからです。 桃鉄は、ものすごい好きですよ。昔のバージョンでは、駅までのコマ数と、 それぞれの物件と収益率とか、ほとんど暗記していましたから。 最近のはそうでもないですけれども。 桃鉄、
Call of Duty’s hardboiled new battle royale mode isn’t a lot like its candy-colored cousin Fortnite except for one thing: players’ gratitude for public transportation. Call of Duty: Black Ops 4 players have taken to “thanking the bus driver,” a custom in Fortnite, for transporting them to an island of near-inevitable…
田尻さんと石原さんが一緒にゲームを作られたのは、『ヨッシーのたまご』が最初でしたね。 田尻>> そうなんですが、企画として立ち上げたのは『ポケットモンスター』の方が最初です。そもそも『ポケットモンスター』は、もっとコンパクトなゲームになる予定だったんです。 最初、スクウェアさんの『魔界塔士SaGa』を見たときに「ゲームボーイでもアクションゲームじゃない分野を追求できるんだな」という可能性に気がついて、ゲームボーイなら半年くらいで作れるのではないかと思っていました。ところが、夢とか志がそのスケールの何倍もあったわけで、半年で完成させるのは難しいかもしれないっていうのは感じていたんだけど、やっぱりできなかったんですよね(笑)。ゲーム制作においては、たとえば「車をヒッチハイクしてA地点からB地点まで乗せてもらったらうれしいね」というようなアイデアが出た場合、いちおう作って確かめたくなるんですよ。
みなさん、こんにちは。任天堂の岩田です。 1985年9月13日、ファミリーコンピュータ向けに 初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、 今日でちょうど25周年となりました。 世界中のお客様のご支持のおかげで、 最初のスーパーマリオ発売から25年が経過した今も、 マリオは今日もたくさんのゲーム画面の中で、 元気いっぱいジャンプを続けています。 四半世紀に渡り、世界中のお客様にご愛顧いただき、 本当にありがとうございます。 任天堂では、「スーパーマリオ25周年」を記念して キャンペーンをさせていただくことにしましたが、 これと並行して、 スーパーマリオの歴史にちなんだ「社長が訊く」を 数回に分けて順次公開させていただく予定です。 当然のことながら、最初に、 スーパーマリオの生みの親である宮本との話を みなさんにお届けしようと考えましたが、 これまでの「社長が訊く」において、 宮本は
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